信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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思兼尊は、前 8~7世紀頃の 人物である。

思兼尊は、前 8~7世紀頃の 人物である。

少し、拙速ではあるけれど、考え方をまとめてみる。

ある方から、HPとブログを見たとき、すぐに熱烈な賞賛をもらった。
だがそのすぐ後に、痛烈な批判が返ってきた。

『これを証明するには、まったく不十分だ。 これからも不可能である。』 と。

理由は明白だった。
彼の立場は、『 天皇家は半島から 来た。』 というものだった。


思兼尊は、検証するに、前 8~7世紀頃の 南九州に生きた実在の人物であると思える。
そして、尊は ”盗まれた神話” のなかに、生きている のだ。

大御食神社の神職家は、天御中主神 高皇産霊 天照大御神 阿智彦・・・阿智宮 大御食神社 とつながる、列島固有の、正統な系列であることの証が、”社伝記-美社神事録”なのである。


その立場において、こつこつと、検証をしていきたいと思っている。

ご賛同の方の ご意見も 賜りたい。
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# by hansaki460 | 2009-02-27 10:33 | Comments(0)

雑感

雑感

壬申の乱の頃、天武天皇の頃、やはり革命にも似た大きな変化が列島を襲ったに違いない。

ここ、信州・伊那谷も例外ではなかった。

阿智宮の移封、善光寺の移転。

諏訪大社の大きな変化もこの頃か?

天武・大海人は、阿海か? それとも大莫離支・蓋蘇文か?


ここのところで、いつもストップしてしまうが、昨日、
『 天武大王の皇位と 権威の確立の為に、天武大王直属の 修験 秘密警察が 誕生した事も 充分に考えられる。』
という、静岡の 未来狂冗談氏の見解が、面白かった。

しばらく 覇権の項は、読書と調べに 没頭か!
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# by hansaki460 | 2009-02-23 18:01 | 地方史から見た覇権の姿 | Comments(0)

”美社神字録”の秘密を解く[2] ”建御名方神のこと”

美社神字録”の秘密を解く[2]
”建御名方神のこと”


建御名方神は、日本神話に登場する神で『古事記』に大国主の子として登場し、建御雷神、経津主神と共に三大軍神の一柱に数えられており、『梁塵秘抄』にも「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」とある。
風の神ともされ、元寇の際には諏訪の神が神風を起こしたとする伝承がある。
また農耕神、狩猟神としても信仰されている。

伝承では、建御名方神は諏訪地方の外から来訪した神で、土着の洩矢神を降して諏訪の祭神になったとされ、諏訪大社ほか全国の諏訪神社に祀られている。

名前の「ミナカタ」は「水潟」の意であり元は水神であったと考えられる。ただし、宗像と関連があるとする説や、冶金の神であるとする説もある。

出自について記紀神話での記述はないが、父・大国主母・沼河比売(奴奈川姫)の間の子であるという伝承が各地に残り、妻は八坂刀売神とされている。

『古事記』では、八千矛神(大国主)が高志国の沼河に住む沼河比売を妻にしようと思い、高志国に出かけて沼河比売の家の外から求婚の歌を詠み、沼河比売はそれに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚した。
また、新潟県糸魚川市に残る伝承でも、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。
『先代旧事本紀』でも建御名方神は沼河比売(高志沼河姫)の子となっている。

『古事記』『日本書紀』の一書や『新撰姓氏録』によると、スサノオの六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。


さて、美社神字録では、景行天皇の御代に、建御名方神の御渡りがあったと記すから諏訪に入る前のことではないだろうか?

そういえば、下伊那には建御雷神と建御名方神が談合した所だという伝承の場所がある。

また、古事記では、思兼尊が天照大神に建御雷之男神を推薦するところがあるが、やはり、阿智彦とは縁のある方には違いない。

そこで私は、建御名方神は、巷間伝わる様なイメージの神ではないのではないかと思っている。
もっと、九州朝,阿智宮に関係のある、むしろ信濃にははじめから縁の深い人物であったのではないかと思い始めている。


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# by hansaki460 | 2009-02-21 10:18 | 神代文字 | Comments(0)

古代文字の真実[6]トヨクニ文字とサンカ文字と中国の絵文字


初めにこれをご覧下さい。
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次はこれです。
戦前まで、実際に使われていたものです。
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これも同じで、書き留めたものです。
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ウエツフミの写真です。
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岩戸蓋石写真(昭和10年撮影)
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トヨクニ文字の読み方です。
カタカナの基だと言うことが、よくわかりますね。

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古代文字は、本当にあったのです。


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# by hansaki460 | 2009-02-21 07:15 | 歴 史 秘 話 | Comments(1)

古代文字の真実[5]”古代文字は皇国史観の産物?”

古代文字の真実[5]
”古代文字は皇国史観の産物?”


以前、大御食神社のある駒ヶ根市の、市史編纂室を訪ねたことがあった。
大御食神社の社伝記”美社神字録”に言及したとき、K氏が言った言葉が忘れられない。

「神代文字は、皇国史観の産物であり、信用できない。」と。

この言葉に代表されるのが、庶民の感覚でしょうか? 

では、皇国史観と古代文字の関係は?

皇国史観とは、
皇国史観(こうこくしかん)は、日本国と日本人は歴代天皇を中心とした国造りが行われ、現代までに到る伝承と歴史が紡がれ継承されて来たとする歴史観。『ウィキペディア(Wikipedia)』
とあります。

しかし、古代文字を否定し、古代文字で書かれた古史古伝書を焚書してきたのは、覇権を持った体制側であった事実を、どう説明のするだろうか!

大陸の史書、旧唐書「日本」の項には、
日本国は倭国の別種なり。・・・・・日本は旧(もと)小国、倭の地を併せたりと。

それに、新唐書には、日本について
・・・・文字あり。・・・・その王、名は阿毎氏。自ら言う、はじめの主を天御中主と号す。彦瀲(ひこなぎさ)に至るまで凡そ三十二世、皆、尊をもって号となし筑紫の城に居す。彦瀲の子・神武たち、更に天皇をもって号となし、わたりて大和州を治す。・・・・・

大陸は、列島の覇権を上記のように見ていたのだ。

日本の古代文字で書かれた古史古伝書には、両唐書に書かれていた裏付けとなる史実が記されていたのです。

皇国史観に反するが故に、古代文字は焚書に遭ったのだ!
古代文字で書かれた古史古伝書は、史実を伝えている!


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青木繁『日本武尊』
倭武尊は、九州朝系の人物。(私は、あえて倭と記します。)

今日の結論。
古代文字は、皇国史観に反する事柄である。


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# by hansaki460 | 2009-02-20 18:33 | 神代文字 | Comments(0)