信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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身近にある『古代史の真実』 (「ほつまつたゑ」の伝える史実)

身近にある 『 古代史の真実 』 
        「ほつまつたゑ」 の伝える 史実

秀真伝(ホツマツタエ) 』 と言う 古史古伝書 が あります。
「 ホツマ文字 」 とか 「 ヲシテ 」 と呼ばれる 古代文字で書かれています。
学会における 定説は、神代文字の一種により 記述されている文書 ということで、偽書である と されています。
しかし、郷土に伝承する史跡 の 多くは、こうした 偽書とされる 『 古伝書 』 に その由来が 書かれているのです。

◎ 私の ライフワークの、
天八意思兼命 (あめの やごころ おもいかねの みこと)」
は、記紀によると、天照大神が岩戸隠れの際、集まった八百万の神に アマテラスを岩戸の外に出すための知恵を授け、また葦原中国平定では、葦原中国に派遣する神の選定を行いました。
その後、天孫降臨では、尊は瓊々杵尊(ににぎのみこと)に随伴しました。

◎ 前述の 『ほつまつたゑ』 は、思兼命の生涯を詳しく記しています。
例えば、滋賀県の 『伊勢遺跡 』 は、弥生時代後期中頃から急激に発達した大規模集落 ですが、『 ほつまつたゑ 』には、
「 和歌姫・思兼尊夫妻が結婚後に、野洲川べりに移り住んで宮を構えて、日嗣(ひつぎ)の皇子 忍穂耳尊(シホミミ)の御子守をした 」
と伝承されています。
そして 「尊の死後、信濃の伊那洞 に埋葬された 」と、書かれています。

◇ ほつまつたえ 天の巻10 ・http://gejirin.com/hotuma10.html
【 ・・・・・   サキニミコモリ ( ・・・・   先に御子守 ) 】
【 オモイカネ シナノイナホラ  ( 思兼  シナの伊那洞 ) 】
【 アチノカミ  ・・・・・・・   ( アチの神   ・・・・   ) 】

《 訳 》 ・http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya10.html
 思兼命は、妻シタテル姫(アマテル神の姉)と共に、ヤスカワ宮(野洲川、滋賀県)で 東宮(皇太子)であるオシホミミの御皇子守(ミコモリ)役をしていましたが、死後 アチノ神(阿智神社、阿智村)の神名を送られて、信濃のイナホラ(伊那洞)に葬られ神上がりました。
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                                 《 伊那洞の位置 》

◇ では、その現地・伊那洞では、どう伝わっているのでしょうか?

 現地の案内板には、
 『 式内 阿智神社 元宮の磐座(いわくら) 
  磐座のあるこの小山は、昔から『 河合の陵 (みささぎ) 』と呼ばれる。
  ・・・ この巨石が、社殿の発達する以前、阿智族の守護神であり、祖先神である
  八意思兼神、その御児 天表春神の二神の神霊を迎えて祭りが営まれた
  式内 阿智神社の元宮である。  ・・・・ 以下略  』
 とあります。

事実は 『ほつまつたゑ』 に記されている通りの史跡となっているのです。
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                  《 伊那洞にある、思兼尊の墓 》

◎ また例えば、神代文字で書かれた社伝記が伝わる、美女ヶ森の『大御食神社
  でも、神代文字を『偽物』扱いをしているのに、唯一残る、古代文字で書かれたこの
  社伝記の内容を拠り所に、神社を奉っています。
  全国の多くの史跡や神社は、こうした矛盾と偏見の中で伝承されています。

◇ この 原因は、
 ① 記紀の成立以後、大和朝廷の史観に合わせさせられた。
 ② 江戸から明治に、国学によって歴史の内容が、かなり矮小化されてしまった。
 ③ 戦後、皇国史観という名の元に、古代史が抹殺されてしまった。
 等々によると思われます。

ですから、偽書とされている古史古伝の中に、真実は隠されています。
by hansaki460 | 2010-03-16 12:15 | 地方史から見た覇権の姿 | Comments(0)