信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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日本の古代には、秘密保護法があった? 「旧約聖書」と「ホツマツタエ」の類似と、伊勢「外宮」の秘密

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はじめに知っておいていただきたいことがあります。

それは、旧約聖書の 天地創造の話と、日本の古伝『ホツマツタエ』の天地開闢の話が、ほとんど同じだと云う事実です。

実は 竹内文献には、ホツマツタエよりも もっと納得がいく(現代の素粒子理論などに類似した)天地開闢の話が出ていますが、このことはまた別な機会に・・・。

では、旧約聖書とホツマツタエを見てみましょう。

旧約聖書

初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ば れた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
・・・以下略

【 要約 】
1日目 暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。
2日目 神は空(天)をつくった。
3日目 神は大地を作り、海が生まれ
    地に植物をはえさせた。
4日目 神は太陽と月と星をつくった。
5日目 神は魚と鳥をつくった。
6日目 神は獣と家畜をつくり、
    神に似せたをつくった。
7日目 神は休んだ。


ホツマツタエ

【 要約 】
① アメノミヲヤ(大宇宙の根源の意識)の
 「生の一意気(意志・念い)」は 天元神を生む。
  天元神のエネルギーは陽(昼)と陰(夜)に分離し、【 陰陽 】
② さらに陽は空・風・火、陰は水・埴に分れる。【 五行 】
③ 水・埴は地球をつくる。
④ 陽の核はとなり、陰の核はとなる。
⑤ 天元神は歳徳タマメを生み、タマメをして
 「キ・ツ・ヲ・サ・ネ」の五座の神を生む。
⑥ 空・風・火・水・埴の5つが交わって、
  地球に初めて (ミナカヌシ) が生まれる。

 ホツマの天元神は、七日目にも休まなかった。(^^


いかがでしょうか? ソックリではありませんか?

そのあとホツマツタエはこう続く・・・・・

⑦ ミナカヌシは地球の八方に万子を生むが、天元神もミナカヌシの子として地上に肉体を持ち、『ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ』の八国 を創る。

⑧ 『ヱの尊』と『トの尊』は日本に生まれ、はじめ『ヱの尊』がヲウミの中央政府を治め、『トの尊』はトシタ国 (ホツマ) を治める。 
以後『ヱの尊』と『トの尊』の尊は交代で世を継ぐ。

⑨ 天に帰って、ミナカヌシと天元神は星とされる。 【 九星 】

⑩ 天元神は人の魂の緒を下し、それで魂と魄と結び合せて、世における人の寿命を得さしめる (天つ政)。

          ◇
 

一方、『カバラ』と云うユダヤ教の思想と、竹内文書の話が類似していることを以前書いた。

[竹内文書を読む-04]天地創造・天界の秘密について、日本の旧約聖書「竹内文書」
          ◇

さて、伊勢市にある神社【豊受大神宮】は、神宮の「内宮」に対して「外宮」と呼ばれる。主祭神は、豊受大御神。

雄略天皇の二十二年 (五世紀)、天照大御神のお告げによって、丹波の国(今の京都府下、天橋立付近)から、この伊勢の国 度会の山田が原にお迎えしたと伝わる。

神殿は、日本最古の建築様式の「唯一神明造」で、ヲコヌシ神の定めた宮造り法により立てられたとする。  
・ヲコヌシ神とは、大地 (土・埴) を治める大国主(大地主)を云い、ニニキネ(瓊瓊杵尊)がクシヒコ(事代主)に与えた名で、君に仕え民を治める物部(守の侍)のことを云った。 

では祭神の「豊受大神」は、古伝ではどう語られるのか?

なぜ、天照大神の御饌、つまり神々にたてまつる食物を司さどっているのか?

          ◇

天地開闢以来、アメノミナカヌシ(天御中主神)からクニトコタチ(国常立尊)と続いていた時代の日本を【トコヨ(常世)クニ】といい、二つの理想の国があった。

それが「ホツマ国」と「ヒタカミ国」であった。


ヒタカミを建国した「ハコクニ(葉木国)」の子「キノトコタチ(東の常立)」は、初代の「タカミムスビ(高皇産霊尊)」となった。

タカミムスビは、「ヒタカミ国を統べる」という意の役職名で、以後十四代続いた。

裔の十四代タカミムスビを「ヒタカミミチノク(日高見陸奥)」と云い、ヤマトタケ(日本武尊)の皇軍に最後まで敵対したが、「オオトモタケヒ(大伴武日)」に論破されて帰順した。 

これによってナコソ(勿来)より北は「ミチノク(陸奥)」と名付けられ、「ヒタカミミチノク(日高見陸奥)」はその国守に任命され、百県の果穂を納めるようになり、これを以ってヒタカミという国名は公式には無くなった。



◆ 詳細は語り尽くせないので、古伝にある 天地創造から天照大神に到る大筋を解説しましょう。


アメノミヲヤ(大宇宙の根源の意識)の「生の一意気(意志・念い)」は 『ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ』の 天元神を生んだ。

やがて 地球に初めて 人 (ミナカヌシ) が生まれ、天元神も ミナカヌシの子として 地上に肉体を持ち、『ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ』の 八国 を創った。

その内の『ヱの尊』と『トの尊』は 日本に生まれ、やがて『ヱの尊』が ヲウミ(近江)の中央政府を治め、『ヱの尊』は トシタ国 (ホツマ) を治めた。

しかし時代が下がると、日本の中央政権たる『ヱ』のトコヨ(常世)神の直系(本家)は 絶えてしまった。

そこで 中央政府の不在という窮状に、『ト』の裔『トヨケ(ホツマ君:豊受大神)』は、トコヨの道 (皇統たる資格) を受けて『東の君』と認定された。

そして、暫定的に ヒタカミを タカマ(中央政府) とし、本家の立場を引き継いで 日本全土を総括していた。

やがて『トヨケ(ホツマ君:豊受大神)』の娘の『イサコ:伊邪那美命(分家)』と、根の国を治めていたアワナギの子の『タカヒト:伊耶那岐尊(別の分家)』を結婚させ、その子を以て 本家とすることで、中央部 (葦原中国) の窮状を救済しようと図った。

そしてアマテルが生まれ、中央政権が復活し、分割統治に陥っていた日本の再統一が成った。


だから結局、日本の中央政権たる『ヱ』のトコヨ(常世)神の直系(本家)は 絶えてしまったことを隠蔽するために、天照大神を日本の根源神の如くにし、しかし、中央部 (葦原中国) の窮状を救済した『トヨケ(ホツマ君:豊受大神)』を、神宮の近くに『外宮』として祀り、神宮の弥栄を 守り続けているのである。


七世紀に古事記は、ここまでの歴史を『神代』として神話の中に隠蔽し、且つ脚色してしまった。

しかし日本の古伝には、お読みいただいた今回の話の 100倍以上の物語り、すなわち 旧約聖書や ギリシャ神話などの神話や歴史以上のものが、実は 存在しているのだ。


そこには、東日本と西日本の秘密や、出雲・物部などの秘密が語られている・・・。


日本には古代から機密保護法があったようです。(^^






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by hansaki460 | 2013-11-27 21:28 | 歴 史 秘 話 | Comments(1)

伊勢の神宮(内宮)は、「さこくしろ の うち宮」

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伊勢神宮の「おかげ横町」付近を、宇治 中之切町という。

その北を 宇治 浦田といい、また神宮の周囲は、宇治 館町と、宇治 今在家町という。 

同じ「宇治」に入る。

宇治は、うち(内)のことである。
(以前書いたことがある)

何の内か? というと、「さこくしろ」の内 なのだ。


では 古伝で言う「さこくしろ」とは 何かというと、強いて表現すれば「栄貴しろ」であり、誤解を恐れず言えば、全世界の中心のことで、「高天の原」のことでもある。

だから神宮は「栄貴しろの 内宮」ということなのである。

(例えば、今でも 松茸などが生える特定の場所を「しろ」とよぶ。)

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「さこくしろ みやうち =うち(宇治)」のある伊勢は、天照大神の生まれた 日向国と同じ、東に海が開けた 日に向かう 太陽信仰(天照大神信仰)にふさわしい地であった。

また列島の中心に位置し、当時まだ「ホツマ国=東国」の勢力が帰順していない事情があり、倭姫命はこの地を日本の中心として選んだ。

そして、古伝に乗っ取り造営した。




一方 記紀以来「さくくしろ」は、五十鈴(川)に掛かる枕詞だとする。

さこくしろ = さくくしろ なのだが・・・・。


『古事記』 邇邇藝命
此二柱神者、拜祭佐久久斯侶、伊須受能宮。


『日本書紀』神功皇后摂政紀
「柝鈴五十鈴の宮」 さくすず・いすずの・みや

とある。


賀茂真淵は「鈴の裂けている口」と解釈し、田安宗武は中国の「釧」のことで金輪だと解釈した。

「釧=くしろ」とは、いわゆる腕輪のことで、金輪の一部を「裂いて」「釧」のようにしたのが鈴だから「裂くくしろ」だとした。

だから以来、古伝が顧みられなかったのである。



本来、五十鈴川は「漱(ススグ)川」であり、「禊(ミソギ)川」なのである。

          ◇

駆け足で、しかも概略を述べただけなので、きっと消化不良だと思うが(^^)、今日 言いたいことは・・・・


伊勢に神宮を祀った倭姫命の 四世紀の時代、確実に古代文字で書かれた古伝書は残っており、だから 神宮の地は 見事に 古伝の通りの作り となっている。

しかし、のちの 古事記・日本書紀編纂の以降は、漢字使用を強制し 古代文字を廃したうえに、古伝を焚書し、来歴が分からなくなってしまった。



しかし現在では、神宮には「伊勢神宮 奉納文 神代文字 保存委員会」が発足したり、また竹内文献や ホツマツタエを読む人が増えてきた。

このことは、日本人の歴史を正しく知る 糧 であるからして、コツコツと読み解いていきたいと思う。

また お付き合い下さい。m(__)m







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by hansaki460 | 2013-11-24 20:09 | 歴 史 秘 話 | Comments(1)

家庭の幸福は、妻への降伏

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安倍 晋三 内閣総理大臣の,

「いい夫婦の日」へのメッセージですが・・・・。


          ◇


明日、11月22日は、「いい夫婦の日」。

「家庭の幸福は、妻への降伏。」

これが我が家の夫婦円満の秘訣です。

家族の支えがあってこそ、男性も女性も良い仕事ができます。

日本の元気は、元気な家庭から。

強い日本を取り戻すベースです。


https://www.facebook.com/abeshinzo


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私は降伏しなかったので、今独りです、(^^;







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by hansaki460 | 2013-11-22 07:11 | 一般 | Comments(0)

晩秋の伊那谷

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     已 秋 聲  ( す で に 秋 )
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  少年易老學難成

  一寸光陰不可輕

   未覺池塘春草夢

    階前梧葉已秋聲




   少年老い易く学成り難し

   一寸の光陰軽んずべからず

   未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢

   階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声



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 月日が過ぎ去るのは思いのほか早いが、
              学問はなかなか成し難い。

 だからこそ、時間を惜しんで学問に励まなければならない。


 ・・・・ わたしはもう、耳順を過ぎて久しいが、

        古代史の学びは、日暮れて道遠し・・・。






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by hansaki460 | 2013-11-20 20:05 | 一般 | Comments(1)

伊邪那岐命以前の時代を 神話に閉じ込めた理由

 
古事記では、伊邪那岐命と伊邪那美命を、別天神五柱(ことあま いつはしら)と神世七代(かみよ ななよ)の神々の最後に配し、日本民族の総氏神とされる天照大神の親とする。

では 伊邪那岐命の頃は いつの話だろうか?

古事記では 神代の時代を簡略化しているが、古伝の竹内文献やホツマツタエ、ミカサ文などは、かなり詳しく記しているから、伊邪那岐命より前の時代のことを推察することが出来る。


「筑紫の 日向の 橘の小戸の阿波岐原」の御池(禊ぎ池)は、伊邪那岐命が禊ぎを行った場所と伝えられ、

「伊弉諾尊が黄泉の国から帰って汚れを祓う 禊ぎの時、多くの神々が生まれ、最後に 左目を洗うと 天照大神・右目を洗うと 月読命・鼻を洗うと 須佐之男命が誕生する。」とされる。

これら簡略化された記紀の記述は、当時の いろんな政治的配慮を重ねた結果だろうが、罪なことをしたものだと思う。(^^

おそらくこの地(宮崎県)は当時、最先進地だったのだろう。
天照大神(大日霊貴)は、この地で生まれたと推定できる。

私は、伊邪那岐命は 紀元前 十世紀前後(三千年ほど前)の頃の人と推定している。
(中国古代では 春秋時代の前ころ、イスラエル王国では ソロモン王が即位したころ。)


ではなぜ記紀は、伊邪那岐命以前の時代を 神話に閉じ込めたのか?

古事記は、天之御中主神を、日本書記では 国之常立尊を最初の神とする。

天之御中主神は「天尊:アメミコト」、国之常立尊は「地尊:クニミコト」とし、だから天皇は 国之常立尊に繋がると 示唆している。


しかし「古伝」によると・・・・・

国之常立尊の裔は、~ 国狭槌尊 ー 豊国主 ー 泥土煮尊 ー 角杙神~
と続いたが、次の「面足尊」で絶えた。

そこで 泥土煮尊は、高皇産霊尊の孫の「天鏡尊」の子・「天萬尊(アメヨロツ)」を養子に迎えた。

その養子・天萬尊の子が、伊邪那岐命の親の「沫蕩尊(アワナギ)」なのである。


だから、古事記が天之御中主神を、日本書紀が国之常立尊を最初の神として、人の世は伊邪那岐命から始まったとしたのは、

【国之常立尊の正統な裔は絶え、養子の孫が伊邪那岐命だと云うことを隠す意図があった】

のでは無いかと、推察するのである。


当時の「高皇産霊尊」は『ミムスビ』ともいい、「ヒタカミ国を結ぶ(統べる)」という意の役職名で、八方の地(地方)を治める君、しかしやはり世嗣の君だった・・・。

もしかしたら壬申の乱(672)は、国之常立尊の正統な、すなわち「面足尊の直系」だという族が名乗り出ていたのか、もしくは「天鏡尊」の裔がその地位を主張したのかもしれない。

だから、古事記 日本書紀と続けて著して、勝者天武の正統性を、国内外へアピールしたのかもしれない。(^^





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by hansaki460 | 2013-11-19 17:31 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)

陰陽五行説の起こりは、日本の【ホツマツタエ】にある。

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日本の古伝「ホツマツタエ」では、大宇宙の根源の意識・創造主を【アメノミヲヤ(天御祖)】といい、大宇宙にあるすべての意識 (魂魄) はアメノミヲヤから分かれて独立したもの (分け御魂)と説明する。

大宇宙の根源のエネルギーは、サムシンググレイト(アメミヲヤ) の ウイノヒトイキ(=原初の生みの意志)により、

(1) 陽と陰に分離し、

(2) 陽は 空・風・火に、
    陰は 水・埴(土)に分れて(=分け御魂)独立したとされる。

( ★ これが陰陽五行説の原型で、大陸に伝わり発展した。)

     ◇

アメミヲヤを中心(中御座)に、【ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ】の八神霊(天元神)を位置し、ト:南、ホ:東北、カ:西、ミ:東南、ヱ:北、ヒ:西南、タ:東、メ:西北、を守らせ、また方位神ともされた。

また、
【ヱの尊】と【トの尊】は日本にあって、始めは
【ヱの尊】が [ヲウミ(近江・中央部)]の中央政府を治め、
【トの尊】が [トシタ国=ホツマ国(日が発する東国)] を治めた。
 そして以後、【ヱの尊】と【トの尊】は、交代で世を継いだ。

因みに、【ヱ】の系統が、イサナギ・イザナミの系統で、【ト】の系統が、高皇産霊神の系統である。(この項つづく)

     ◇

【ヱの尊】と【トの尊】の後に、天御祖の顕現として天御中主が人間として生まれ、やがて裔「クニトコタチ」の分け身の「トシノリタマメ(歳徳玉女)」は、「ヱト守り」としてヤマサ神をうんだ。

ヤマサ(八将神)は 地の十一神から分れ出て、人々の生活 (衣食住) を 火水風の災いから守るために、分担して八方位についた。

1.ウツロヰ (空)  2.シナトベ (風)  3.カグツチ (火) 
4.ミズハメ (水)  5.ハニヤス (土)  6.オオトシ (豊作) 
7.スベヤマズミ (山)  8.タツタメ (鎮火・鎮浪) 

がそれである。

    

ウツロヰ (空)は、「ウツロヰのヲマサ(大将)」とも呼ばれ、これが「大将」と解釈され「大将軍」となった。

平安京ができたときに桓武天皇は、王城鎮護のために平安域の四方に将軍塚(大将軍社)を築き、王城の鎮護とした。
大将軍神社のほとんどは、祭神を「大将軍」=素盞鳴尊としているが、後の時代の改変である。


     ◇


また、白川流神道では「三種の祓」と云うものがある。

三種とは、天津神・国津神・蒼氓(人々)をいい、それぞれの穢れを祓った。

「吐普加身依身多女(ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ):天津祓
 寒言神尊利根陀見(カンゴンシンソンリゴンダケン):国津祓
 祓ひ玉ひ清め給ふ(ハラヒタマヒキヨメタマフ)」:蒼生(あおくさ)祓

ホツマツタエが、厳然として現代に伝えられている証なのである。


     ◇


陰陽五行説、八卦、陰陽道や方位学などは、通説では大陸が発祥であると云うが、何のことはない、日本の文献を調べれば自明の理、日本が発祥なのである。(この項続く)


日本の古史古伝は神代文字で伝えられてきたが、これら日本の古代を抹殺したものは、白村江の戦いで敗れた後、近畿地方では一時的に言葉が変わり地名も好字二字化が進められたように、唐の進駐軍の仕業である。

だから天武天皇即位後には、万葉仮名で描かれた地名が漢字表記とされ、上代特殊仮名遣いの消滅がおこったのだ。

この頃に神代文字が焚書され、我が国の歴史書は漢文で書かれるようになった。





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by hansaki460 | 2013-11-16 13:36 | やまと言葉 | Comments(0)

邪馬台国論争は、唐かぶれの論争!?

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出典は失念したが、江戸時代のある漢学者の話である。

江戸の日本橋から、当時は江戸の外れだった品川へ引っ越したその学者に、「なぜこんな田舎へ来たのか?」と人が問うた。

その、唐かぶれの学者は 見栄を張ってこう答えた。

「唐に四里近い」・・・と。


Wikipediaで、「日本語の起源」を見てみると、
日本語は 系統関係の不明な孤立言語のひとつであり、系統はいまだ明らかになってはいない。
・・・と云いながら、類縁関係が強いと想定される言語をならべ、あたかも 日本語は外から入って来たかのような解説が並ぶ。

アルタイ語族説
朝鮮語同系説
高句麗語同系説
百済語起源説
オーストロネシア語族説
混合言語説
ドラヴィダ語族説
クレオールタミル語説
その他

しかも、縄文語や弥生語についての説はほとんど無い。

弥生時代に日本列島で話されていた言語のうちの一つが今の日本語につながる、と云うのが通説らしい。

これははじめから、弥生人(渡来人)がもたらした言語が日本語だということだ。

まったくふざけた話だ。

中には 地名などを、アイヌ語が起源だとして重視する見方もあり、なぜか人気がある。(^^

結局、日本には言葉はなかった! と言いたげに!!


縄文土器は 約1万6,500年前から、また 槍先型尖頭器の 磨製石器は 3万年前からあり、日本の加工技術が 3万年の歴史がある事の証拠があるのに・・・だ。

加えて言うなら、中国の浙江省の遺跡から約 7千年前の漆椀が発見され、漆は 中国からの渡来品だ とされてきたが、日本では 北海道函館市の垣ノ島B遺跡から 9千年前の 漆塗りの副葬品が発見されている。

つまり、漆の技術は日本で生まれ、中国に伝播した可能性のほうが高いのだ。



最近、日本語は「縄文語」を基層語としている、と云う仮説を研究している方が 発言し始めているが、未だ少ない。

冒頭に述べた、「唐かぶれ=(外国崇拝)」の学者が今でも大半なのだ。

だがしかし・・・・、(^^

古代文字で書かれた大御食神社の「美しの杜社伝記」を調べる中で、日本の神代文字と漢字の元とされる甲骨文字の類似性を指摘した「古代文字便覧」を出してからは、神代文字については偽作だという意見がほとんど無くなった。

合わせて今「やまと言葉」を調べているが、門外漢悲しさで遅々として進まず。(^^;


いや、そんなことではなくて、ひょっとしたら「邪馬台国論争」も、「唐かぶれ」学者のお遊びに過ぎないのではないか?と思い始めてきた。 (バッシングを受けそうだな(^^;)

なぜなら日本の歴史書には無く、2000年近く前の事を記した「魏志倭人伝」にある記述を、あたかも日本建国の一大事の如く論争し、日本の古史古伝を忌み嫌うと云う図式に見えてならないからだ。
(またまたバッシングが・・・・)

ここまで書いて、次に進む勇気が無くなった・・・。(トホホ)

続きはまたの機会に。 m(_ _)m





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by hansaki460 | 2013-11-14 10:07 | 歴 史 秘 話 | Comments(1)

個性を認め合うことと、五行思想・血液型

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五行相生・五行相剋という、五行思想があります。
私は若い頃、亡き師から少しだけ教えて頂きました。

五行思想とは、木火土金水(もっかどこんすい)という要素同士がお互いに「相生」と「相剋」という影響を与え合う、という考え方です。

それぞれの要素を補い、強める影響を与えるものを「相生」、相手の要素を抑え、弱める影響を与えるものを「相剋」といい、それを使い分けることにより、心身の調子を整えることに用いるのが、東洋医学の考え方です。


【五行相生】(Wikipediaから引用)

「木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず」という関係を『五行相生』という。

木は燃えて火になり、火が燃えたあとには灰(=土)が生じ、土が集まって山となった場所からは鉱物(金)が産出し、金は腐食して水に帰り、水は木を生長させる、という具合に
木→火→土→金→水→木
の順に相手を強める影響をもたらすということが「五行相生」である。

【五行相剋】

「水は火に勝(剋)ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つ」
という関係を『五行相剋』という。

水は火を消し、火は金を溶かし、金でできた刃物は木を切り倒し、木は土を押しのけて生長し、土は水の流れをせき止める、という具合に、水は火に、火は金に、金は木に、木は土に、土は水に影響を与え、弱めるということが「五行相剋」である。



一方、現代の社会に生まれた、相性・相克関係の発見もあります。

 → A → O → B → AB → A →

これは血液型から見た、四種相関とでも言おうか、おもり役の関係です。

A型はO型のおもり役に最適。
O型はB型のおもり役に最適。
以下同様・・・。(^^

O型の男性は、A型の女性には頭が上がらない、もしくは甘えられる。
・・・といったような他愛もないことですが、そう言われれば・・・、と感じる人も多いのではないでしょうか。



現役時代、船井幸雄会長から「仕事のルール化」という原理原則を教えられましたが、五行思想も血液型四種相関も、ある種のルール化による生活術です。

師は、血液型の性格判断について、こんなことも言っていました。

「血液型の違いで性格の傾向性が感じられたら、次は各個人個人の性格の違いを感じ取りなさい。それは個性を認め合うことに繋がります」と。


最近、亡き師の著書を読み返しています。






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by hansaki460 | 2013-11-13 08:07 | 一般 | Comments(0)

素晴らしいやまとことば【ほむら(炎)】(大和言葉)

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『炎立つ』(ほむらたつ)というNHK大河ドラマが、20年前に放映されたことがある。

奥州藤原氏の開祖・経清、初代・清衡、第3代・秀衡と4代・泰衡の時代を描いたドラマだった。

ここでは「炎」を「ほむら」と読んでいる。
いやこれは正確ではない。

やまとことばは、漢字が入る前からある言葉だから、「ほむら」に「炎」の字を宛てたというべきだろう。

だから今では、ほむら=炎、という概念(語彙)しか思い到らない。



では「ほむら」とは、どのような言葉だったのか?

「ほむら」は「ほ・むら」と考えられる。

「ほ」は「火」 
「むら」は「村」で、「むらと(村戸)」とも言うが、これは中央(あふみ=アワウミ(淡海:央海))に対して、「対」の意がある。

だから、脊柱の両側にある腎臓を「ムラト」と言う。
(※村戸は「腎」、つまり人の内臓器官、人智を司る器官のことだとされる。 腎臓の古称。一説に、心)



★万葉集から

万葉集巻四 集歌773 大伴 家持

事不問 木尚味狹藍 諸●(弟に草冠)等之 練乃村戸二 所詐來
【こととはぬ きすらあぢさゐ もろとらが ねりのむらとに あざむかえけり】

【事問はぬ 木すら味狹藍 諸●(弟に草冠)等が 練のむらとに 詐むかえけり】

ここでの「むらと」は、人の『心』のことを言っているようだ。



★古伝【ほつまつたえ】から

『臣 常に人の息為を 考えば 騙すは肺 色 腎(むらと)  盗めば肝へ 損なえば 驚く中子 見目に知る』17文

君に仕え民を治める者は、常に人の呼吸(生き様)を考えば、騙すは肺へ、色ごとは腎(むらと)へ、盗めば肝へ(影響し)、損なえば驚く中子(=心臓=こころ)に現れる。

だから、「色情に溺れると 腎(むらと)を損なう」と言っている。


だから・・・

【ほむら】とは、【恋のほのお】のことを 言っているのかもしれない。(^^


          ◇


こう見てきたうえで、『炎立つ』の【ほむら】と読ませる題名が適当であったかどうかを考えて見ると、何時間も、いや何日も楽しめる。(^^


こと程左様に日本語は、やまとことばに 漢字がインストールきされ、途中オランダ語などが上書きされ、今では英語も、どんどんと上書きされている。

だから今、バラエティー番組などで漢字の書き方などをやっているのを見ると滑稽だが、検定などと皆一生懸命に楽しんでいる。


しかし、日本人のこのレベルの楽しみを、かの国ではまるで生き死にの問題のように必死だ。

本当の歴史認識というのは、万年前からの「やまとことば」が生きて居る我が国ににこそ存在しているのではないだろうか?という気がする。

【古代文字便覧】古代文字と漢字の関係 http://c23.biz/sgj3
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by hansaki460 | 2013-11-06 09:23 | やまと言葉 | Comments(0)