信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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カテゴリ:神代文字( 33 )

神代文字は徐福が伝えた 『甲骨文字』 だった。

神代文字は徐福が伝えた『甲骨文字』だった。


先日 八重洲ブックセンターへ立ち寄り、二冊の古代史関連の本を購入しました。

① 矢切止夫氏の、『 日本古代史入門 』と、
② いき一郎氏の、『 徐福集団渡来と 古代日本 』です。

◇ 矢切止夫氏の古代史観は、氏の野史辞典などを読んで知ってはいましたが、目から鱗の本です。

たとえば、東山文庫蔵本の後西帝の纏められた日本書紀を底本にした、黒板勝美の第九次日本書紀(現在主に使われている日本書紀)について、東山文庫蔵本が纏められた背景を語り、
『 これは江戸期製であり 後西帝の恨みが隠った誤りの書である。』
と、断言しています。
この『 日本古代史入門 』については、別の機会に紹介したいと思います。

◇ さて、② の、いき一郎氏の、『 徐福集団渡来と古代日本 』ですが、この中で大変参考になる、また心強い発見がありました。

それは、江戸幕府の修史事業として林羅山らが編纂した歴史書・本朝通鑑に、
『 徐福之来日本、在焚書抗儒之前 六七年矣、相蝌蚪篆籒書添竹牒、時人知者鮮矣。其后世世兵燹、紛失乱墜、未聞其伝、嗚呼惜哉。』

(始皇帝の焚書坑儒の6,7年前にやってきた徐福一行は 旧文字の竹簡などを持ってきたが、当時の者で知るものは少なかった。 わが国でも兵火で紛失し、今に伝わっていることを 聞かない。 惜しいものだ。)というものです。

文字は、漢字の起源である「甲骨文字」から「金文」、「大篆」と派生しました。

私のかねてからの自論は、『古代文字・神代文字の《あひる草文字》は、甲骨文字から読むことが出来る。』と言ってきました。

そしてこれにより、自論通りに少なくとも16世紀までは、徐福が甲骨文字よりもすこし進化した 蝌蚪篆籒書、すなわち おたまじゃくしの様な篆書体で書かれた竹簡を伝えたことが明確になりました。
ですから、あひる草文字は 読めるのです。

すくなくとも 紀元前3世紀頃までには、文字が伝わっていました。
しかし、大陸北部系の藤原氏に懐柔・支配された近畿天皇家は、大陸中西部から来た九州西部の勢力や、徐福のことを無視し、邪馬台国のことは、記紀に記しませんでした。

すなわち、前10世紀の南九州朝・御中主之神以来の古代九州朝の神話を盗んで、権威つけをしたのです。

そして未だに、邪馬台国は 近畿にあった と、一生懸命 こじつけようとしています。

◎ この事から、伊那谷の『大御食(おおみけ)神社 』に伝わる古代文字で書かれた社伝記 "美社神字録”の信憑性と、九州の神々ゆかりの神社であることが、証明されました。

ようやく、私の古代文字に係わる疑問も解け、取りあえずの結論を上程できます。^^
あとは、まとめる作業です。
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by hansaki460 | 2010-02-21 07:44 | 神代文字 | Comments(1)

古代文字・神代文字は、存在した!

古代文字・神代文字は、存在した!
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古代文字 否定の 最大争点は、斎部広成が言う 『 上古の世は 文字が 無かった 』 というものですが、先ず その古語拾遺についてです。

O 斎部広成が言う、古語拾遺の 『 上古 』 とは、いつのことか?

e0171497_10265246.jpg斎部広成が 807年に 天皇に奉った本「古語拾遺」を 記します。
古語拾遺 一巻 加序   從五位下 齋部宿禰廣成 撰
蓋聞、「上古之世、未有文字、貴賤老少、口口相傳、前言往行、存而不忘。」書契以来、不好談古。浮華競興、還嗤舊老。遂使人歴世而彌新、事逐代而変改。顧問故実、靡識根源。國史・家牒、雖載其由、一二委曲、猶有所遺。愚臣不言、恐絶無傳。幸蒙召問、欲[手慮]・蓄憤。故、録舊説、敢以上聞、云爾。      以下・・略

[訳文]
聞くところによると、上古の世は 文字が無く、貴賎老少 問わず 口から口へ 伝えていたが、 その 言った事、行った事や 出来事を 忘れは しないかと 書き記して以来、古を語る事を好まなくなり、浮ついた 華やかさを 競い 興じて 還って 旧老をあざ笑い、遂に 世代を 重ねて 古代を忘れ、 代を重ねる後とに 古法を 失った。 顧みて 故実を問う時 その根源を 知らない。国史・家史に この理由を記録されている と 言っても、詳らかにすれば、なお 判らない所が 有る。 愚臣が 言わなければ、恐らく 絶えてしまって 伝える事が 出来なく成ります。 幸いに 召されて 問われましたので、長らく 思っていました事を 述べたいと 思います。 故に 旧事を敢えて申します。      以下・・略

それでは、斎部広成の言う『 上古 』 とは、いつのことだろうか?
広成は 古語拾遺で 言いたかったことは、イワレヒコ(神武天皇)の即位のときの 本来の職掌分掌を 今日(当時)の世にも 貫かせたかった のである。

すなわち、フルコトを記して、それは 忌部(斎部)の役割で あり、また 神武以来 三種の神器にかかわり 且つ、大殿祭・御門祭の 祝詞を司っていて、最も重要な 立場だったと、アピールしているのである。
忌部にとって 神武即位の儀式は、当家の 役割だったからして、当然 『 上古 』 では ないだろう。

2009年の 現在から上古と云えば、大化の改新までを 指すようだが、720年完成の 日本書紀では、「 山幸彦と海幸彦 」 以前を 神代としているからして、神武天皇の即位を 紀元前660年の 辛酉の年を起点としていると 解釈すれば、前七世紀には、既に 文字があったと 読める。

天之御中主・天照大神が治めた 南九州王朝の 高千穂国は、前十世頃と 推定できるから、おおよそは 想像できるが、ホツマツタエには、天照大神の回文や、妹の 和歌姫の歌や、文字を創ったという 思兼尊の事が 記されているので、前九世紀頃には、文字が あったかも しれない。

こういう乱暴な推測を、すべての学者は 極度に嫌う。
だから、記録にとどめたのは 最近なんだ、というかもしれない。
斎部広成の言う『上古』 とはホントはいつなんだろうか?
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by hansaki460 | 2009-05-04 10:29 | 神代文字 | Comments(0)

日本の怨念の源泉と足跡(消された古代文字)

日本と半島の怨念の源泉と足跡

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1)太平洋に今は無きム大陸(無大陸)があった。そこでは,比較的高度の文明が発達していた。この文明を育んだ人種を『洋族』とする。
ム大陸は、或る時、突然に沈没し始めた。
『洋族』は、これに驚き故地を離れ華北平原に四散し、さらにその周辺部に拡散した。

2)『洋族』はム大陸から列島にも到達し、南九州の高千穂国の成立に影響を及ぼした。
後の高千穂国は、天御中主之神,高皇産霊神,天照大御神等の偉人を生んだ。これを 『原倭族』とする。

3)中国大陸で『洋族』は殷国 を樹立したが、以後異なる民族との攻防が 繰り返された。
周辺部では北方系民族に遭遇し、一部は渤海湾を迂回して半島に至り、一部は西海を超えて列島に到達した。

◎『洋族』は、ム大陸の深層の記憶に留めたものと思われる。
半島を南下する『洋族』を『午族』とし、西海を渡って列島に至る『洋族』を『倭族』 とする。  中国大陸では『漢族』が主部を占めるに至った。

4)中国は,春秋戦国の時代を経て,前221年に統一された。
秦の始皇帝との覇権を賭けた戦争に破れた『倭族』の【 徐福集団 】は,東アジアに脱出し、『洋族』や古朝鮮系列の『旧午族』も住む列島,半島に分かれて定着した。 
前者が『倭本族』であり、後者が『倭支族』である。
『原倭族』は、同族ゆえに抵抗なく受け入れ『倭本族』と同化した。

◎ 各地に小国を建設した徐福集団の末裔は,分離を意味する『八族』(=倭本族+倭支族)と自称した。

5)半島南部に定着した『倭支族』は,北からの圧力に対抗するために,三韓国:弁韓,辰韓,馬韓を結成した。

6)九州島に定着した『倭本族』はこれに呼応して、『倭国』を結成した。これを『小倭国』 と称する。

7)時代は下り,半島南部では,三韓が任那,新羅,百済に移行した。

8)『小倭国』は,狗奴国が女王国を制圧し、東征して、政権を樹立した。 
これが 『中倭国』 である。

9)この頃、三韓の民が列島に大量に入植した。 これが,古墳時代の幕開けである。
半島では、後に新羅が膨張し、任那が滅亡して、高句麗,百済,新羅の 三国時代が到来した。

10)AD562年、列島の『倭本族』は、半島の『倭支族』を受け入れ、共同して政権を樹立した。 これが 『大倭国』 である。

11)時代は更に下り、半島では、新羅 が 膨張して、百済,高句麗が滅亡した。

12) AD669年,高句麗の中枢,即ち『 新午族 』は,『大倭国』を簒奪し,政権を樹立した。これが 『大和国』 である

◎古代列島は,半島から見た場合に、駆け込み得る 入植地 であった。
中国の 戦国時代にも流民が渡来していたが、その後、先ずは、三韓国の流民が 畿内他に入植した。
◎次に,任那国の流民が 出雲他に 入植した。三韓国,任那国の民は,『小倭国』,『中倭国 』 の民と同じ『倭族』であるので、この段階においては、『列島倭族』に強い抵抗は生じなかった。
◎更に,高句麗国の流民が 列島を簒奪した。
高句麗の民は,『北方系の午族』であるので、この場合には、『列島倭族』 に強い抵抗が生じた。


13)古代国家『大倭国』の創建時に、列島の勢力を代表する物部氏が任那勢力を代表する蘇我氏に 駆逐され、その残党が東北部に後退した。

14)次に、律令制国家が始った『大和国 』の創建時に、『大倭国 』の勢力を代表する蘇我氏が高句麗勢力を代表する藤原氏に制圧され、橘氏,大伴氏などの 旧勢力も徐々に圧迫され 屈服した。

◎ 宗教面では、『小倭国 』の祠庫信仰が,『大倭国 』の屋代信仰に発展したが,これも『大和国 』の社神信仰へと変質した。
◎ 来世信仰は、内面において『小倭国 』の神教から 『大倭国 』 の仏教に,外面において『小倭国 』 の古墳築造から『大倭国 』の寺院築造に転換した。
◎ 反面、『大倭国 』から『大和国 』への覇権交代時には,旧勢力に対する勝者の呪詛、新勢力に対する敗者の怨念が渦巻き、列島に対立,差別の 社会構造が生じた。
◎ 新午族は、徐福=倭族の 古代文字を徹底的に 焚書してしまった。

   【 これらの《 怨念 》が、1300年後の今でも 続いているのです。 】
(長田通倫氏の論文を参考にしました。)

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by hansaki460 | 2009-03-19 10:24 | 神代文字 | Comments(0)

古代文字に関する ご質問に答えて。

古代文字に関する ご質問に答えて。

ある方からの ご質問です。



従来から古代文字についての疑問に関する質問

①基本的に「いろは」48文字で母音も「あいうえお」になっていること。
②貴写真資料でも 山口県住吉神社の 「スミノエ」 の 「ノ」 及び奈良県大和神社の 「ヤチホコノ」 の 「ノ」 は何れも 万葉仮名の 「乃」 に思える。

この辺りがよく分かりません。



という ご質問に対して。

私は、古代の5母音と 8母音の議論は、まだ勉強不十分なのでわかりません。
そこで 橋本進吉博士の
『 現代とは 全く異なった 子音が 古代にはあった ということではなく、現代より 複雑な 母音の体系が かつて存在した ということらしい。』という前提で、丸山作楽氏の説の 一部を 紹介してみます。
丸山作楽氏が、海江田元老院技官と 明治20年渡欧した折に 碩学スタイン博士と交わした 会話記録です。

スタイン博士が、神代の文字について 説明を 求めた 問いに 答えて
『 ・・・古字に日文、秀眞(ホツマ)、穴市の三種あり、秀眞と穴市とも 伝来の久しきを 持ってすれば、漢籍前後に 於いて、一方に 適用したる者 ならむ。 支那字に 類似せるより。 世人の信を措き難し とするところなり。  -略-
而して 神字五十音は 宇於伊衣阿(ウオエイア)の母音と、宇千由牟布須久奴都流(ウチユムフスクヌツル)の 子音と配合して 声を発し、字を綴れるを 片假音図は 阿伊宇衣於を縦行とし 阿加佐多那波麻耶良和を横行として 悉曇章(梵字)に因りて 位置を変改し、又 習字にも 日文の順次 及び 難波津安積山(ナニハズアサカヤマ)を発して、平仮名色葉歌を用いるに 至れるは 仏式の盛んなる、一時文権を得たるより 馴致したる者なり。-略- 』

すなわち、仏教が入った段階で、古来の発音は 「あいうえお」 に統一されたと、述べてます。 (仏典の学習のためか?)
私見ですが、文字や発音に限らず、全てのものが、白村江の戦いで敗退した時以降、唐及び 高句麗のGHG・進駐軍の 藤原一族と その官僚 及び 仏教学者等によって、太平洋戦争 敗戦後、アメリカナイズした以上の変化があったのではないか、と思います。

ここでは、何故それ以前のもので研究されていないのか?ということになりますが、美社神字録では、3世紀から10世紀頃までのことが古代文字で記されており、10世紀ころの発音で書かれていても、(古代文字は表音文字ですから)何の不思議はないと思います。
倭武尊は 「 ヤマト タケ ノ ミコト 」 と書いてあります。 「 タケル ノ ミコト 」 ではありません。
又、天皇は 「 テムノウ 」 と記されています。

「 ノ 」 が 「 乃 」 になっている件は、私もそう思います。(笑)
古代文字には、あひる草文字に似た文字で、阿波文字というものもあります。 伝承の過程で、変遷したのではないか?
文字は変わっています。甲骨文字から金文・多くの書体を経て漢字へ。
古代文字は、甲骨文字・金文の頃の形が 読み取れますが、これがお手本だ、というものが 有ったのではないのだろうと 思います。
甲骨文字が漢字へと 変遷していく 過程と似ているところが有ったと思います。
中国で 漢字が 簡体字に変遷したのは ごく最近です。
ということで、よろしいでしょうか。

古事記は まだしも、日本書紀の 呪縛の 解けない 現在の史観の中では、なかなか議論が展開しません。
ちなみに、明治時代 ドイツのケムペルマンは、「神代文字」と題する 堂々たる論文をドイツ協会雑誌に 発表していますが、わが国の 誰ひとりも 批評をしていないとのことです。
近年では、吾郷清彦氏などが 著名です。
私も少しずつですが、前進していきたいと思っております。

今後のHPをご支援下さい。
HPで発表した以上、上記のような質問にも、わかりやすくお答えするのが責務かと思います。
その姿勢でおりますので、今回はこの程度でお願いします。



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by hansaki460 | 2009-03-16 19:01 | 神代文字 | Comments(1)

神社に伝わる古代文字[2]

全国各地の神社に伝わる、古代文字です。

石上神宮の 『 守符 』 です。
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.


.
これは、美濃國一宮 南宮神社のものです。↓
祭神は、伊弉諾之尊の御子 金山彦尊です。
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文字の読み方は、こちらへどうぞ!←


鎌倉、鶴岡八幡宮のものです。
祭神は、応神天皇です。
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宮崎県西臼杵郡高千穂町に鎮座する天岩戸神社で発見されたとされる岩蓋
文政四年(1821年)に発見された


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by hansaki460 | 2009-03-03 19:05 | 神代文字 | Comments(0)

神社の古代文字(神代文字)

全国各地の神社に伝わる、古代文字です

倭大国魂神を奉る、奈良県の大和神社(おおやまとじんじゃ)のものです。
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.


.次は、山口県の住吉神社のものです。
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次は、長野県の戸隠神社のものです。
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まだまだ、古代文字は、全国の神社に残っております。

おいおいと。



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by hansaki460 | 2009-03-01 22:40 | 神代文字 | Comments(0)

”美社神字録”の秘密を解く[2] ”建御名方神のこと”

美社神字録”の秘密を解く[2]
”建御名方神のこと”


建御名方神は、日本神話に登場する神で『古事記』に大国主の子として登場し、建御雷神、経津主神と共に三大軍神の一柱に数えられており、『梁塵秘抄』にも「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」とある。
風の神ともされ、元寇の際には諏訪の神が神風を起こしたとする伝承がある。
また農耕神、狩猟神としても信仰されている。

伝承では、建御名方神は諏訪地方の外から来訪した神で、土着の洩矢神を降して諏訪の祭神になったとされ、諏訪大社ほか全国の諏訪神社に祀られている。

名前の「ミナカタ」は「水潟」の意であり元は水神であったと考えられる。ただし、宗像と関連があるとする説や、冶金の神であるとする説もある。

出自について記紀神話での記述はないが、父・大国主母・沼河比売(奴奈川姫)の間の子であるという伝承が各地に残り、妻は八坂刀売神とされている。

『古事記』では、八千矛神(大国主)が高志国の沼河に住む沼河比売を妻にしようと思い、高志国に出かけて沼河比売の家の外から求婚の歌を詠み、沼河比売はそれに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚した。
また、新潟県糸魚川市に残る伝承でも、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。
『先代旧事本紀』でも建御名方神は沼河比売(高志沼河姫)の子となっている。

『古事記』『日本書紀』の一書や『新撰姓氏録』によると、スサノオの六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。


さて、美社神字録では、景行天皇の御代に、建御名方神の御渡りがあったと記すから諏訪に入る前のことではないだろうか?

そういえば、下伊那には建御雷神と建御名方神が談合した所だという伝承の場所がある。

また、古事記では、思兼尊が天照大神に建御雷之男神を推薦するところがあるが、やはり、阿智彦とは縁のある方には違いない。

そこで私は、建御名方神は、巷間伝わる様なイメージの神ではないのではないかと思っている。
もっと、九州朝,阿智宮に関係のある、むしろ信濃にははじめから縁の深い人物であったのではないかと思い始めている。


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by hansaki460 | 2009-02-21 10:18 | 神代文字 | Comments(0)

古代文字の真実[5]”古代文字は皇国史観の産物?”

古代文字の真実[5]
”古代文字は皇国史観の産物?”


以前、大御食神社のある駒ヶ根市の、市史編纂室を訪ねたことがあった。
大御食神社の社伝記”美社神字録”に言及したとき、K氏が言った言葉が忘れられない。

「神代文字は、皇国史観の産物であり、信用できない。」と。

この言葉に代表されるのが、庶民の感覚でしょうか? 

では、皇国史観と古代文字の関係は?

皇国史観とは、
皇国史観(こうこくしかん)は、日本国と日本人は歴代天皇を中心とした国造りが行われ、現代までに到る伝承と歴史が紡がれ継承されて来たとする歴史観。『ウィキペディア(Wikipedia)』
とあります。

しかし、古代文字を否定し、古代文字で書かれた古史古伝書を焚書してきたのは、覇権を持った体制側であった事実を、どう説明のするだろうか!

大陸の史書、旧唐書「日本」の項には、
日本国は倭国の別種なり。・・・・・日本は旧(もと)小国、倭の地を併せたりと。

それに、新唐書には、日本について
・・・・文字あり。・・・・その王、名は阿毎氏。自ら言う、はじめの主を天御中主と号す。彦瀲(ひこなぎさ)に至るまで凡そ三十二世、皆、尊をもって号となし筑紫の城に居す。彦瀲の子・神武たち、更に天皇をもって号となし、わたりて大和州を治す。・・・・・

大陸は、列島の覇権を上記のように見ていたのだ。

日本の古代文字で書かれた古史古伝書には、両唐書に書かれていた裏付けとなる史実が記されていたのです。

皇国史観に反するが故に、古代文字は焚書に遭ったのだ!
古代文字で書かれた古史古伝書は、史実を伝えている!


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青木繁『日本武尊』
倭武尊は、九州朝系の人物。(私は、あえて倭と記します。)

今日の結論。
古代文字は、皇国史観に反する事柄である。


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by hansaki460 | 2009-02-20 18:33 | 神代文字 | Comments(0)

”美社神字録”の秘密を解く[1] ”柿本朝臣人麻のが詠んだ思兼尊”

美社神字録”の秘密を解く[1]
”柿本朝臣人麻のが詠んだ思兼尊”


万葉集の中に、このHPの主人公の天八意思兼尊に関わりがあると思われる、興味深い歌があります。それは、

柿本朝臣人麻、筑紫の国に下りし時、海路にて作りし歌

大王(おおきみ)の 遠の朝廷(みかど)と 蟻通(ありかよ)う 
  嶋門(しまど)を見れば 神代(かみよ)し 念(おも)ほゆ
 (巻3-304)

『細い水路を、蟻が通り抜けるように、大宰府の朝廷に向かうとき、門のように並んだ島を見ると、神代の時代がしのばれる』

遠の朝廷 とは、大宰府のこと。 
嶋門 は、博多湾の入口にある志賀島や能古島のこと。
蟻通 とは、蟻の通う様な 細い水路の意 だが、知恵の神様・思兼尊(阿智彦)をかけているのかもしれない。
(この蟻通しは、2月17日:阿智彦(思兼尊)の足跡を訪ねて[1]”阿智彦と歌姫の紀伊の新居?”『蟻通神社』 参照)

この歌から、二つのことが読み取れます。

1,九州の筑紫に朝廷が有った。
2,その朝廷は、思兼尊(阿智彦)にも縁のある朝廷だった。


いままでの歴史認識とは、ずいぶん違うのではないですか? いかがでしょうか?

万葉集のこの歌は、駒ヶ根市にある『大御食神社』の古代文字で書かれた社伝記”美社神字録”の秘密をとく鍵の ひとつです。

鍵を一つ一つ開けていきます。

(このペ-ジは、壊れた旧ブログの再掲載です。)
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by hansaki460 | 2009-02-19 09:39 | 神代文字 | Comments(0)

古代文字の真実[4]”倭武尊はどう読むのか?”

古代文字の真実[4]
”倭武尊はどう読むのか?”


倭武尊 を 『 やまとたける 』 と 読み出したのは、江戸末期から。

やまとたけ 』 が 正しい。

社伝記には、『 やまとたけ 』 とある。

『 天皇 』 も 『 てむのう 』 と書かれている。


だから、稲荷山古墳の 鉄剣の 読み方も 間違っている。

『 ワカタケル 』 は ありえない。

『 ワカタケ 』 に 違いない。


              

<追加しました。>
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古代文字の読み方は、こちらを参照して下さい!←

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by hansaki460 | 2009-02-18 16:18 | 神代文字 | Comments(0)