信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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まぼろしの
吾道之宮


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国維椿(国つなぎの杭) と、四椿(四つの杭) と、弁財天の話。

国維椿(国つなぎの杭) と、四椿(四つの杭) と、弁財天の話。
(先代旧事本紀と、ホツマツタヱの接点で読み解く

1995年、韓国金泳三政権が行った「鉄杭除去事業」なるものがあった。
これは「鉄杭は、日帝が国土の血脈遮断のために明堂の穴に鉄を溶かして注いだもので、政権が鉄杭除去した」と云うのである。

「鉄杭は、白頭山から入る気の脈を切る目的で、漢江の力を殺そうとした」
「民族抹殺政策の一環で日本人たちは私たち民族の精気と脈を抹殺しようと全国名山に鉄杭を打ち込んだ。」などと韓国社会では信じているという。

しかしそれら鉄杭の場所は、測量基点に活用される大三角点・小三角点の場所と相当部分一致していた。

     ◇

さて、韓国政府が動くほどの「杭」の噂とは、どこから出たのだろうか?
単なる火病と云えばそれまでだが、深掘りすると興味深い話がある。

宮城県石巻市にある「黄金山神社(こがねやまじんじゃ)」の鎮守として「樁(かなぐい) 神社」なるものがある。
この由来の淵源をたどると、「旧事本紀大成経」に行き着く。

・旧事本紀大成経「鷦鷯伝 巻第八」にこうある。

金を集めるに、岩を練り国辺の海中に立て、以て国維椿(くにつなぎのくい) と為し給う。今陸奥に在る金華山(コガネサクヤマ) は是なり。
又、四の杭を造り、一は四海(よものわだ) の龍神(わだつみかみ) を使て秋津国の …以下略

・即ち、金華山には 国維椿(くにつなぎのくい) を、また、美寵(いつく) 島・千蔵生(ちくぶ) 島・降士嶽(ふじのみたけ)・得瑞(えの) 島、には、四椿(四つのくい) を立てた

・・・金煉岩立国辺海中以為維国椿比島春美咲金花 今在奥国金花山是也
又造四椿一者使四海龍神立秋津国中津国今在秋国美寵島是也

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国維椿(くにつなぎのくい) は、大己貴尊[=タナコ(市杵島姫) の夫] が立てた。

四椿(四つのくい) は、それぞれの姫が立てた。
 美寵(いつく) 島 = 厳島 :タナコ(市杵島姫) ・大己貴の妻
 千蔵生(ちくぶ) 島 = 竹生島:タケコ(奥津島姫)
 降士嶽(ふじのみたけ)=イハナガ(磐長)姫・ハヤコの転生(冨士山小御嶽神社)
 得瑞(えの) 島 = 江ノ島神社:タキコ(江島姫)
(※ハヤコは、タケコ・タキコ・タナコの母で、ソサノヲに斬られオロチとなった。)

不思議なことに、これらは素戔男尊を恨んでいるはずの女性たちだ。(^^

また【日本五大弁財天】も、
「大和国―天河神社:奥社弥山神社」タナコ
「安芸国―厳島神社:大願寺」、  タナコ
「近江国―竹生島神社:宝厳寺」、 タケコ
「相模国―江島神社:弁財天」、  タキコ
「陸奥国―金華山黄金山神社」、  タナコの夫 大己貴尊
となっている。
この話も「弁財妙天女」として、旧事本紀大成経「鷦鷯伝 巻第八」に記されている。

韓国の杭騒動と関係があるかどうかは知らねども、面白い話である。

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by hansaki460 | 2017-05-31 00:47 | 竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝 | Comments(0)

まぼろしの吾道家 (2)

吾道家が伝えてきた【 霊宗道 】とは?

大御食神社の社伝記の記述の最後は村上天皇・天暦五年(951) 、阿智神社の社家が戸隠に移遷したのも同じ時期である。このことは、国の覇権が藤原氏のものとなっていったことに深く関わる。

■ 藤原氏の支配

伝教大師(最澄) が神坂峠を越えて信濃に入ったのは、弘仁8年(817)。そして広拯院(布施屋) を建てた。(叡山大師伝)  その後伊那谷には天台(比叡山) の寺が次々と建てられていった。

長岳寺が 弘仁年間(810~824) に、仲仙寺は 弘仁七年(816)に、光前寺が 貞観二年(860) に、そして瑠璃寺が 天永三年(1112) に、それぞれ創建され併せて荘園が設けられた。藤原氏は天台の仏教により伊那谷を支配していったのだ。

『今昔物語集』の「信濃守藤原陳忠落入御坂語」に、藤原氏一族の強欲ぶりが揶揄されている。
受領の信濃守藤原陳忠は、赴任の帰途の御坂峠で馬ごと谷に落ちたので 従者が谷を覗き込むと 篭を降ろせと声をかけてきた。言われるとおりに篭を降ろして引き上げると 本人ではなく平茸が篭に積まれていた。従者が呆れていると「受領は倒るるところに土をつかめというではないか」と言い放った。
・・・という。これは、当時の受領の有り様を物語る逸話だ。

■ 阿智神社神官の戸隠移遷

藤原氏が伊那谷を席巻し始めた頃の 文徳斉衡三年(856)、吾道之祝となった千幡彦のあとがなく、十世紀村上天皇の御代千幡彦の裔は 戸隠神社へ移ってしまう。

その後 十四世紀になり、別裔(大御食神社社家) の「常方」が阿智祝部を継ぎ、同時に大御食神社に於いて吾道家を継いだと思われるが、おそらくこれ以降、東嶺円慈和尚が探し当てるまでの間、阿智には吾道家の姿かたちはなかったであろうと思われる。それ故に吾道家は存続して来られたのかも知れない。

■ 吾道宮縁由
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それでは何故に吾道家は抹殺されたのか?

・『先代旧事本紀大成経』鷦鷯伝 巻十五 神皇本紀 上巻下 に こうある。
宗源(かんつもと) は正(まさごと) の至(きわま) り、斉元(かんついみ) は淳(きよき) の至(きわま) り、霊宗(かんつむね) は誠(まこと) の至(きわま) りにして三伝は総て敬(けだか) し。

・また『先代旧事本紀大成経』 七十四巻の天神本紀(九・十巻)には、
霊宗の天心、三神・三部の伝 (即ち是、天思兼命は 霊宗伝、天物梁命は 宗源伝、天太玉命は 斉元伝なり) 、天孫(亜肖気[ににぎの] 神を称す) 降臨し、日祚(あまつひつぎ) 璽(かんみしるし) を授け、元武神 (武霊雷神[たけみかづちのかみ] ・振威主神[ふつぬしのかみ]) は 祇(くにつかみ) を降し、祇は天(あまつかみ) に伏するの由を明かす。(『神代皇代大成経序』)

・霊宗道(かんつむねのみち) と云うは鎮魂の教えであり、これを伝えてきたのが吾道家だった。
阿智神社に所蔵される、伊豆竜沢寺東嶺和尚著の『吾道宮縁由』は、「本縁」「神書考」「引証」の三部からなり、霊宗道のことが記されている。

三部神道と申すは、
一には宗源道、是は 天物染命(アマツコヤネノミコト) を先祖とする。
二には斎元道、是は 天太玉命 を先祖とする。
三には霊宗道。是は正しく此大神 八意命 是である。
宗源は理りを極め、斎元は事を極め、霊宗は合道、心法ノ極と言って、開天ノ間天神七代ノ旨を説を宗源とし、盛天の時、地神五代の道を説の斎元とし、喪天の世、人皇万代の理を教 を霊宗とする。
次第を言えば、宗源、斎元、霊宗と言っても実は霊宗をもって真実とする。此の霊宗の道を明るめ、知らされれば、宗源、斎元、共に我手に入ら ない。此霊宗は心学にして、天照太神の教え、神道修行の事を司り、凡夫を導て神仙に成れる道である。そのため、此吾道の大神は八百万神の中には第一の智 神、功神、仰き崇むべきの神社である。

このように吾道宮縁由「本縁」では、思兼命を元祖とする 心学(鎮魂) すなわち「霊宗道」の教理を謳い挙げている。

■ 吾道家と伯家神道

Wikipedia によると 伯家神道は、花山天皇の子孫で神祇伯を世襲した白川家によって受け継がれた神道の一流派で、神祇伯には 当初 大中臣氏が、後に藤原氏や源氏など 他の氏族も任じられるようになった。…とある。

古代の神祇伯は、大中臣氏、忌部氏、橘氏が主流であったが、花山天皇の子孫の顕広王が永万元年(1165) に神祇伯に任ぜられて以降、神祇伯を世襲してきた白川家は、吾道家の「霊宗道」の鎮魂の教義を簒奪したのではないのか?

だから18世紀に白川家八神殿の再興以降、吉田家の八神殿代が勅使発遣の祭場として用いられたのに対して、白川家の八神殿代は宮内省代として鎮魂祭の祭場とされたのである。
つまるところ、霊宗道(かんつむねのみち) =鎮魂、禊ぎの教を正統に伝えてきた吾道家の存在は、不都合だったのではないだろか?

伯家神道は、幕末から明治時代にかけて勃興した教派神道(神道系新宗教) 各派にも絶大な影響を及ぼした。幕末には、後の禊教の教祖である井上正鐡 や金光教 の教祖となった川手文治郎らが入門し、また伯家神道の影響を色濃く受けていた本田親徳の説く行法が、大本教の教祖として絶大なカリスマ性を発揮した出口王仁三郎の霊性の覚醒に一役買ったこともよく知られている。

ことほど左様に、伯家神道には絶大な影響力(実力) があったことは、霊宗道の霊宗道たる由縁だからではないかと推察する。
しかし現在、吾道家が存在した赤須の里にはその影もなく、まぼろしと化してしまった。

加えて、日本で一番古い家系である小町谷家は、今になって大御食神社の総代らによってこの地を追われたことは、歴史を知るものにとって痛恨の極みである。

つづく

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by hansaki460 | 2017-05-28 09:27 | 幻の吾道之宮 | Comments(0)

まぼろしの吾道家

吾道家(小町谷神官家) 炎上

「赤須上穂舊記録鈔」によると、天明二年(1782) 八月 赤須村美女ヶ森小町谷神官の屋敷火災にて焼失し、11棟あった家屋が焼失し、全ての文書宝物が失われた。辛うじて神代文字で書かれた年代記(社伝記)の写しが難を逃れ、今に伝わる。

実はこの火災の起きた前年の 天明元年(1781) に、白隠慧鶴の高弟で 伊豆三島の龍沢寺創建をなした 東嶺円慈和尚は、30年間探し求めた阿智神社を見つけて「神供霊祭」を執り行っていたのだ。

この「神供霊祭」を執り行ったことにより、今まで歴史に翻弄され 隠れるように過ごしてきた吾道家が 権力側に知られるところとなり、吾道家の存在が不都合な勢力に消されてしまったのだった。

じつは東嶺円慈和尚が阿智神社を探していた経緯には、次のような大きな理由があった。

先代旧事本紀大成経事件

延宝7年(1679)、江戸の書店で『先代旧事本紀大成経』(七十二巻本) と呼ばれる書物が発見された。
その中身は「伊雑宮が日神を祀る社であり、内宮・外宮は星神・月神を祀るものである」というものであり、内宮・外宮の神職は幕府に詮議を求めた。

幕府は、天和元年(1681) に大成経を偽書と断定。版元「戸嶋惣兵衛」、出版を持ちかけた神道家・永野采女と僧・潮音道海、それに偽作をしたとし伊雑宮の神職らを処罰した。

伊雑宮事件

この事件に先立つ 20年前『伊雑宮事件』が起きていた。
伊雑宮の神職たちは「内宮、外宮は 伊雑宮の分家である」と「伊勢三宮説」をと主張した。

万治元年(1658) 内宮は、伊雑宮の主張を偽作と訴え、結局 朝廷は「伊雑宮は内宮の別宮で、祭神は 伊射波登美命」と裁定した。その結果、幕府は伊雑宮を内宮別宮の一つとして再建した。

しかし、納得できない 伊雑宮の神職たちは、四代将軍・家綱に直訴したが、寛文三年(1663)、神官四十七人が追放された。

東嶺和尚の執念

大成経事件をうけたあと、潮音道海(1628-1695) の伝承者として、白隠慧鶴(1686-1769) の高弟で、伊豆三島の 龍沢寺創建をなした「東嶺円慈和尚」(1721-1792) は、『先代旧事本紀大成経』に記されている 古代六家筆頭の「吾道家」を探した。そして天明元年(1781) 、30年間探し求めた信濃国阿智の地を発見し、そこで「神供霊祭」を行ったのだった。

大成経研究 潮音道海の伝承者であった 東嶺円慈和尚は、その時の気持ちを漢詩に詠んでいる。

人道変遷神道常 (人道は変遷すれども神道は常なり)
霊珠真鏡豈無光 (霊珠真鏡豈に光無しや)
我雖下世一丁禿 (我れ外世(げしょう) の一丁禿(ていとく)なりと雖も)
曽憶上天八意王 (曽て上天(しょうてん) の八意王(やごころのきみ) を憶う)

従嗣神孫已十年 (神孫を嗣ぎしより已に十年)
今晨且喜拝宮前 (今晨(こんしん) 且喜(しゃっき) すらくは宮前に拝することを)
無私天鑑避無処 (無私の天鑑避くるに処なし)
水緑山青吾道顔 (水緑にして山青し吾道の顔(かんばせ))

しかしその時、東嶺円慈和尚が 30年もの年月をかけようやく探し当てたとする吾道家は阿智の地では無く、遠い大御食神社の社家としてひっそりと存続していたが、知るよしもなかった。
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この「神供霊祭」を執り行った翌年の天明二年(1782) 八月、赤須村 美女ヶ森 小町谷神官の屋敷は 火災にて焼失し、11棟あった家屋が全て焼失してしまい、全ての文書宝物が失われてしまった。

この時 古代六家筆頭の「吾道家」は、まぼろしと化してしまったのだった。

これは、三部神道のひとつ、「霊宗道」を伝えてきた吾道家 抹殺の事件であったのだろうと思われる。

つづく

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by hansaki460 | 2017-05-27 17:43 | 幻の吾道之宮 | Comments(0)