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霊宗道の神髄「日抱きの御魂鎮め」霊宗道の神髄「日抱きの御魂鎮め」 霊宗道【鎮魂帰神法】の変遷 飛騨地方に30以上あったという日抱宮には、最近まで「日抱きの御魂鎮め」が伝わっていたという。「日抱きの御魂鎮め」は、先祖の亡骸を埋めた傍に池を造りその池を囲んで心を静めた。 一方、宮中には「祝(はふり) の神事」がある。いや、あったと云うべきか。 明治維新に葬り去られてしまつたが、「祝(はふり) の神事」もまた、取次者が輪に成つて行たようだ。 古くは、天皇は「祝の神事」を修め「神拝の式」を執り行った。 「神拝の式」は、神武の御代に天児屋命の孫の天種子命によつて確立され、用明 二年(587) まで継承されたが、蘇我馬子の陰謀により物部守屋とともに宮中から神事が途絶えた。 先代旧事本紀 巻第三 天神本紀 によると、 天照太神は・・・天児屋命と天太玉命に仰せられた。 「お前たち二神は、共に同じ建物の中に侍って、よくお守りの役をせよ」 「この鏡は、ひたすらに私の御魂として、私を拝むのと同じように敬ってお祀りしなさい。そして、思金神は私の祭りに関することをとり扱って、政事を行いなさい」 …とあることから「祝の神事」は、天児屋命-中臣-藤原・・白川伯王家へと伝えられたのだろう。 「日抱きの御魂鎮め」は途中、出雲神道を濃厚に受け継いだが、思金神の伝える霊宗道が、「祝の神事」であっただろうと推測される。 「日抱きの御魂鎮め」の池は、やがて鏡に代わり「祝の神事」となって受け継がれているのではあるまいか。 それゆえ、古来の御魂鎮めの修法とは… 池を囲んで、池に太陽の光、月の光を浮かべてその光をジ-ッとみつめながら心から感謝をして先祖を拝み、心を静めたという「日抱きの御魂鎮め」そのものである、と思う。 弘法大師空海は、月輪観(がちりんかん) ・日輪観(にちちりんかん) を「阿字観(あじかん)」と言った。 私の師匠は、「水に写した月を思い浮かべて、澄きった月が見えるようになるまで心を静めなさい」との瞑想法を教えた。 【参考:霊宗道とは…】 三部神道と申すは、 一には宗源道、是は天物染命(アマツコヤネノミコト) を元祖とす。 二には斎元道、是は天太玉命を元祖とす。 三には霊宗道。是は正く此大神八意命是なり。 宗源は理極、斎元は事極、霊宗は合道、心法の極と申して、開天の間天神七代の旨を説を宗源とし、盛天の時、地神五代の道を説を斎元とし、喪天の世、人皇万代の理を教を霊宗とす。 次第を云えば、宗源、斎元、霊宗と云えども実は霊宗を以て本とす。此の霊宗の道を明め知らざれば、宗源、斎元共に我手に入らず。此霊宗は心学にして、天照太神の教え、神道修行の事を司り、凡夫を導て神仙に成らしむる道なり。是故に此「吾道の大神=思兼命」は八百万神の中には第一の智神、功神、仰ぎ崇むべきの社なり。
by hansaki460
| 2017-11-03 14:11
| 幻の吾道之宮
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