信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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日本武尊

日本武尊

◎ 昔、4世紀頃、倭建命という偉人がいました。 大国主命と呼ばれる方と同じ時代です。
 倭建命は 『ヤマトタケ』 と読みます。 長野県の県歌 「信濃の国」 でも 『やまとたけ』 と歌います。

 日本書紀では 『日本武尊』、古事記では 『倭建命』 と書かれ、10世紀に古代文字で書かれた(書き写された?) 大御食神社の社伝記 ”美社神字録”でもやはり 『ヤマトタケ』 と 記されています。
『ヤマトタケル』 と読みはじめたのは、江戸時代後期の国学者、伴信友からです。

◇ 伊那谷・赤須の里の大御食神社社伝記には、倭武尊は、赤須彦の娘 『押姫』 と、三日過ごされたと、書かれており、別れ際には、
「 二夜三夜、二人寝しかも、飽かずかも。 美し乙女愛(あ)しけやし。 居立ち廻(もとほ)り、愛(は)しけやし 乙女。」
 押姫答(いらえ)歌 奉りて、
「 愛しけやし、我が大君の御手に捲く、珠持つ日根子忘られず、珠持つ日根子忘れられず、吾夫(あせ)を占(し)め延(は)む、吾夫を占め延む。」 と、あります。
 この、赤須彦・押姫の家系は 今でも続いていて、采女屋敷と呼ばれており、また湯を使った近くの沢には、湯奉の沢 という地名が 残っています。

 日本武尊が、実在か架空かと言う議論がありますが、間違いなく実在の人物なのです。

◎ 東征の道筋には、多くの伝説が 残っています。
・ 千葉県 木更津市に、八剱八幡神社が あります。
 日本武尊が 東征時に嵐に会い、妻の弟橘姫が 海に身を投じ嵐を静め、無事に上総に渡る事ができましたが、日本武尊はこの地に暫らく留まり弟橘姫のことを思って歌を詠みました。
「 君さらず 袖しが浦に 立つ波の その 面影を みるぞ 悲しき 」
 この歌の 「君さらず」 が転じて 「木更津」 という地名となったと伝えられています。
 また、茂原市の 「橘樹神社」 には 弟橘媛を主祭神、日本武尊・忍山宿禰(弟橘媛の父)を配祀しています。

 以下、日本武尊を 祀っている神社を記します。

 岩手県   2社  配志和神社・吾勝神社
 山形県   2社  天満神社・総宮神社
 宮城県  11社  多賀神社・熱日高彦神社、他
 福島県   4社  都都古別神社・桙衝神社、他
 茨城県   7社  鹿島香取神社・加波山三枝祇神社、他
 栃木県   4社  大原神社・赤城神社・建武山神社、他
 群馬県   4社  子持神社・熊野神社、他 
 埼玉県  10社  ・・・以下略
 千葉県  18社
 東京都   8社
 神奈川県  9社
 富山県   1社
 石川県   2社
 福井県   1社
 山梨県  12社
 長野県   5社
 岐阜県   8社
 静岡県   9社
 愛知県  16社
 三重県   3社
 滋賀県   1社

 137社のうち、44社は 日本武尊の創祀(勧請)した神社です。
◇ これは、日本武尊が歩いた証しです。
 これらの地元には、多くの伝説が 残っており、それらの話は 実に人間味溢れていますが、記紀では あまりにも神がかり的な英雄物語になっているために、架空の存在だと云う議論が出てしまいます。

◎ 日本武尊が、日本人の多くの人々に 好かれている理由は、母親が播磨稲日大郎姫ではなくて、八坂入媛命なのかも知れない。
 八坂入姫命は、名が示す通り、日本の原住民系で、母方の祖父は 尾張氏です。
 ですから、伯母の 倭姫命も 尾張にいました。
 以前に書きましたが、中日本は 前10世紀から続く、南九州の高千穂朝に関係があると思います。
 父の景行は騎馬系の崇神系統では あるけれども、日本原住民の系統が入ったために、人気があるのでは? と思います。

◇ 日本武尊のことは、沢山書きたい事があるのですが、今日は とりあえずアウトラインです。
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by hansaki460 | 2009-10-29 07:30 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)

ご本尊は、薬師如来 さま

ご本尊は、薬師如来 さま

◎ 信州 伊那谷は、南北におよそ60km以上あり、古代からのお寺も多くありますが、中でも南に位置する 飯田市(古代の地名は 麻積 )の元善光寺には、阿弥陀三尊を奉っていましたが、天武天皇の時代に、現在の長野市へ移設されました。

◇ その後9世紀に藤原氏は、伊那谷の北部から仲仙寺、光前寺、瑠璃寺と、藤原氏に関わりのある寺を建立し、荘園を持ち伊那谷を 壟断しました。

◇ 今昔物語に 書かれている、「信濃守 藤原陳忠の話」 は、当時の受領(ずりょう:地方官)の貪欲さを表す典型例として書かれています。

◎ さて、日本書紀には
  『天武天皇十四年(685)三月。詔。諸國毎家作佛舍。乃置佛像。及經。以禮拜供養。』
 すなわち、「 諸国の家ごとに仏舎を造り、仏像、経巻を置け という 勅 を出した 」 と ありますが、普及はしませんでした。
 そこで、聖武天皇は 天平13年(741)に、 東大寺を 総国分寺として、全国に国分寺を建立しました。 そのほとんどは 『 薬師如来 』 が 本尊です。

◇ 国分寺が 薬師如来を 本尊とした 理由は、『 西方 極楽 浄土 に 対して 東方にも 瑠璃の光 が 輝く 薬師如来さま が ある 』 として、原住民が 理解し 喜びそうな 薬師さまを 配置したのです。
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               写真は、小浜・国分寺 薬師如来 坐像

◎ また 慈覚大師も 全国の白山さまのあるところや、原住民の住む地を廻り、医王山・薬師堂 等を建てました。
 寺社の縁起に大師が開いたり再興したと伝えられる所が、関東に209寺余、東北に331寺余と数多くあます。

◇ しかし 、明治になるまでの長い間、医師・薬師は、原住民の限定職に入っていたのです。
 ですから 公家には医師はおりません。 御典医といえども地下人の身分であり、せいぜい OO庵などと呼ばれました。
 すなわち、藤原氏・公家は、薬師さますら限定職の仏様に利用し、原住民を壟断したのでした。

◎ 寺は 藤原朝以来、住民を把握・支配する手段として運用されました。
  明治の壬申戸籍が出来るまでの人口等の把握は、寺人別帳で行われました。
  しかしそれを嫌い、山奥に住んだり、弾左右衛門の配下等にいた、『』 を 宗旨とする人たちも、多勢いたのです。
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by hansaki460 | 2009-10-05 17:07 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)