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菩薩のこころ 天使のこころ
菩薩のこころ 天使のこころ
『ジャータカ物語』という古い文学があります。 仏教でいう前世物語のことで、有名な話に、『捨身飼虎(しゃしんしこ)』が知られています。 釈迦の前世である「薩埵(さった)王子」は、飢えた虎とその7匹の子のために身を投げて虎の命を救った、という話で、『菩薩とは何か?』を教えるための説話を描いた一例です。 修行時代の仏陀のことを『菩薩』と呼び、ジャータカ物語でも釈迦の前生の姿を『菩薩』と呼んでいる。 日本では、『如来』よりも、身近な現世利益・救済信仰の対象として『菩薩』がより崇められ、観音菩薩、弥勒菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩、などは女性からも崇拝され、とりわけ庶民の身近にある地蔵菩薩などは、多くのひとびとに尊崇されてきました。 『菩薩』とは、見返りを求めずに、人のために尽くしたいという思いを、無意識のうちに持っていて、行動をとる人のことを言うのだと、私は思います。 そしてなぜ『菩薩』はひとびとから尊崇されるかと考えたときに、人の心の中に菩薩と同じ思いがあり、その思いに共感するからだと思います。 こんな話があります。 「アウシュヴィツの聖者コルベ神父」 マリア・ヴィノフスカ著 1941年7月の末、第14号獄舎で異変が起こる。 一人の逃亡者が出たのである。 しかしそれは収容されている10人の命と引き換えになることを意味している。 つまり徒刑囚達への「みせしめ」となるのだ。 そして7月の炎天下の中で10人が選ばれた。 「ああ、家内と子供がかわいそうだ。もう一度会わせてくれ!頼む!!」 悲鳴が上がり、呻き声がこだまし、激しい呼吸音が交錯した。 10人は列を作らされ、目の前に不気味にそびえる十三号獄舎へと進むよう命じられる。 餓死監房で死ぬためだ。 列が進み始めた刹那、奇跡が起こる。 一人の徒刑囚が前に出てくる。コルベ神父だ。 「わたくしは、受刑者の一人に代わって、死にたいんです」 ……所長の顔に驚愕の色が浮かび上がる。 「私は年寄りで、なにもできません。生きていてもたいして役にも立ちませんから」 「だれの代わりに死にたいのか?」 「あの人のかわりに。あの人には妻子があります」 「おまえはだれだ!」 「カトリック司祭です」 「……よし、あいつらと一緒に行くがいい」 おそらく実話でしょう。 遠藤周作の本にもコルベ神父の話はよく出てきます。 西洋ですから天使の話ですが、東洋的に言えば菩薩の姿です。 菩薩と天使の心境は、同じレベルのものなのではないかと思いますが、いかがでしょうか・・・。
by hansaki460
| 2010-12-15 22:05
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