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神代文字は徐福が伝えた 『甲骨文字』 だった。
神代文字は徐福が伝えた『甲骨文字』だった。
先日 八重洲ブックセンターへ立ち寄り、二冊の古代史関連の本を購入しました。 ① 矢切止夫氏の、『 日本古代史入門 』と、 ② いき一郎氏の、『 徐福集団渡来と 古代日本 』です。 ◇ 矢切止夫氏の古代史観は、氏の野史辞典などを読んで知ってはいましたが、目から鱗の本です。 たとえば、東山文庫蔵本の後西帝の纏められた日本書紀を底本にした、黒板勝美の第九次日本書紀(現在主に使われている日本書紀)について、東山文庫蔵本が纏められた背景を語り、 『 これは江戸期製であり 後西帝の恨みが隠った誤りの書である。』 と、断言しています。 この『 日本古代史入門 』については、別の機会に紹介したいと思います。 ◇ さて、② の、いき一郎氏の、『 徐福集団渡来と古代日本 』ですが、この中で大変参考になる、また心強い発見がありました。 それは、江戸幕府の修史事業として林羅山らが編纂した歴史書・本朝通鑑に、 『 徐福之来日本、在焚書抗儒之前 六七年矣、相蝌蚪篆籒書添竹牒、時人知者鮮矣。其后世世兵燹、紛失乱墜、未聞其伝、嗚呼惜哉。』 (始皇帝の焚書坑儒の6,7年前にやってきた徐福一行は 旧文字の竹簡などを持ってきたが、当時の者で知るものは少なかった。 わが国でも兵火で紛失し、今に伝わっていることを 聞かない。 惜しいものだ。)というものです。 文字は、漢字の起源である「甲骨文字」から「金文」、「大篆」と派生しました。 私のかねてからの自論は、『古代文字・神代文字の《あひる草文字》は、甲骨文字から読むことが出来る。』と言ってきました。 そしてこれにより、自論通りに少なくとも16世紀までは、徐福が甲骨文字よりもすこし進化した 蝌蚪篆籒書、すなわち おたまじゃくしの様な篆書体で書かれた竹簡を伝えたことが明確になりました。 ですから、あひる草文字は 読めるのです。 すくなくとも 紀元前3世紀頃までには、文字が伝わっていました。 しかし、大陸北部系の藤原氏に懐柔・支配された近畿天皇家は、大陸中西部から来た九州西部の勢力や、徐福のことを無視し、邪馬台国のことは、記紀に記しませんでした。 すなわち、前10世紀の南九州朝・御中主之神以来の古代九州朝の神話を盗んで、権威つけをしたのです。 そして未だに、邪馬台国は 近畿にあった と、一生懸命 こじつけようとしています。 ◎ この事から、伊那谷の『大御食(おおみけ)神社 』に伝わる古代文字で書かれた社伝記 "美社神字録”の信憑性と、九州の神々ゆかりの神社であることが、証明されました。 ようやく、私の古代文字に係わる疑問も解け、取りあえずの結論を上程できます。^^ あとは、まとめる作業です。
by hansaki460
| 2010-02-21 07:44
| 神代文字
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