信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
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「影武者 徳川家康」の話

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テレビ東京 開局50周年 特別企画番組で「影武者 徳川家康」が放映された。
信州では放送されなかったので、私は FC2動画で見たが、面白かった。
この徳川家康影武者説は、かなり以前からあり、私も興味を持っていた。


まず村岡素一郎が『史疑 徳川家康事蹟』という本を出版して唱えた。
村岡素一郎(1850-1932)はその中で、
『林羅山(1583-1657)の著書『駿府政事録』には、慶長十七年(1612)家康が雑談の席で「私は子供の頃、又右衛門ナニガシ というものに 銭五貫文で売り飛ばされ、九歳から十八歳、十九歳まで 駿府に居たのだ」と語ったという。
家康公は戦国時代よくあった誘拐にあい、売り飛ばされていたのである。家臣達はみなこの話を聞いていた。』

と記す。


また 八切止夫(やぎり とめお、1914 - 1987)は、
『だから 明治新政府が 徳川家へ、「汝その祖宗の地へ戻るべし」と 駿河七〇万石へ移封したのは、家康が 徳川の出だが 浜松の七変化都落に売られてきて育ったのを、薩長は 知っていたからである。』
と言う。

結局、勝海舟ら旧藩臣が「人の一生は重荷を背負って……」といった 家康遺訓 を作っては 各社寺へ奉納し、家康神話を作りあげ、德川家達を 公爵にし、華族会長にまでした。』と加える。

その上で、「家康は 世良田 徳川 の出身だった」という本を出している。

現在、群馬県太田市の世良田徳川には、1644年に建てられた「世良田 東照宮」がある。
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さて、TVドラマでは触れられていなかったが、家康は 上州新田から出た 世良田二郎三郎で、「新田義貞の後裔である」という。

だから、新田義貞 楠木正成を、八切止夫はこう言う。

俗に「徳川家康は 三河の松平元康が名を変えた同一人物で、先祖伝来の三河の地を守った」とされているが、平凡社の事典では
「家康は上州新田から出た世良田二郎三郎で、松平元康とは別人である」ことが示されている。

今と違って江戸時代には【権現さまは世良田】と知られていたから、「新田義貞は 神君家康公の御先祖さまに当たる」というので 代表的な豪傑と奉られた。

明治になると 今度は、明治 新政府の連中に「新田義貞は 徳川の祖 ゆえ 怪しからん」とされて、楠木正成の方が 株が上がった。



ここまで書いたが、実は、「影武者 徳川家康 説」を言い出すと、TVでは 簓者(ささらもの)と言っていたが、水平社の 被差別民らの運動と関わってくるのである。

「家康は 世良田徳川の出身だった」ということは、1924年の、世良田村の 一村民が「俺はボロを着ていても チョウリンボウ(被差別部落民の賤称)ではない」などと発言したことに端を発し、翌年 群馬県 新田郡 世良田村(現・太田市)で起きた 騒擾事件となるのである。

だから前出の、『勝海舟ら旧藩臣が「人の一生は重荷を背負って……」といった 家康遺訓を作っては 各社寺へ奉納し、家康神話を作りあげ、穂川家達を公爵にし、華族会長にまでした。』必要があった と言うのである。

長くなるので、この辺で・・・。(^^






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by hansaki460 | 2014-02-11 18:10 | 歴 史 秘 話 | Comments(10)

素晴らしいやまとことば【ひふみうた】

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万葉集に、柿本人麻呂が詠んだとされる歌があります。

「敷島の 大和の国は 言霊の 幸はふ国ぞ 真幸くありこそ」
(日本は 言葉の霊が 幸運ぶ 我の言葉で 幸せにあれ)


また 古神道には、太祝詞「ひふみ…天地の歌」などの「数の理」があります。
それは、やまとことばの「数」にも、言霊が宿っているというものです。
(このことは、また機会がありましたら・・・。)


さて、日本の古来からの数の数え方が、「あめつちの数歌」というものに出てきます。

ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり、もも、ち、よろづ。

この数の数え方は、古伝によるとまず、竹内文書の中の「上古第二十代天皇」にあたる「惶根王身光天津日嗣天日天皇」の項に、

「即位五十億年、イヤヨ月円五日、詔して四十七音文字言歌を作らせ給う。ヒフミ伝の始めなり」とあり、「ヒフミヨイムナヤコトモチロラネ……」

と神代文字により「ヒフミ神言」が記載されています。


また、物部の史書という『先代旧事本紀・天神本紀』に

ニギハヤヒ が、オシホミミ の勅命を受けて天孫降臨するとき、ニギハヤヒ に「十種の神宝」を授け、

「もし痛むところあらば、この十宝(とくさのたから)をして、
一(ひと)、二(ふた)、三(み)、四(よ)、五(いつ)、六(む)、七(なな)、八(や)、九(ここの)、十(たり)
と言いて布瑠部(ふるへ)。ゆらゆらと布瑠部。
かく為(な)せば、死(まか)れる人は返りて生きなむ」


と詔したとある。

     ◇

では、数の言霊(ことだま)とは、どう理解したら良いのか?

言霊の波動とか、霊的な意味について、私は門外漢ですが、言葉の意味を考えて見ました。


1:ひ・ひと(秀・至) 
他にはないこと。他に逸れないさま。一途なさま。(心に)合わすさま。起こり。始まり。現れ。陽+陰。顕現。

2:ふ・ふた・ふつ 
合うこと。合わすもの。隔たりを詰める(塞ぐ)もの。陽陰が合うこと。陽陰が揃うこと。

3:み・みつ 満つ (父と母と子)
充つ・満つ・・全つ・実つ

4:よ・よつ
「よつ」は「よつ(弥つ)」の名詞形。「熟つ」
「高める・勢い付ける・栄す・熟れさす・優れさす・勝らす・至らす」などの意。

5:ゐ・ゐつ     
(放つ)・出づ・射つ

6:む・むつ
(睦つ)・生つ・産つ・(結つ)・満つ・全つ・悉つ

7:な・なな・なん  
離す・放つ・高める・勢い付ける・栄す・熟れさす・優れさす・勝らす・至らす

8:や・やつ
「やつ」は「やつ(弥つ・熟つ)」がそのまま名詞になったもの。

9:こ・ここ・く 
「ここ」は「こく(上く・高く)」の名詞形。
上・高・輝・貴・高貴・究極・円満・中心。

10:そ・と・とお 十・(達)
「とお」は「とふ(逹ふ)」の名詞形。
「達する・至る・満ちる」などの意


大きな意味があるだろうことは、感じられます。


ほつまつたゑ 解読ガイド http://gejirin.com/index.html を、参考にしました。







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by hansaki460 | 2014-02-02 12:24 | やまと言葉 | Comments(2)