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信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎


吾道彦物語[2]”ワカヒメの生い立ち”

吾道彦物語[2]”ワカヒメの生い立ち”

 和歌姫の生い立ちを申し上げます。 父は伊邪那岐、母は伊邪那美と申します。

  イサナギとイサナミが ツクバのイサ宮で 新婚生活に入った時、二人は床入りし、情熱のおもむくままに交わって 子供を孕(はら)み、誕生した女の子の名前は、昼に生まれたので ヒルコと 名付けました。

  しかし ヒルコが生まれた年は、父イサナギ 40歳、母イサナミは 31歳で、2年後には男42歳、女33歳の 天の節で 大厄に当たります。そこでヒルコは 両神の慈しみを一身に受けて育てられましたが、まだ三年にも満たないというのに、親の元から引き離されて岩樟船(イワクスフネ)に乗せ捨てられました。

  下流でカナサキ(住吉神)が拾い上げて、妻のエシナズの乳を得て 何不自由なく我が子同様に育てられました。

  実はこの時、妻エシナズは不幸にも 我が子を失ったばかりでしたので、それはもう 我が子に再開したような喜び様でした。

  カナサキはいつも優しい潮の目で ヒルコを目守ってやり、「アワウワヤ」と手拍(てうち)をしてあやしていました。

  ヒルコの誕生日には炊きごはんを神様に供え、初めて食事のとり方を教えて、立居振舞も手を取って習わせました。

  三年目の冬には髪置(かみおき)と言って、幼児が初めて髪を伸ばす儀式も済ませました。

  新年元旦は餅をつき 天神地神に供えてから、親族が集まって新年を祝いました。 

三月三日の桃の節句には 雛祭をして遊び、五月五日は菖蒲(あやめ)を飾って粽(ちまき)を食べましtaた。七月七日は七夕(たなばた)祭で、九月九日は菊の花と栗を供えるお祭です。

  五年目の冬には 男子は初めて袴(はかま)をはいて、女子は被衣(かずき)を着ます。 又5歳からは常にアワ歌を教えて言葉を正します。

   アカハナマ  イキヒニミウク

   フヌムエケ  ヘネメオコホノ

   モトロソヨ  ヲテレセエツル

   スユンチリ  シヰタラサヤワ

  この様な年中行事を経たヒルコ姫は、今では美しい乙女に成長しました。

  厄もきれいに川の水に流された今、再び両親の元に呼び戻されて、天照神の妹(イロト)として復活し、ヒルコの名もワカヒルメと変わりました。

彼女が三歳のときに、親の厄年の影響を受けないようにと、形だけ捨て子にされたあと、拾われて育てられたことにちなんで付けられた 『広田神社』があります。 本当は西宮神社だと思われますが、歴史のまにまにいろいろな変遷があったのでしょう。

  また、彼女が紀州の地で独身時代に住んでいた宮の跡は、『玉津島神社』として今も残っています。 それと、異論はありますが、和歌山には丹生都姫神社も在ります。  

つづく



こちらもご覧ください。

『伊那谷から古代が見える』

http://homepage3.nifty.com/utukusinomori/newpage1.html
# by hansaki460 | 2009-02-16 22:44

吾道彦物語[1]”アチヒコの生い立ち”

吾道彦物語[1]”アチヒコの生い立ち”

高皇産霊尊の子に 思兼尊(阿智彦)が おられます。

知恵の神様として知られ 奉られており、少しご縁があり、調べていくうちに 深みに はまりました。

『 美しの森物語 』 の原稿も兼ねながら、調べて参ります。

思兼神の身上書からです。

名称     思兼神(おもひかねのかみ)

親      高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)

兄弟姉妹 少彦名命(すくなびこなのみこと)、栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)、三穂津姫(みほつひめ)



吾道彦物語り [1]

さて、思兼尊の名前は アチ(吾道・阿智)彦と 申しました。
(吾道彦が はじめて歴史に登場する 場面からです。)

ある日、イサワの宮(伊雑宮)にいた天照神は、タマツ宮(玉津宮)のワカ(和歌)姫のところへ、オシカ(勅使)として 吾道彦を使わしました。

申し遅れましたが、和歌姫は 天照神の 妹です。

歌姫は、吾道彦に会ったとたんに 恋焦(こいこが)れてしまい、苦しい女の胸の思いに耐え兼ねて 和歌の歌を詠み、歌冊(ウタミ)に染めて 思わず吾道彦に 渡してしまいました。

吾道彦が 思わず手にした その歌は、

『 キシイ(紀州)こそ 妻を身際(みぎわ)に 琴の音(ね)の 床(とこ)に我君(わぎみ)を 待つぞ恋(こい)しき 』

「 紀州にいらっしゃい。私は貴方の妻になって いつも御身(おんみ)の近くで 琴を奏(かな)でてさしあげましょう。 寝床ではいつも 我君(わぎみ)を恋しい思いで お待ちしています。 」

 これを見た吾道彦は、突然の恋の告白に戸惑い、思えば 仲人もなしにどうして愛を結ぶことができようか とか、返歌をしなければ とか、考えれば考えるほど 焦りが先たち、ついに返事もできず、言葉に詰まって、

「 待って下さい。 後日 必ずお返しします。 」

と言うや、その場を 何とかつくろって 歌柵を持ち帰り、宮中に走り至ると 諸臣(もろとみ)に相談しました。

何しろ 天照神の 美しい妹に恋されたのでは、うれしいやら困ったやらで、戸惑いを隠せません。

一部始終を聞いていた カナサキ(住吉神)が、静かに お話しを始めました。

「 この歌は、受けたからには もう絶対絶命です。 返事(カエゴト)ができない、上から読んでも下から読んでも グルグル巡りの 回文歌(マワリウタ)です。

 私もアマテル神の御幸のお供で 船に乗っていた時のこと、暴風が激しくて 波が高いのを打ち返そうと 回文歌を詠み、

『 ながき夜(よ)の 遠(とお)の眠(ねぶ)りの 皆目覚(みなめざ)め 波乗(なみの)り船(ふね)の 音(おと)の良(よ)きかな 』

と詠ったところ、やがて風が止んで 波は静かになり、船は心地よく アワ(阿波)の湊に着きました。 」

と話されました。

 しかし それを聞いても、吾道彦の心は 乱れて落ち着きません。

「 和歌姫に 返歌をしなければ。 愛にどう答えれば よいのでしょうか 」と、問うと、

ここで 天照神の詔がありました。

「 今こそ、住吉神の船に乗り受けて、夫婦(メオ)となるなり 」
 この後、吾道彦と和歌姫は 住吉の船が縁を取りもち、今は ヤス川(野州)辺に宮を造り、名も天照神の妹・下照姫となり 幸せに暮らしました。
# by hansaki460 | 2009-02-16 22:31