信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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山をなめたらイカンずら!



放射性物質拡散予報図はこちらです
http://taikiosen.blogspot.jp/



伊那谷の子供たちは、中学生になると必ず学校で集団登山をする。

その多くは、中央アルプスの木曽駒ヶ岳(2,956m)だ。

もちろん私も登ったし、子供たちも登った。そして私の亡き両親も・・・。

登山が近づくとカバンの中に重石を入れて学校に通い体を慣らす。

付き添いには、父兄の中から登山のベテランが各クラスに付く。

早朝、まだ暗いうちに学校を出る。家族総出で見送る。

毎年、PTAをはじめ全校あげての行事だ。



木曽駒ヶ岳は、山岳遭難事故を題材とした新田次郎の小説『聖職の碑』で有名になった。

当然その話を学ぶ。

そして、健常者でもつらい登山を、中学生同士が励まし合いながら、体の弱い友達の荷物を分け合い担いで登る。

山頂での感激は、一生の貴重な思い出として、胸に刻まれる。

そしてその苦しかった経験は、それを乗り越えた時に得られる素晴らしい感激の経験と共に、それからの人生の励みになる。


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          【写真】桧尾岳

だから・・・・。


『登山客で同市の加藤典子さんは8人のうちリーダーとみられる男性が「みんな、別れた」と言っているのを耳にした。
8人は30日朝に下山。険しい表情でうつむき、報道陣の呼びかけには答えず足早に県警駒ケ根署に向かった。』

という記事に、怒りを覚える!

行動は、共にしなければ・・・・。



山男はやさしい。

何故か?

自然の前には人間なんか、たち所がないと言うことを知っているから・・・。


山を、自然をなめたらイカンずら!




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by hansaki460 | 2013-07-30 16:44 | 一般 | Comments(0)

今年は残雪が・・・。

放射性物質拡散予報図はこちらです
http://taikiosen.blogspot.jp/



今年の残雪は、普段より多い気がする。

蝉も未だ鳴かない。

なにか、変な気がする。  天変地異でもあるのかな?



追信

今日(7月22日)散歩に出たら、耳を突き破る様な 蝉の鳴き声がしました。

昨日まではなんだったのでしょうか?(^^;



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梅雨明けの駒ヶ岳カール


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by hansaki460 | 2013-07-20 19:17 | 一般 | Comments(3)

やはり、伊那谷は「風の谷」だった!

やはり伊那谷は「風の谷」だった!

伊勢津彦は風の神であり、むかし信濃国へ渡ったという話があります。

伊勢津彦とは、『伊勢国風土記』逸文に見える 神武朝の神。

伊賀の 安志(あなし)の社に坐す神・出雲神の子・またの名を出雲建子命、天櫛玉命。石で城を造って居住していました。

神武が派遣した天日別命に、「国土を献上するか」と問われ、「否」と答え、伊勢を風濤に乗じて自ら去りました。

その後の、補の文に「近くは 信濃国にいる」とあります。


江戸の国学者・伴信友は『倭姫命世記考』でこう述べています。

伊勢津彦は 出雲神で 伊勢を領していた。

建御名方神は 一旦 伊勢津彦を頼って伊勢に逃れ、その後 信濃に去った。

だから 伊勢津彦は、その後に 信濃に逃げられた。

・・・・・

古代文字で書かれた「美しの杜伝記」には、こんなことが記されています。

允恭天皇の御代、秋文月、十一日より 嵐風 疾(とき)雨降りて 五日五夜 来よりて 小止まず。
故に 八十上津彦、大御食ノ社 神の前に御祈りするに 神 告げて詔り給はく、
大草ノ里 黒牛に坐ます 風の神の祟りなり。 この 神実(かみざね)を祀らば 穏(おたひ)ならむ」
と、現(おつつ)に 詔り給えり。

大草ノ里の長 武彦、岩瀬、阿智ノ宮主 牛足彦と共に議りて、種々の物を捧げ奉りて 称辞(たたえごと)申し給ひしかば、風なぎ 雨 止みて 穏になりけり。

七日の次の日 空晴れて 日の御影 明らかなり。


すなわち 伊那谷の大草の里(現 中川村)に 風の神がいます・・と。
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        中川村 黒牛の「風の三郎神社」

・・・・・

小町谷家は、我が里・大御食神社の社家です。

『百家系図稿』に、その「小町谷」系図、があります。

その系図に、八意思兼尊の子・天表春命の子として「大久延建男命」という人がいます。

そして、「大久延建男命」の添え書きに、
 
「建御名方命 諏訪に到り給いとき 大草に到座 大久延建男命と云う者あり」
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とあり、建御名方命とのかかわりが見て取れます。

これを見たとき、「この方が、伊勢津彦ではないか? でもそうなると、小町谷系図なるものの 信憑性が・・ 」と、考え込んでしまいました。

いろんな思いが 頭の中を駆け回っていますが、

① 伊勢津彦は 風の神 とされ、出雲神の子で又の名を 出雲建子命と云い、信濃に去った、とあり、

② 方や、大草ノ里には「黒牛に坐ます風の神」がおり、

③「小町谷」系図には「建御名方命 諏訪に到り給いとき 大草に到座 大久延建男命と云う者あり」

などとあることから、やはり、伊那谷は「風の谷」だったんだ!

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by hansaki460 | 2013-07-07 04:49 | 歴 史 秘 話 | Comments(3)

そこここにいる菩薩たち。

e0171497_134136.jpg私が所属するあるSNSの仲間のブログを紹介します。
介護を職とする彼女は、本当のプロです。私には、菩薩に思えます。

【ある日のブログ】

「何時死んだ!!!」

毎日、お世話をする95歳K氏、毎回違う形で攻めて来る(^^)。昨日は最初から超不機嫌、相手をせず黙って台所で仕事をしていたら、プイっと居間へ移動した。

しばらくして、居間で「何だ!!この写真は・・・!!!」と喚いている。
台所へ足音荒く来ると「ばあさん、何時死んだ!!!!」
しばらく呑み込めず唖然、頭の中で????そうか、仏壇の中の奥さんの写真を言うのかと納得、

「10年前ですよ」
「ナニオ--!!さっきまで居たじゃないか!!」

もう話にならないので、せっせと台所磨き、文句を言う為に文句を言う材料を探し、返事に文句を付けるパタ-ンだ。
毎回違うパタ-ンで来るので、それなりに対応するが今日は捻って来た。

つづきを読む
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by hansaki460 | 2013-07-04 09:19 | 一般 | Comments(0)