信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
e0171497_18581696.jpg


HP
まぼろしの
吾道之宮


e0171497_1725895.jpg

   発売中



 今日も 応援クリック
 ありがとうございます

   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
   にほんブログ村 







google36ed5a3dddf221d0.html
ブログパーツ
以前の記事
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
more...
カテゴリ
全体
やまと言葉
幻の吾道之宮
和歌姫 吾道彦
大御食神社社伝記
神代文字
古代文字便覧 
竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝
歴 史 秘 話
地方史から見た覇権の姿
一般
未分類
最新のコメント
唐・新羅進駐軍の唐側代表..
by 旅人 at 04:53
これが高学年の問題であれ..
by 通りすがり at 02:55
当方のブログに関しまして..
by hansaki460 at 07:23
三毛猫さんが書いているこ..
by moon33magic at 16:05
高良大社とは、朝鮮神社、..
by moon33magic at 11:25
その他のジャンル
外部リンク
記事ランキング
ブログジャンル


<   2013年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

山をなめたらイカンずら!



放射性物質拡散予報図はこちらです
http://taikiosen.blogspot.jp/



伊那谷の子供たちは、中学生になると必ず学校で集団登山をする。

その多くは、中央アルプスの木曽駒ヶ岳(2,956m)だ。

もちろん私も登ったし、子供たちも登った。そして私の亡き両親も・・・。

登山が近づくとカバンの中に重石を入れて学校に通い体を慣らす。

付き添いには、父兄の中から登山のベテランが各クラスに付く。

早朝、まだ暗いうちに学校を出る。家族総出で見送る。

毎年、PTAをはじめ全校あげての行事だ。



木曽駒ヶ岳は、山岳遭難事故を題材とした新田次郎の小説『聖職の碑』で有名になった。

当然その話を学ぶ。

そして、健常者でもつらい登山を、中学生同士が励まし合いながら、体の弱い友達の荷物を分け合い担いで登る。

山頂での感激は、一生の貴重な思い出として、胸に刻まれる。

そしてその苦しかった経験は、それを乗り越えた時に得られる素晴らしい感激の経験と共に、それからの人生の励みになる。


e0171497_1641873.jpg
          【写真】桧尾岳

だから・・・・。


『登山客で同市の加藤典子さんは8人のうちリーダーとみられる男性が「みんな、別れた」と言っているのを耳にした。
8人は30日朝に下山。険しい表情でうつむき、報道陣の呼びかけには答えず足早に県警駒ケ根署に向かった。』

という記事に、怒りを覚える!

行動は、共にしなければ・・・・。



山男はやさしい。

何故か?

自然の前には人間なんか、たち所がないと言うことを知っているから・・・。


山を、自然をなめたらイカンずら!




[PR]
by hansaki460 | 2013-07-30 16:44 | 一般 | Comments(0)

今年は残雪が・・・。

放射性物質拡散予報図はこちらです
http://taikiosen.blogspot.jp/



今年の残雪は、普段より多い気がする。

蝉も未だ鳴かない。

なにか、変な気がする。  天変地異でもあるのかな?



追信

今日(7月22日)散歩に出たら、耳を突き破る様な 蝉の鳴き声がしました。

昨日まではなんだったのでしょうか?(^^;



e0171497_19143867.jpg
梅雨明けの駒ヶ岳カール


[PR]
by hansaki460 | 2013-07-20 19:17 | 一般 | Comments(3)

やはり、伊那谷は「風の谷」だった!

やはり伊那谷は「風の谷」だった!

伊勢津彦は風の神であり、むかし信濃国へ渡ったという話があります。

伊勢津彦とは、『伊勢国風土記』逸文に見える 神武朝の神。

伊賀の 安志(あなし)の社に坐す神・出雲神の子・またの名を出雲建子命、天櫛玉命。石で城を造って居住していました。

神武が派遣した天日別命に、「国土を献上するか」と問われ、「否」と答え、伊勢を風濤に乗じて自ら去りました。

その後の、補の文に「近くは 信濃国にいる」とあります。


江戸の国学者・伴信友は『倭姫命世記考』でこう述べています。

伊勢津彦は 出雲神で 伊勢を領していた。

建御名方神は 一旦 伊勢津彦を頼って伊勢に逃れ、その後 信濃に去った。

だから 伊勢津彦は、その後に 信濃に逃げられた。

・・・・・

古代文字で書かれた「美しの杜伝記」には、こんなことが記されています。

允恭天皇の御代、秋文月、十一日より 嵐風 疾(とき)雨降りて 五日五夜 来よりて 小止まず。
故に 八十上津彦、大御食ノ社 神の前に御祈りするに 神 告げて詔り給はく、
大草ノ里 黒牛に坐ます 風の神の祟りなり。 この 神実(かみざね)を祀らば 穏(おたひ)ならむ」
と、現(おつつ)に 詔り給えり。

大草ノ里の長 武彦、岩瀬、阿智ノ宮主 牛足彦と共に議りて、種々の物を捧げ奉りて 称辞(たたえごと)申し給ひしかば、風なぎ 雨 止みて 穏になりけり。

七日の次の日 空晴れて 日の御影 明らかなり。


すなわち 伊那谷の大草の里(現 中川村)に 風の神がいます・・と。
e0171497_434324.jpg
        中川村 黒牛の「風の三郎神社」

・・・・・

小町谷家は、我が里・大御食神社の社家です。

『百家系図稿』に、その「小町谷」系図、があります。

その系図に、八意思兼尊の子・天表春命の子として「大久延建男命」という人がいます。

そして、「大久延建男命」の添え書きに、
 
「建御名方命 諏訪に到り給いとき 大草に到座 大久延建男命と云う者あり」
e0171497_4442488.jpg
とあり、建御名方命とのかかわりが見て取れます。

これを見たとき、「この方が、伊勢津彦ではないか? でもそうなると、小町谷系図なるものの 信憑性が・・ 」と、考え込んでしまいました。

いろんな思いが 頭の中を駆け回っていますが、

① 伊勢津彦は 風の神 とされ、出雲神の子で又の名を 出雲建子命と云い、信濃に去った、とあり、

② 方や、大草ノ里には「黒牛に坐ます風の神」がおり、

③「小町谷」系図には「建御名方命 諏訪に到り給いとき 大草に到座 大久延建男命と云う者あり」

などとあることから、やはり、伊那谷は「風の谷」だったんだ!

[PR]
by hansaki460 | 2013-07-07 04:49 | 歴 史 秘 話 | Comments(3)

そこここにいる菩薩たち。

e0171497_134136.jpg私が所属するあるSNSの仲間のブログを紹介します。
介護を職とする彼女は、本当のプロです。私には、菩薩に思えます。

【ある日のブログ】

「何時死んだ!!!」

毎日、お世話をする95歳K氏、毎回違う形で攻めて来る(^^)。昨日は最初から超不機嫌、相手をせず黙って台所で仕事をしていたら、プイっと居間へ移動した。

しばらくして、居間で「何だ!!この写真は・・・!!!」と喚いている。
台所へ足音荒く来ると「ばあさん、何時死んだ!!!!」
しばらく呑み込めず唖然、頭の中で????そうか、仏壇の中の奥さんの写真を言うのかと納得、

「10年前ですよ」
「ナニオ--!!さっきまで居たじゃないか!!」

もう話にならないので、せっせと台所磨き、文句を言う為に文句を言う材料を探し、返事に文句を付けるパタ-ンだ。
毎回違うパタ-ンで来るので、それなりに対応するが今日は捻って来た。

つづきを読む
[PR]
by hansaki460 | 2013-07-04 09:19 | 一般 | Comments(0)