信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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<   2009年 02月 ( 18 )   > この月の画像一覧

思兼尊は、前 8~7世紀頃の 人物である。

思兼尊は、前 8~7世紀頃の 人物である。

少し、拙速ではあるけれど、考え方をまとめてみる。

ある方から、HPとブログを見たとき、すぐに熱烈な賞賛をもらった。
だがそのすぐ後に、痛烈な批判が返ってきた。

『これを証明するには、まったく不十分だ。 これからも不可能である。』 と。

理由は明白だった。
彼の立場は、『 天皇家は半島から 来た。』 というものだった。


思兼尊は、検証するに、前 8~7世紀頃の 南九州に生きた実在の人物であると思える。
そして、尊は ”盗まれた神話” のなかに、生きている のだ。

大御食神社の神職家は、天御中主神 高皇産霊 天照大御神 阿智彦・・・阿智宮 大御食神社 とつながる、列島固有の、正統な系列であることの証が、”社伝記-美社神事録”なのである。


その立場において、こつこつと、検証をしていきたいと思っている。

ご賛同の方の ご意見も 賜りたい。
by hansaki460 | 2009-02-27 10:33 | Comments(0)

雑感

雑感

壬申の乱の頃、天武天皇の頃、やはり革命にも似た大きな変化が列島を襲ったに違いない。

ここ、信州・伊那谷も例外ではなかった。

阿智宮の移封、善光寺の移転。

諏訪大社の大きな変化もこの頃か?

天武・大海人は、阿海か? それとも大莫離支・蓋蘇文か?


ここのところで、いつもストップしてしまうが、昨日、
『 天武大王の皇位と 権威の確立の為に、天武大王直属の 修験 秘密警察が 誕生した事も 充分に考えられる。』
という、静岡の 未来狂冗談氏の見解が、面白かった。

しばらく 覇権の項は、読書と調べに 没頭か!
by hansaki460 | 2009-02-23 18:01 | 地方史から見た覇権の姿 | Comments(0)

”美社神字録”の秘密を解く[2] ”建御名方神のこと”

美社神字録”の秘密を解く[2]
”建御名方神のこと”


建御名方神は、日本神話に登場する神で『古事記』に大国主の子として登場し、建御雷神、経津主神と共に三大軍神の一柱に数えられており、『梁塵秘抄』にも「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」とある。
風の神ともされ、元寇の際には諏訪の神が神風を起こしたとする伝承がある。
また農耕神、狩猟神としても信仰されている。

伝承では、建御名方神は諏訪地方の外から来訪した神で、土着の洩矢神を降して諏訪の祭神になったとされ、諏訪大社ほか全国の諏訪神社に祀られている。

名前の「ミナカタ」は「水潟」の意であり元は水神であったと考えられる。ただし、宗像と関連があるとする説や、冶金の神であるとする説もある。

出自について記紀神話での記述はないが、父・大国主母・沼河比売(奴奈川姫)の間の子であるという伝承が各地に残り、妻は八坂刀売神とされている。

『古事記』では、八千矛神(大国主)が高志国の沼河に住む沼河比売を妻にしようと思い、高志国に出かけて沼河比売の家の外から求婚の歌を詠み、沼河比売はそれに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚した。
また、新潟県糸魚川市に残る伝承でも、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。
『先代旧事本紀』でも建御名方神は沼河比売(高志沼河姫)の子となっている。

『古事記』『日本書紀』の一書や『新撰姓氏録』によると、スサノオの六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。


さて、美社神字録では、景行天皇の御代に、建御名方神の御渡りがあったと記すから諏訪に入る前のことではないだろうか?

そういえば、下伊那には建御雷神と建御名方神が談合した所だという伝承の場所がある。

また、古事記では、思兼尊が天照大神に建御雷之男神を推薦するところがあるが、やはり、阿智彦とは縁のある方には違いない。

そこで私は、建御名方神は、巷間伝わる様なイメージの神ではないのではないかと思っている。
もっと、九州朝,阿智宮に関係のある、むしろ信濃にははじめから縁の深い人物であったのではないかと思い始めている。


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by hansaki460 | 2009-02-21 10:18 | 神代文字 | Comments(0)

古代文字の真実[6]トヨクニ文字とサンカ文字と中国の絵文字


初めにこれをご覧下さい。
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次はこれです。
戦前まで、実際に使われていたものです。
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これも同じで、書き留めたものです。
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ウエツフミの写真です。
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岩戸蓋石写真(昭和10年撮影)
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トヨクニ文字の読み方です。
カタカナの基だと言うことが、よくわかりますね。

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古代文字は、本当にあったのです。


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by hansaki460 | 2009-02-21 07:15 | 歴 史 秘 話 | Comments(1)

古代文字の真実[5]”古代文字は皇国史観の産物?”

古代文字の真実[5]
”古代文字は皇国史観の産物?”


以前、大御食神社のある駒ヶ根市の、市史編纂室を訪ねたことがあった。
大御食神社の社伝記”美社神字録”に言及したとき、K氏が言った言葉が忘れられない。

「神代文字は、皇国史観の産物であり、信用できない。」と。

この言葉に代表されるのが、庶民の感覚でしょうか? 

では、皇国史観と古代文字の関係は?

皇国史観とは、
皇国史観(こうこくしかん)は、日本国と日本人は歴代天皇を中心とした国造りが行われ、現代までに到る伝承と歴史が紡がれ継承されて来たとする歴史観。『ウィキペディア(Wikipedia)』
とあります。

しかし、古代文字を否定し、古代文字で書かれた古史古伝書を焚書してきたのは、覇権を持った体制側であった事実を、どう説明のするだろうか!

大陸の史書、旧唐書「日本」の項には、
日本国は倭国の別種なり。・・・・・日本は旧(もと)小国、倭の地を併せたりと。

それに、新唐書には、日本について
・・・・文字あり。・・・・その王、名は阿毎氏。自ら言う、はじめの主を天御中主と号す。彦瀲(ひこなぎさ)に至るまで凡そ三十二世、皆、尊をもって号となし筑紫の城に居す。彦瀲の子・神武たち、更に天皇をもって号となし、わたりて大和州を治す。・・・・・

大陸は、列島の覇権を上記のように見ていたのだ。

日本の古代文字で書かれた古史古伝書には、両唐書に書かれていた裏付けとなる史実が記されていたのです。

皇国史観に反するが故に、古代文字は焚書に遭ったのだ!
古代文字で書かれた古史古伝書は、史実を伝えている!


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青木繁『日本武尊』
倭武尊は、九州朝系の人物。(私は、あえて倭と記します。)

今日の結論。
古代文字は、皇国史観に反する事柄である。


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by hansaki460 | 2009-02-20 18:33 | 神代文字 | Comments(0)

伊那谷の覇権の推移[2] ”検討課題”

伊那谷の覇権の推移[2] ”検討課題”

大和朝廷の中で、伊那谷に大きな影響を及ぼした人物 といえば、天武天皇(大海人皇子)は その中の 筆頭では ないだろうか?

天武の時代に、阿智宮と善光寺が 伊那谷から 北信へ行ったが、当時 どんな要素が 生じたのであろうか?


天武天皇(大海人皇子)は 天皇号の創始者であり、天皇の 宗教的権威を 高めた人物で、伊勢神宮(天照大神)の祭祀を重視し、また広瀬・竜田祭を 国家事業として行った。
そして、斎宮を制度化したのも天武天皇である。

さて、それより 数百年前、崇神天皇は 宮疫病を鎮めるべく、従来 宮中に祀られていた その天照大神を、倭大国魂神と併せて 皇居の外に移し、豊鍬入姫命に託し、笠縫邑(かさぬいむら)に 祀らせた。 これが斎王(斎宮)の始まりとされる。
笠縫邑とは、崇神天皇が 宮中に奉祀していた 天照大神を 移し、豊鍬入姫命に託して 祀らせた場所で、比定地については、檜原神社、多神社、笠山荒神社、多神社摂社の姫皇子神社、飛鳥坐神社、等々がある。

これらを見るに、天照大神を通して、神武天皇,崇神天皇,天武天皇に 伊那谷に共通する事柄が 浮かび上がる。

まず初めには、天照大神の義弟・吾道彦(天八意思兼命)が、信濃(阿智宮)に入っている。

次に、神武天皇の子・神八井耳命は 古事記編者・太安万侶の祖先であり、多氏一族の始祖であるが、多氏は 科野國造でもある。
そして崇神天皇が笠縫邑で 天照大神を祀ったという場所は また、多家所縁の地であり、現在 多神社がある。

天武天皇は、信濃に行宮を計画した。
そして、善光寺、戸隠神社、諏訪大社に大きな影響を与えたと思われる。

そして何より、三人の天皇は、天皇家草創の節目節目で、重要な地位を占めている。


天照大神と吾道彦(天八意思兼尊) : 神武天皇と神八井耳命 が、また 崇神天皇 : 天武天皇が オーバーラップするのは、私だけだろうか? 


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by hansaki460 | 2009-02-20 11:50 | 地方史から見た覇権の姿 | Comments(0)

”美社神字録”の秘密を解く[1] ”柿本朝臣人麻のが詠んだ思兼尊”

美社神字録”の秘密を解く[1]
”柿本朝臣人麻のが詠んだ思兼尊”


万葉集の中に、このHPの主人公の天八意思兼尊に関わりがあると思われる、興味深い歌があります。それは、

柿本朝臣人麻、筑紫の国に下りし時、海路にて作りし歌

大王(おおきみ)の 遠の朝廷(みかど)と 蟻通(ありかよ)う 
  嶋門(しまど)を見れば 神代(かみよ)し 念(おも)ほゆ
 (巻3-304)

『細い水路を、蟻が通り抜けるように、大宰府の朝廷に向かうとき、門のように並んだ島を見ると、神代の時代がしのばれる』

遠の朝廷 とは、大宰府のこと。 
嶋門 は、博多湾の入口にある志賀島や能古島のこと。
蟻通 とは、蟻の通う様な 細い水路の意 だが、知恵の神様・思兼尊(阿智彦)をかけているのかもしれない。
(この蟻通しは、2月17日:阿智彦(思兼尊)の足跡を訪ねて[1]”阿智彦と歌姫の紀伊の新居?”『蟻通神社』 参照)

この歌から、二つのことが読み取れます。

1,九州の筑紫に朝廷が有った。
2,その朝廷は、思兼尊(阿智彦)にも縁のある朝廷だった。


いままでの歴史認識とは、ずいぶん違うのではないですか? いかがでしょうか?

万葉集のこの歌は、駒ヶ根市にある『大御食神社』の古代文字で書かれた社伝記”美社神字録”の秘密をとく鍵の ひとつです。

鍵を一つ一つ開けていきます。

(このペ-ジは、壊れた旧ブログの再掲載です。)
by hansaki460 | 2009-02-19 09:39 | 神代文字 | Comments(0)

古代文字の真実[4]”倭武尊はどう読むのか?”

古代文字の真実[4]
”倭武尊はどう読むのか?”


倭武尊 を 『 やまとたける 』 と 読み出したのは、江戸末期から。

やまとたけ 』 が 正しい。

社伝記には、『 やまとたけ 』 とある。

『 天皇 』 も 『 てむのう 』 と書かれている。


だから、稲荷山古墳の 鉄剣の 読み方も 間違っている。

『 ワカタケル 』 は ありえない。

『 ワカタケ 』 に 違いない。


              

<追加しました。>
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古代文字の読み方は、こちらを参照して下さい!←

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by hansaki460 | 2009-02-18 16:18 | 神代文字 | Comments(0)

伊那谷の覇権の推移[1] ”はじめに:雑感”

伊那谷の覇権の推移[1] ”はじめに:雑感”

"古代の伊那谷の出来事”で、注目し分析すべきと思われる事柄

 天照大神・阿智彦の時代      紀元前 7~8世紀か?

 徐福列島に来る           紀元前 3世紀頃    倭の成立に影響?

 日本海~越~北信 高句麗人の渡来    2世紀      駒ヶ岳の命名?

 赤須彦の時代 ・・             3~4世紀か?  九州倭国の影響

 高句麗・新羅を征服した騎馬民族渡来   4世紀     東日本文化醸成される

 古墳の時代 鏡・馬具             5世紀~    壬申の乱への影響

 8つの伊那谷古墳群(前方後円墳)     6世紀~    地方豪族の体制化   

 阿智家・善光寺  →  戸隠・北信へ             天武の信濃行宮の影響

 藤原氏支配の時代                         比叡勢力を使った伊那谷の席捲


まだ、いろいろな要素があるかとは思うが、検討・分析していきたいと思います。

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by hansaki460 | 2009-02-18 10:44 | 地方史から見た覇権の姿 | Comments(0)

阿智彦(思兼尊)の足跡を訪ねて[2]”阿智彦と歌姫の仲人・住吉神の別荘?・御坂神社”

阿智彦(思兼尊)の足跡を訪ねて[2]
御坂神社は阿智彦と歌姫の仲人・住吉神の別荘?


先日は、二月だというのに 信州でも20度近くになりました。
そこで急に思い立ち、阿智村の 『御坂神社』 に行ってきました。

神坂神社は 住吉社とも言い、阿智村の智里(園原、本谷)にあります。

祭神は、住吉明神[表筒男命(うわつつをのみこと)・中筒男命(なかつつをのみこと)・底筒男命(そこつつをのみこと)]です。

私のHP にありますが、ホツマツタエに、カナサキ(住吉神)は阿智彦と歌姫の仲人をしたことが 書かれています。

信州の山奥に 何故 住吉社があるのか? 誰も説明できずに いましたが、どうも 思兼尊の仲人の関係だったから のようです。

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旧東山道ですから、本当に山奥です。

近くには、『源氏物語』にも詠まれた「帚木(ははきぎ)」があった場所があります。

光源氏が空蝉に「帚木の 心を知らで園原の 道にあやなく 惑ひぬるかな」と思いを寄せ、空蝉は わが身をいやしんで「数ならぬ 伏屋に生ふる 名のうさに あるにもあらず 消ゆる帚木」と返歌しました。



また、すぐ下側に『今昔物語』にある、「受領は倒るるところに土をつかめ」という信濃守陳忠の話の碑がありました。

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 藤原陳忠が任期を終えて都へ帰る途中、峠の険しさに馬もろとも 谷に転落してしまいます。 谷底から助けを求める声に、家来たちは 篭に縄を結び付けて下ろし、引き上げると、篭には平茸が山ほど入っていました。 また下ろすと 今度は陳忠が 平茸三房を手にして、「まだまだあったのに」と 不満顔で上がってきたのでした。

当時の支配者、藤原一族の受領等の強欲さを表しています。

この話から、藤原一族が 比叡のお寺,仲仙寺・光前寺・瑠璃寺と、同じく比叡の 山王権現によって、伊那谷のすべてを支配した構造が 読み取れます。

この項は 別途設けますが、日本の歴史にとっても、非常に大きな出来事だと 思います。

帰りの途中、 『阿智神社』 もありますが、別の機会にまた・・・・。


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by hansaki460 | 2009-02-17 16:50 | Comments(0)