信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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まぼろしの
吾道之宮


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日本書紀には、高皇産霊尊系列を葬ったことを記してある。

日本書紀には、高皇産霊尊系列を葬ったことを巧妙に記してある。

「第九段一書 大物主神を祀った始まり」
高皇産靈尊因勅曰「吾、則起樹天津神籬及天津磐境、當爲吾孫奉齋矣。汝、天兒屋命・太玉命、宜持天津神籬、降於葦原中国、亦爲吾孫奉齋焉。」乃使二神、陪從天忍穗耳尊以降之。

高皇産靈尊は命じた。「わたしは神が宿る『樹』の天津神籬(アマツヒモロキ) と神が宿る『岩』の天津磐境(アマツイワサカ) を立てて、私の孫を祝い祀ろう。お前たち、天兒屋命・太玉命は天津神籬を大切にし、葦原中国に降りて、私の孫を祝い祀りなさい」それで二柱の神(アマツコヤネとフトダマ)を天忍穗耳尊に従わせて地上に降ろした。

ここでは、高皇産靈尊はオシホミミのことを「吾が孫」と書いてある。
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★オシホミノミコの「オシホヰ」には【結び,締め,おしまい,押し迫った所,際,】などの意味がある。
ホツマツタヱでは、『ふちおかあなの おしほゐに うふやのみみに あれませる おしほみのみこ』ホ6=「 (フチオカ端のオシホヰ) で生まれた御子」とする。
すなわち、【最終の御子】という意味が隠れている。

いくつかの証拠の一つではあるが、原日本の勢力が次の覇権に移っていく姿が垣間見える。


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by hansaki460 | 2017-09-23 08:14 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)

葦原中国の平定は、神皇産霊尊系統を葬り去ろうとした事件だった

葦原中国の平定は、神皇産霊尊系統を葬り去ろうとした事件だった

天手力雄神(天手力男命) は、思兼尊(アチヒコ) とワカ姫の子で、斎名をシツヒコ(静彦) と云った。

茨城県那珂市静に、静神社がある。
主祭神は,建葉槌命(たけはづちのみこと)
相殿神に、手力雄命、高皇産靈命、思兼命を祀る。
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『⽇本書紀』 巻第⼆ 神代下 葦原中国の平定にこうある。
「⼆柱(経津主神・武甕槌神) は邪神や草⽊・⽯に⾄るまで皆平らげられた。
従わないのは、星の神の⾹⾹背男だけとなった。そこで武葉槌命を遣わして服
させた。」
すなわち 建葉槌命=武葉槌命は、星神香香背男(ほしのかがせお) を征服した神が主祭神で、討たれた側が相殿に祀られる。。

手力男(静彦) には、いろんな側面がある。
・天背男命=天津甕星=手力男命(戸隠神社鎮座考:宮㟢信友)と云う説や、
・神皇産霊尊-角凝魂命 ─手力男(伊佐布魂命) ─天底立命-天背男命-天日鷲翔矢命、という系図があるという。

ここに大きな征服の歴史が隠されている。

経津主神・武甕槌神と武葉槌命は、天背男命=天津甕星=手力男命を討った。
討たれた手力男(静彦) を祀る神社の主祭神になりすました。
また武甕槌は、甕星を追撃したとする名を堂々と名乗る。

★高皇産靈命、思兼命、手力雄命の系列を葬ろうとした歴史が存在するのである。


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by hansaki460 | 2017-09-22 09:37 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)