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人は なぜブログを書くのか? 花は なぜ美しく咲くのか? ブログの有用性。
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http://taikiosen.blogspot.jp/ Wikipediaによると・・・ 花が美しいのは、他の目を引くことを目的としているからである。とある。 それは生物の繁栄に書かせない生殖に、昆虫や鳥などの小動物を誘うために美しく魅力的なのだ。 花と呼ばれる生殖器官を持つ種子植物のうち、一部の果実被子植物は果実を実らせる。 果実は結果的に、他の生物を生かす。 すなわちそこには、共存する社会がある。 それは、調和のひとつの姿である。 しかし世の中は多様であり、違った価値観の生物らは相克する。 それぞれの個性を競い合い、種どうしの生存競争が熾烈だ。 だから、その現実には争いも生じ、結果悲しみもある。 しかしこれは、進歩のひとつの姿でもある。 進歩と調和は、人類の永遠のテーマだ・・・・。 ◇ ハーヴァード大学の科学者たちが、MRIを用いて脳を調べた実験により、「なぜわたしたちは自分のことを話すのが好きなのか?」という研究結果を発表したという。 http://wired.jp/2013/08/23/talk-about-myself/ 人は自分自身について語るときには、生理学的に快感を得られる。 その理由は、その行為が脳の快楽や満足に関係する脳の神経領域を活性化させるからだ。 しかもこれは、話しているのを聞く相手がいなくても機能するメカニズムなのだ。 ・・・とても興味深い。 前記の「花が美しく咲く理由」は、生理学的に快感を得られるからかもしれない。(^^ 孤独は 山になく、街にある。 http://utukusinom.exblog.jp/17859409/ ・・・という日記を書いたことがある。 孤独は山になく、街にある。 一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。 しかし・・・。 我々が 孤独を超えることができるのは その呼び掛けに応へる自己の表現活動においてのほかない。 古代哲学者・アウグスティヌスは、『植物(花)は人間から見られることを求めており、見られることがそれにとって救済である』といつたが、表現することは物を救ふことであり、物を救ふことによつて 自己を救ふことである。 かようにして、孤独は 最も深い愛に 根差している。 そこに 孤独の実在性がある。 ・・・と云う内容だった。 アウグスティヌスの言葉を借りれば・・・ 他の人が読んでくれることを期待しつつ、しかし日記を書き続けると云うことは、『日記は他人から見られることが、孤独にとって救済である』といえる。 しかしまた、ハーヴァードの科学者たちの研究結果をかりれば・・・ 人は自分自身について語るとき、生理学的に快感を得られる。 だから、『ブログを書くことは、読んでくれる相手がいなくても、自分の脳の 快楽や満足に関係する神経領域を 活性化させる。』 ブログの有用性を 再認識した次第です。(^^
by hansaki460
| 2013-08-28 16:42
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