信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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古代文字に関する ご質問に答えて。

古代文字に関する ご質問に答えて。

ある方からの ご質問です。



従来から古代文字についての疑問に関する質問

①基本的に「いろは」48文字で母音も「あいうえお」になっていること。
②貴写真資料でも 山口県住吉神社の 「スミノエ」 の 「ノ」 及び奈良県大和神社の 「ヤチホコノ」 の 「ノ」 は何れも 万葉仮名の 「乃」 に思える。

この辺りがよく分かりません。



という ご質問に対して。

私は、古代の5母音と 8母音の議論は、まだ勉強不十分なのでわかりません。
そこで 橋本進吉博士の
『 現代とは 全く異なった 子音が 古代にはあった ということではなく、現代より 複雑な 母音の体系が かつて存在した ということらしい。』という前提で、丸山作楽氏の説の 一部を 紹介してみます。
丸山作楽氏が、海江田元老院技官と 明治20年渡欧した折に 碩学スタイン博士と交わした 会話記録です。

スタイン博士が、神代の文字について 説明を 求めた 問いに 答えて
『 ・・・古字に日文、秀眞(ホツマ)、穴市の三種あり、秀眞と穴市とも 伝来の久しきを 持ってすれば、漢籍前後に 於いて、一方に 適用したる者 ならむ。 支那字に 類似せるより。 世人の信を措き難し とするところなり。  -略-
而して 神字五十音は 宇於伊衣阿(ウオエイア)の母音と、宇千由牟布須久奴都流(ウチユムフスクヌツル)の 子音と配合して 声を発し、字を綴れるを 片假音図は 阿伊宇衣於を縦行とし 阿加佐多那波麻耶良和を横行として 悉曇章(梵字)に因りて 位置を変改し、又 習字にも 日文の順次 及び 難波津安積山(ナニハズアサカヤマ)を発して、平仮名色葉歌を用いるに 至れるは 仏式の盛んなる、一時文権を得たるより 馴致したる者なり。-略- 』

すなわち、仏教が入った段階で、古来の発音は 「あいうえお」 に統一されたと、述べてます。 (仏典の学習のためか?)
私見ですが、文字や発音に限らず、全てのものが、白村江の戦いで敗退した時以降、唐及び 高句麗のGHG・進駐軍の 藤原一族と その官僚 及び 仏教学者等によって、太平洋戦争 敗戦後、アメリカナイズした以上の変化があったのではないか、と思います。

ここでは、何故それ以前のもので研究されていないのか?ということになりますが、美社神字録では、3世紀から10世紀頃までのことが古代文字で記されており、10世紀ころの発音で書かれていても、(古代文字は表音文字ですから)何の不思議はないと思います。
倭武尊は 「 ヤマト タケ ノ ミコト 」 と書いてあります。 「 タケル ノ ミコト 」 ではありません。
又、天皇は 「 テムノウ 」 と記されています。

「 ノ 」 が 「 乃 」 になっている件は、私もそう思います。(笑)
古代文字には、あひる草文字に似た文字で、阿波文字というものもあります。 伝承の過程で、変遷したのではないか?
文字は変わっています。甲骨文字から金文・多くの書体を経て漢字へ。
古代文字は、甲骨文字・金文の頃の形が 読み取れますが、これがお手本だ、というものが 有ったのではないのだろうと 思います。
甲骨文字が漢字へと 変遷していく 過程と似ているところが有ったと思います。
中国で 漢字が 簡体字に変遷したのは ごく最近です。
ということで、よろしいでしょうか。

古事記は まだしも、日本書紀の 呪縛の 解けない 現在の史観の中では、なかなか議論が展開しません。
ちなみに、明治時代 ドイツのケムペルマンは、「神代文字」と題する 堂々たる論文をドイツ協会雑誌に 発表していますが、わが国の 誰ひとりも 批評をしていないとのことです。
近年では、吾郷清彦氏などが 著名です。
私も少しずつですが、前進していきたいと思っております。

今後のHPをご支援下さい。
HPで発表した以上、上記のような質問にも、わかりやすくお答えするのが責務かと思います。
その姿勢でおりますので、今回はこの程度でお願いします。



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# by hansaki460 | 2009-03-16 19:01 | 神代文字 | Comments(1)

蟻通神社

蟻通神社

蟻通神社なる神社が、複数存在します。

枕草子に ありますが、
 孝行ものの 中将が、当時 老人を棄てる 定めがあった にもかかわらず、家に ひそかに かくまって 親孝行の 誠を 尽くしていた。 その時、唐土の皇帝が 日本を 掠め取ろうと、難題を 突きつけてきた。

一つは 「 本末同一の 太さの木の 棒の、根元と末を 見分けること 」、
二つは 「 二匹の 蛇の雌雄を 見分けること 」、
三つは 「 七曲に くねった 小さな 管玉に 糸を 通すこと 」。
時の帝は、知恵者を 呼ぶが 誰も 答えることが できず、困り 果てて いたところ、かの 中将が、匿っている 親に 教えられ 難問を 解決し、老人を 棄てる 法を 改めるようにして 貰った。
三問目の解決法は、大きな蟻に 糸をつけて 穴に入れ、もう一方の 口に 蜜を塗っておく。
蟻は 蜜の香をかいで 七曲の玉を 通り抜け、玉に 糸を通すことが できる。

 さて、その人の 神に なりたるにや あらん、その神の 御もとに 詣でたりける人に、夜 現われて 宣たまへりける
   七曲(ななわだ)に まがれる玉の 緒をぬきて 蟻通とは 知らずや あるらん
と 宣たまへり ける、と人の 語りし。
               ・・・・枕草子

思兼尊の話として 伝えられて おります。

いくつかある 蟻通神社のうち、かつらぎ町にある神社の祭神は、思兼尊です。
私は まだ伺ってませんが、吾道彦(思兼尊)が 紀伊にいた 天照大神の妹・和歌姫から 求婚された ところです。

   キシイ(紀州)こそ 妻を身際(みぎわ)に 琴の音(ね)の
       床(とこ)に我君(わぎみ)を 待つぞ恋(こい)しき
      ・・・・回文歌です・

「紀州にいらっしゃい。 私は貴方の 妻になって いつも御身(おんみ)の近くで 琴を奏(かな)でて さしあげましょう。 寝床では いつも我君(わぎみ)を 恋しい思いで お待ちしています」・・・と。

おおらかだったのですね。


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# by hansaki460 | 2009-03-13 20:59 | Comments(0)

戸隠神社をご存じですか?

戸隠神社をご存じですか?

戸隠神社は、長野市にあり、祭神は 天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)、その子・天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)、同じく子・天表春命(あめのうわはるのみこと) ほかです。

「戸隠」の名が 歴史的な文献に 最初に登場するのは 平安時代です。
すなわち、南信州の 阿智神社から 移籍してから、というのが私の主張です。

しかし、地元や 学者の人たちは、戸隠神社は 神代の昔から戸隠にあった と、そう固く 信じているようです。

このことを 指摘する人は 他にいませんが、間違い ないと思います。


神社には、九州の 高千穂神楽も 残っておりますが、これも研究対象です。

私のテーマ・古代文字も 関係してきます。

ぜひ、どなたか反論を!  楽しみにしてます。

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# by hansaki460 | 2009-03-11 08:39 | 地方史から見た覇権の姿 | Comments(1)

名字・苗字の多くが二字の理由

名字・苗字の多くが二字の理由

あるコミュニティ掲示板 に、

『 名字・苗字は、中国も朝鮮も 一文字が圧倒的に 多いが、日本では 圧倒的に 二文字です。 何故?』 

という 質問が あった。
実は、私のテーマの中の ヒントにも なっているので、早速 次のようにコメントした。



名字・苗字の多くが 二字の 理由。
『 和銅六年(713)に 諸国郡郷の 好字化の詔 があり、さらに神亀三年(726)に 国名の 嘉名二字化 の詔 があり、地名の 唐風嘉名化が 八世紀から九世紀にかけて 行われている。
叙位任官とは無縁な 一般民衆には 姓は不必要なものであり、後世の苗字化時代には 嘉名化した居住地名を 名乗ることになる。』
と あります。 この影響ではないでしょうか?

私は、地方史を調べてますが、古地名が これらの影響で、改名されており、記紀以前の地名と 合わないものが あります。

一説に、好字化は、大和朝廷のバックにいる 唐・高句麗系のGHQ・仏教勢力 の 占領政策だ という方もおります。




伊那と、諏訪の境 に ついても、美社神字録では、明確になって いますし、里(郡郷)も 明確です。
HPを 更新する際には、これらも わかりやすく 記載したいと 思っております。
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# by hansaki460 | 2009-03-09 22:12 | 地方史から見た覇権の姿 | Comments(0)

青銅器

青銅器

はじめにご覧下さい。
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銅鐸・青銅器・新羅・倭
鉄器・頭槌剱・大和・
   ・装飾馬具・
いろいろ考えると・・・・眠れない。

いずれにしても、考古学を無視して 古代史は 語れないところまで きている。


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# by hansaki460 | 2009-03-08 07:14 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)