信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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吾道之宮


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大御食神社「昔時年代記・社伝記」を読む


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# by hansaki460 | 2017-06-21 05:55 | 大御食神社社伝記 | Comments(0)

大御食神社、創祀年度 考

大御食神社の創祀年度は、神社明細帳では 五十八年、社伝記では 四十八年とある。

明治十二年の 神社明細帳にある「大御食神社・由緒」には、神社の創祀年度が、景行天皇五十八年とある。

一方、その根拠となる 神代文字・阿比留草文字で書かれた「昔時年代記・社伝記」には、景行天皇四十八年とある。

【明治十二年 神社明細帳】
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【解読及び神社明細帳との比較】
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「よ」の字は、「や」とも読めるが、おそらく写し間違いであろう。

大御食神社の 正しい創祀年度は、景行天皇 四十八年・西暦118年である。


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# by hansaki460 | 2017-06-18 12:33 | 大御食神社社伝記 | Comments(0)

阿比留草文字 阿波文字 解読法と資料

やくもたつ いつもやえかき つまこみに
やへかきつくろ そのやえかきは

八雲も立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作ろ その八重垣は

※ 阿比留草文字 → 甲骨文字 → 漢字で里帰り


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# by hansaki460 | 2017-06-12 12:29 | 神代文字 | Comments(0)

日本三大弁天とは?

★ 日本三大弁天を、ホツマツタヱ と 先代旧事本紀大成経 から解く。

竹生島【三社弁才天祭】が、6月10日にあるという。

日本 三大弁天 とは、竹生島神社(竹生島), 江島神社(江の島), 厳島神社(厳島) をいう。

弁財天とは一般的に「もとは仏教の守護神で、本地垂迹において、宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命と同一視され、奈良期以降崇敬され続けている神」などと されている。

     ◇

【先代旧事本紀 大成経】にこうある。

大己貴尊、曰わく。この 四の椿国(くいのくに) は何れの神を栖使(しずめまさしむ) や、と。

茲に 久延彦命(ひさのぶひこのみこと) 、曰す。
天祖(あまつみおや) 諸帝(もろうえつかみ) は 天照大神を尊び 賞(いつくしみたまう) 故に、その魂(みたま) を祭り 富主姫尊(とよぬしひめのみこと=フジヒメ) と名(もう) せり。当(この) かみを降(おろ) し住(しずむ) べし、と。

今、降士(ふじ) に在(ま) す神は 人に託(かか) りて、吾が号(かみな) は 千眼大天女(あさまのおおあまのおとめ) と宣えり。

復(また) 四島(金華山・安芸・竹生島・江島)に在(います) 神は 人に託(かか) りて、吾が号(かみな) を 弁才妙天女(べんざいみょうあまのむすめ) と 宣えり。其の威徳は 太(はなはだしき) 神なり。
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また、【ホツマツタヱ】にこうある。

「昔 君 マナヰにありて ミスマルの 珠を濯ぎて
 タナキネを モチに生ませて
 床酒に ハヤコを召せば その夢に 十握の剣
 折れ三割 さがみにかんで(3つが寄り集まって)
 共となる(一つにまとまる)  三人姫生む(そして三つ子の姫を生んだため)
 " タ " の 斎名(タケコ・タキコ・タナコ) 我 穢れなば
 姫を得て 共 恥見ん」と  (以て) 誓い去る
 姫 人成りて オキツ島 サカムヱノ島 イツク島 己からさすらふ
 ( http://c23.biz/BQ4B )
 
【訳文】
アマテル神が、真奈井原に御座しました時、自ら胸の御統(みすまる) の玉を解いて、マナイ(真奈井) の水で 濯(そそ) いだ所、モチコがタナキネを生み、床神酒(ミキ) を飲んで ハヤコと交わったその夜の夢に、十握剣を 三段に折りて 清噛(サガ) みに噛むと 三宝(ミタ) となった。
その後 ハヤコが 三人の娘を生んだので、三女の名の頭にそれぞれ タ(宝) の字 を付けた
三人の姫が成人してからの神名は それぞれ、
 タケコ  沖つ島姫(現・竹生島神社)、
 タキコ  相模江の島(サガムエノシマ)姫
 タナコ  厳島(イツクシマ)姫、です。
 ( http://c23.biz/xsap )

タ(宝) の名のついた姫が坐ます それぞれの神社を、三大弁天という

 これらの話を、関係者等は 知らずにいるのか? 
 知っているのか?
 知っていても 語らないのか?
 将又、忘れ させられたのか?

でも、今日から覚えておいて頂きたい。(^^

【 日本には、悠久なる文明の歴史がある! 】


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# by hansaki460 | 2017-06-06 17:08 | 竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝 | Comments(0)

250年前、神代文字で書かれた『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に…

6月3日(土)、御師の「河口湖 本庄家」で行われた宮崎先生のワークショップ、「アワ歌の謎を解く―本庄家文書より分かった響き合わせの意味」に出席し、大変有意義な一時を過ごさせていただきました。

その時、「本庄家の屋根裏部屋から 約250年前の古文献が出てきた」という文献の一葉を拝見しました。


阿比留草文字と阿波文字の混在した文書ですが、習ったものか それとも記録なのか? しかし元はあったんだろうと思われます。


内容の評価はこれからですが、假名使いなど興味が深まります。
(もしかしたら 古事記の読みに、一石を投ずるかもしれません!)

【古事記】
 夜久毛多都。伊豆毛夜幣賀岐。都麻碁微爾。夜幣賀岐都久流。曾能夜幣賀岐袁。

【通説】
 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を

【本庄家文書】
 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作ろ その八重垣は 

と読めました。

★ ろ(る)と、は(を)のところは、誤字や写し間違いではないと思います。

また、「八重垣」を、古事記では「夜幣賀岐」と同じ文字で書いてあるのを、本庄家文書では、「やえがき」と「やへがき」と、二通りに書き分けられている。

これは、明らかに原本なるものがあったのではないかと思う。

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# by hansaki460 | 2017-06-04 13:31 | 神代文字 | Comments(0)