信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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カテゴリ:神代文字( 36 )

謎解き : 古代文字で書かれた社伝記を読む

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【001】
はじめに


古代文字の中で、漢字が伝来する以前の古代に日本で使用されていたと称される日本固有の文字の総称を【神代文字(じんだいもじ)】といいます。


信州伊那の谷、大御食(おおみけ)神社には、通称 ”美社(うつくしのもり)神字録” と呼ばれる、古代・神代文字の 『アヒルクサモジ』 で書かれた社伝記が伝わっています。

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美社(うつくしのもり)というのは、この場所をむかしから 『美女ヶ森(びじょがもり)』 といい、由来は大御食神社の御祭神にあります。


御祭神は、倭建尊(ヤマトタケノミコト)でしたが、応神天皇38年(AC307)に、熱田の草薙の剣の霊代と、五郎姫(いついらひめ)神とをお迎えして、以来 『美女ヶ森(びじょがもり)』 と呼ぶようになりました。



さて、古代文字・神代文字の 『アヒルクサモジ』 というのは、全国の神社などに伝わっているものですが、江戸時代から 現在まで、多くの国学者・言語学者たちは、『いわゆる 神代文字は偽物』 であるとしています。


あるとき私は、大御食神社の地元・駒ヶ根市の市誌編纂室を訪問し、社伝記と神代文字について尋ねました。

そのとき責任者の K氏は、まじめな顔をしてこう言ったものです。


「神代文字は、皇国史観の産物で偽物だ」 と。


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では、偽物だと言う文字で書かれた 社伝記を拠り所にして、大御食神社が存立し、千数百年にわたって伊那谷の民たちに尊崇されてきた事実を、どのように説明するのだろうか?


そのときの K氏の言葉が、わたしの社伝記の謎解きへの挑戦の始まりでした。


この謎解きの話に、しばらく、お付き合い下さい。^^


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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【目次】  (予定)

まえがき

第1章 大御食神社
  1 大御食神社
    大御食神社・概要/大御食神社・概論・由緒/赤須彦・出自
     /倭武尊(ヤマトタケのミコト)・東征・歓迎された倭武尊/押姫・采女屋敷


第2章 社伝記
  1 社伝記とは?
    上巻/下巻
  2 社伝記を読み解く(何が書かれているのか)
    風土記との類似/日根子
  3 古代伊那谷の風景
    湯奉の沢/里の地名/諏訪との境
  4 建御名方命は、天津御許の神
    建御名方命は、天津神/伊勢津彦/御手形神社

第3章 古代文字
  1 古代文字論争
    古代文字真贋論の推移/言語学会の現状/日本語の起源/漢字の伝来
     /漢字系文字(疑似漢字と派生漢字)

  2 否定論の検証
    古語拾遺/記紀/隋書/江戸時代/明治以降/現在の古代文字論/八母音説
  3 阿比留草文字 実在の証明
    甲骨文字の伝来/朝鮮使の証言(かと文字)/徐福/日本中にある甲骨文字
  4 阿比留草文字は、こう読む
    甲骨文字の草書体/神字の類(かむなのたぐひ)/読み方
  5 もう一つの古代文字
    豊国文字/サンカ文字/発見された絵文字/

第4章 社家
  1 赤須彦の系図
    社伝記・【赤須彦】/先代旧事本紀・大成経・【吾道家】/ほつまつたえ・【アチヒコとワカヒメ】・【伊那洞】・【野洲川】
  2 高皇産霊神ファミリーの足跡
    高皇産霊神/思兼尊/阿智神社/戸隠・手力男/秩父

第5章 社伝記は、古代史を説く鍵
  1 文字の発見
    長楽骨の碑文(骨刻文字)と、甲骨文字/象形文字の発見と、豊国文字【上津文(うえつふみ)】
  2 覇権の推移
    大陸の覇権/半島の覇権/列島の覇権/九州朝と信濃

資料 
   美社神字解・古代文字便覧・全国の古代文字

あとがき
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by hansaki460 | 2011-02-21 21:02 | 神代文字 | Comments(0)

駒ヶ根市 大御食神社 氏子の諸君へ


駒ヶ根市 大御食神社 氏子の諸君へ

「駒ヶ根市の大御食神社に、『古代文字で書かれた社伝記』 が有る事を知っていますか?」
と、多くの市民に聞いても、「知らない」 と答えるだろうと思います。
または、知っていても興味が無い、と言うかもしれません。

このままでは、例えば
「あなたの家にあるあの古文書は、2~3千年前の事が分る資料なんですよ。」
と言われても、
「そんな馬鹿な!」
と、押入れの隅に仕舞い込んで、
「いつの間にか、どこかへ行ってしまった。」
となるのが、落ちではないでしょうか。

 なぜそう言えるかというと、
 1,多くの人が、「偽物だ」 と思っていて、
 2,お宮の宝物の 管理者 「所有者」 があいまいであり、また
 3,総代たちに、興味も知識も無い、から
 4,公表しないし、研究もしない。

 のだと、思えるからです。

しかし、『古代文字で書かれた社伝記・美社神字録 』 は、貴重な文化財であり、重要な財産ですから、市民や研究用に広く公開したらいいのではないでしょうか?

そうすれば、地域の誇りがまたひとつ生まれ、歴史を見直し、郷土をもっと大切にするでしょう。

例えば赤穂学校の校歌を作った小町谷氏の家系は千数百年続く家で、赤須彦の祖先の思兼尊は、天照大神の妹・和歌姫と結婚している事などが見えてきます。

改めて、市民の宝物を見直したらいかがですか?
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by hansaki460 | 2010-08-16 01:15 | 神代文字 | Comments(1)

古代文字便覧  『神代文字実在の証明』 ひ

阿比留草文字は 甲骨文字から派生しました
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   ★古代文字便覧へ★


音楽曲 サイト
レクイエム
バッハ:マタイ受難曲 リヒター指揮 
フォーレ:レクイエム
モーツァルト:レクイエム ベーム指揮 ウィーン交響楽団
モーツァルト:レクイエム カラヤン

J.S.バッハ
管弦楽組曲 第1番
管弦楽組曲 第2番
チェンバロ協奏曲 第2番 
パッサカリア ハ短調
主よ、人の望みの喜びよ
J.S.バッハでお休みなさい。
ドヴォルザーク
交響曲第7番
交響曲第8番 ブルーノ・ワルター指揮
交響曲第9番  「新世界より」 カラヤン指揮 ベルリンフィル
スラブ舞曲 第1集
スラブ舞曲 第2集
ヴァイオリン協奏曲
我が母の教え給いし歌
スターバトマーテル
Eja, Mater,
ヴィヴァルディ
ヴァイオリン協奏曲集「四季」
ヘンデル
ラルゴ (オン・ブラ・マイフ)
ベートーベン
ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調 作品27-2 「月光」
ピアノソナタ第23番 へ短調 作品57 「熱情」
・ピアノソナタ第8番 ハ短調 「悲愴」 作品13
ブラームス
交響曲 第3番 ヘ長調 作品90
交響曲 第4番 ホ短調 作品98     
フォーレ
レクイエム
「組曲“ペレアスとメリザンド”作品80」    
パヴァーヌ 作品50
ラシーヌ讃歌
ショパン
幻想即興曲 嬰ハ短調[遺作]作品66
ノクターン集
ピアノ協奏曲 第1番
前奏曲集
マスネ
タイスの瞑想曲
チャイコフスキー
弦楽セレナーデ ハ長調 Op.48 第3楽章 エレジー
モーツアルト
ドン・ジョヴァンニ
ヴェルディ
トロヴァトーレ
Anvil Chorus
パガニーニ
バラキレフ
東洋風幻想曲《イスラメイ》
ベルリオーズ
幻想交響曲
シューマン
クライスレリアーナ


「水のいのち」

・・・・
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by hansaki460 | 2010-05-02 14:34 | 神代文字 | Comments(0)

神代文字は徐福が伝えた 『甲骨文字』 だった。

神代文字は徐福が伝えた『甲骨文字』だった。


先日 八重洲ブックセンターへ立ち寄り、二冊の古代史関連の本を購入しました。

① 矢切止夫氏の、『 日本古代史入門 』と、
② いき一郎氏の、『 徐福集団渡来と 古代日本 』です。

◇ 矢切止夫氏の古代史観は、氏の野史辞典などを読んで知ってはいましたが、目から鱗の本です。

たとえば、東山文庫蔵本の後西帝の纏められた日本書紀を底本にした、黒板勝美の第九次日本書紀(現在主に使われている日本書紀)について、東山文庫蔵本が纏められた背景を語り、
『 これは江戸期製であり 後西帝の恨みが隠った誤りの書である。』
と、断言しています。
この『 日本古代史入門 』については、別の機会に紹介したいと思います。

◇ さて、② の、いき一郎氏の、『 徐福集団渡来と古代日本 』ですが、この中で大変参考になる、また心強い発見がありました。

それは、江戸幕府の修史事業として林羅山らが編纂した歴史書・本朝通鑑に、
『 徐福之来日本、在焚書抗儒之前 六七年矣、相蝌蚪篆籒書添竹牒、時人知者鮮矣。其后世世兵燹、紛失乱墜、未聞其伝、嗚呼惜哉。』

(始皇帝の焚書坑儒の6,7年前にやってきた徐福一行は 旧文字の竹簡などを持ってきたが、当時の者で知るものは少なかった。 わが国でも兵火で紛失し、今に伝わっていることを 聞かない。 惜しいものだ。)というものです。

文字は、漢字の起源である「甲骨文字」から「金文」、「大篆」と派生しました。

私のかねてからの自論は、『古代文字・神代文字の《あひる草文字》は、甲骨文字から読むことが出来る。』と言ってきました。

そしてこれにより、自論通りに少なくとも16世紀までは、徐福が甲骨文字よりもすこし進化した 蝌蚪篆籒書、すなわち おたまじゃくしの様な篆書体で書かれた竹簡を伝えたことが明確になりました。
ですから、あひる草文字は 読めるのです。

すくなくとも 紀元前3世紀頃までには、文字が伝わっていました。
しかし、大陸北部系の藤原氏に懐柔・支配された近畿天皇家は、大陸中西部から来た九州西部の勢力や、徐福のことを無視し、邪馬台国のことは、記紀に記しませんでした。

すなわち、前10世紀の南九州朝・御中主之神以来の古代九州朝の神話を盗んで、権威つけをしたのです。

そして未だに、邪馬台国は 近畿にあった と、一生懸命 こじつけようとしています。

◎ この事から、伊那谷の『大御食(おおみけ)神社 』に伝わる古代文字で書かれた社伝記 "美社神字録”の信憑性と、九州の神々ゆかりの神社であることが、証明されました。

ようやく、私の古代文字に係わる疑問も解け、取りあえずの結論を上程できます。^^
あとは、まとめる作業です。
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by hansaki460 | 2010-02-21 07:44 | 神代文字 | Comments(1)

古代文字・神代文字は、存在した!

古代文字・神代文字は、存在した!
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古代文字 否定の 最大争点は、斎部広成が言う 『 上古の世は 文字が 無かった 』 というものですが、先ず その古語拾遺についてです。

O 斎部広成が言う、古語拾遺の 『 上古 』 とは、いつのことか?

e0171497_10265246.jpg斎部広成が 807年に 天皇に奉った本「古語拾遺」を 記します。
古語拾遺 一巻 加序   從五位下 齋部宿禰廣成 撰
蓋聞、「上古之世、未有文字、貴賤老少、口口相傳、前言往行、存而不忘。」書契以来、不好談古。浮華競興、還嗤舊老。遂使人歴世而彌新、事逐代而変改。顧問故実、靡識根源。國史・家牒、雖載其由、一二委曲、猶有所遺。愚臣不言、恐絶無傳。幸蒙召問、欲[手慮]・蓄憤。故、録舊説、敢以上聞、云爾。      以下・・略

[訳文]
聞くところによると、上古の世は 文字が無く、貴賎老少 問わず 口から口へ 伝えていたが、 その 言った事、行った事や 出来事を 忘れは しないかと 書き記して以来、古を語る事を好まなくなり、浮ついた 華やかさを 競い 興じて 還って 旧老をあざ笑い、遂に 世代を 重ねて 古代を忘れ、 代を重ねる後とに 古法を 失った。 顧みて 故実を問う時 その根源を 知らない。国史・家史に この理由を記録されている と 言っても、詳らかにすれば、なお 判らない所が 有る。 愚臣が 言わなければ、恐らく 絶えてしまって 伝える事が 出来なく成ります。 幸いに 召されて 問われましたので、長らく 思っていました事を 述べたいと 思います。 故に 旧事を敢えて申します。      以下・・略

それでは、斎部広成の言う『 上古 』 とは、いつのことだろうか?
広成は 古語拾遺で 言いたかったことは、イワレヒコ(神武天皇)の即位のときの 本来の職掌分掌を 今日(当時)の世にも 貫かせたかった のである。

すなわち、フルコトを記して、それは 忌部(斎部)の役割で あり、また 神武以来 三種の神器にかかわり 且つ、大殿祭・御門祭の 祝詞を司っていて、最も重要な 立場だったと、アピールしているのである。
忌部にとって 神武即位の儀式は、当家の 役割だったからして、当然 『 上古 』 では ないだろう。

2009年の 現在から上古と云えば、大化の改新までを 指すようだが、720年完成の 日本書紀では、「 山幸彦と海幸彦 」 以前を 神代としているからして、神武天皇の即位を 紀元前660年の 辛酉の年を起点としていると 解釈すれば、前七世紀には、既に 文字があったと 読める。

天之御中主・天照大神が治めた 南九州王朝の 高千穂国は、前十世頃と 推定できるから、おおよそは 想像できるが、ホツマツタエには、天照大神の回文や、妹の 和歌姫の歌や、文字を創ったという 思兼尊の事が 記されているので、前九世紀頃には、文字が あったかも しれない。

こういう乱暴な推測を、すべての学者は 極度に嫌う。
だから、記録にとどめたのは 最近なんだ、というかもしれない。
斎部広成の言う『上古』 とはホントはいつなんだろうか?
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by hansaki460 | 2009-05-04 10:29 | 神代文字 | Comments(0)

日本の怨念の源泉と足跡(消された古代文字)

日本と半島の怨念の源泉と足跡

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1)太平洋に今は無きム大陸(無大陸)があった。そこでは,比較的高度の文明が発達していた。この文明を育んだ人種を『洋族』とする。
ム大陸は、或る時、突然に沈没し始めた。
『洋族』は、これに驚き故地を離れ華北平原に四散し、さらにその周辺部に拡散した。

2)『洋族』はム大陸から列島にも到達し、南九州の高千穂国の成立に影響を及ぼした。
後の高千穂国は、天御中主之神,高皇産霊神,天照大御神等の偉人を生んだ。これを 『原倭族』とする。

3)中国大陸で『洋族』は殷国 を樹立したが、以後異なる民族との攻防が 繰り返された。
周辺部では北方系民族に遭遇し、一部は渤海湾を迂回して半島に至り、一部は西海を超えて列島に到達した。

◎『洋族』は、ム大陸の深層の記憶に留めたものと思われる。
半島を南下する『洋族』を『午族』とし、西海を渡って列島に至る『洋族』を『倭族』 とする。  中国大陸では『漢族』が主部を占めるに至った。

4)中国は,春秋戦国の時代を経て,前221年に統一された。
秦の始皇帝との覇権を賭けた戦争に破れた『倭族』の【 徐福集団 】は,東アジアに脱出し、『洋族』や古朝鮮系列の『旧午族』も住む列島,半島に分かれて定着した。 
前者が『倭本族』であり、後者が『倭支族』である。
『原倭族』は、同族ゆえに抵抗なく受け入れ『倭本族』と同化した。

◎ 各地に小国を建設した徐福集団の末裔は,分離を意味する『八族』(=倭本族+倭支族)と自称した。

5)半島南部に定着した『倭支族』は,北からの圧力に対抗するために,三韓国:弁韓,辰韓,馬韓を結成した。

6)九州島に定着した『倭本族』はこれに呼応して、『倭国』を結成した。これを『小倭国』 と称する。

7)時代は下り,半島南部では,三韓が任那,新羅,百済に移行した。

8)『小倭国』は,狗奴国が女王国を制圧し、東征して、政権を樹立した。 
これが 『中倭国』 である。

9)この頃、三韓の民が列島に大量に入植した。 これが,古墳時代の幕開けである。
半島では、後に新羅が膨張し、任那が滅亡して、高句麗,百済,新羅の 三国時代が到来した。

10)AD562年、列島の『倭本族』は、半島の『倭支族』を受け入れ、共同して政権を樹立した。 これが 『大倭国』 である。

11)時代は更に下り、半島では、新羅 が 膨張して、百済,高句麗が滅亡した。

12) AD669年,高句麗の中枢,即ち『 新午族 』は,『大倭国』を簒奪し,政権を樹立した。これが 『大和国』 である

◎古代列島は,半島から見た場合に、駆け込み得る 入植地 であった。
中国の 戦国時代にも流民が渡来していたが、その後、先ずは、三韓国の流民が 畿内他に入植した。
◎次に,任那国の流民が 出雲他に 入植した。三韓国,任那国の民は,『小倭国』,『中倭国 』 の民と同じ『倭族』であるので、この段階においては、『列島倭族』に強い抵抗は生じなかった。
◎更に,高句麗国の流民が 列島を簒奪した。
高句麗の民は,『北方系の午族』であるので、この場合には、『列島倭族』 に強い抵抗が生じた。


13)古代国家『大倭国』の創建時に、列島の勢力を代表する物部氏が任那勢力を代表する蘇我氏に 駆逐され、その残党が東北部に後退した。

14)次に、律令制国家が始った『大和国 』の創建時に、『大倭国 』の勢力を代表する蘇我氏が高句麗勢力を代表する藤原氏に制圧され、橘氏,大伴氏などの 旧勢力も徐々に圧迫され 屈服した。

◎ 宗教面では、『小倭国 』の祠庫信仰が,『大倭国 』の屋代信仰に発展したが,これも『大和国 』の社神信仰へと変質した。
◎ 来世信仰は、内面において『小倭国 』の神教から 『大倭国 』 の仏教に,外面において『小倭国 』 の古墳築造から『大倭国 』の寺院築造に転換した。
◎ 反面、『大倭国 』から『大和国 』への覇権交代時には,旧勢力に対する勝者の呪詛、新勢力に対する敗者の怨念が渦巻き、列島に対立,差別の 社会構造が生じた。
◎ 新午族は、徐福=倭族の 古代文字を徹底的に 焚書してしまった。

   【 これらの《 怨念 》が、1300年後の今でも 続いているのです。 】
(長田通倫氏の論文を参考にしました。)

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by hansaki460 | 2009-03-19 10:24 | 神代文字 | Comments(0)

古代文字に関する ご質問に答えて。

古代文字に関する ご質問に答えて。

ある方からの ご質問です。



従来から古代文字についての疑問に関する質問

①基本的に「いろは」48文字で母音も「あいうえお」になっていること。
②貴写真資料でも 山口県住吉神社の 「スミノエ」 の 「ノ」 及び奈良県大和神社の 「ヤチホコノ」 の 「ノ」 は何れも 万葉仮名の 「乃」 に思える。

この辺りがよく分かりません。



という ご質問に対して。

私は、古代の5母音と 8母音の議論は、まだ勉強不十分なのでわかりません。
そこで 橋本進吉博士の
『 現代とは 全く異なった 子音が 古代にはあった ということではなく、現代より 複雑な 母音の体系が かつて存在した ということらしい。』という前提で、丸山作楽氏の説の 一部を 紹介してみます。
丸山作楽氏が、海江田元老院技官と 明治20年渡欧した折に 碩学スタイン博士と交わした 会話記録です。

スタイン博士が、神代の文字について 説明を 求めた 問いに 答えて
『 ・・・古字に日文、秀眞(ホツマ)、穴市の三種あり、秀眞と穴市とも 伝来の久しきを 持ってすれば、漢籍前後に 於いて、一方に 適用したる者 ならむ。 支那字に 類似せるより。 世人の信を措き難し とするところなり。  -略-
而して 神字五十音は 宇於伊衣阿(ウオエイア)の母音と、宇千由牟布須久奴都流(ウチユムフスクヌツル)の 子音と配合して 声を発し、字を綴れるを 片假音図は 阿伊宇衣於を縦行とし 阿加佐多那波麻耶良和を横行として 悉曇章(梵字)に因りて 位置を変改し、又 習字にも 日文の順次 及び 難波津安積山(ナニハズアサカヤマ)を発して、平仮名色葉歌を用いるに 至れるは 仏式の盛んなる、一時文権を得たるより 馴致したる者なり。-略- 』

すなわち、仏教が入った段階で、古来の発音は 「あいうえお」 に統一されたと、述べてます。 (仏典の学習のためか?)
私見ですが、文字や発音に限らず、全てのものが、白村江の戦いで敗退した時以降、唐及び 高句麗のGHG・進駐軍の 藤原一族と その官僚 及び 仏教学者等によって、太平洋戦争 敗戦後、アメリカナイズした以上の変化があったのではないか、と思います。

ここでは、何故それ以前のもので研究されていないのか?ということになりますが、美社神字録では、3世紀から10世紀頃までのことが古代文字で記されており、10世紀ころの発音で書かれていても、(古代文字は表音文字ですから)何の不思議はないと思います。
倭武尊は 「 ヤマト タケ ノ ミコト 」 と書いてあります。 「 タケル ノ ミコト 」 ではありません。
又、天皇は 「 テムノウ 」 と記されています。

「 ノ 」 が 「 乃 」 になっている件は、私もそう思います。(笑)
古代文字には、あひる草文字に似た文字で、阿波文字というものもあります。 伝承の過程で、変遷したのではないか?
文字は変わっています。甲骨文字から金文・多くの書体を経て漢字へ。
古代文字は、甲骨文字・金文の頃の形が 読み取れますが、これがお手本だ、というものが 有ったのではないのだろうと 思います。
甲骨文字が漢字へと 変遷していく 過程と似ているところが有ったと思います。
中国で 漢字が 簡体字に変遷したのは ごく最近です。
ということで、よろしいでしょうか。

古事記は まだしも、日本書紀の 呪縛の 解けない 現在の史観の中では、なかなか議論が展開しません。
ちなみに、明治時代 ドイツのケムペルマンは、「神代文字」と題する 堂々たる論文をドイツ協会雑誌に 発表していますが、わが国の 誰ひとりも 批評をしていないとのことです。
近年では、吾郷清彦氏などが 著名です。
私も少しずつですが、前進していきたいと思っております。

今後のHPをご支援下さい。
HPで発表した以上、上記のような質問にも、わかりやすくお答えするのが責務かと思います。
その姿勢でおりますので、今回はこの程度でお願いします。



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by hansaki460 | 2009-03-16 19:01 | 神代文字 | Comments(1)

神社に伝わる古代文字[2]

全国各地の神社に伝わる、古代文字です。

石上神宮の 『 守符 』 です。
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.


.
これは、美濃國一宮 南宮神社のものです。↓
祭神は、伊弉諾之尊の御子 金山彦尊です。
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文字の読み方は、こちらへどうぞ!←


鎌倉、鶴岡八幡宮のものです。
祭神は、応神天皇です。
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宮崎県西臼杵郡高千穂町に鎮座する天岩戸神社で発見されたとされる岩蓋
文政四年(1821年)に発見された


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by hansaki460 | 2009-03-03 19:05 | 神代文字 | Comments(0)

神社の古代文字(神代文字)

全国各地の神社に伝わる、古代文字です

倭大国魂神を奉る、奈良県の大和神社(おおやまとじんじゃ)のものです。
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.


.次は、山口県の住吉神社のものです。
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次は、長野県の戸隠神社のものです。
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まだまだ、古代文字は、全国の神社に残っております。

おいおいと。



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by hansaki460 | 2009-03-01 22:40 | 神代文字 | Comments(0)

”美社神字録”の秘密を解く[2] ”建御名方神のこと”

美社神字録”の秘密を解く[2]
”建御名方神のこと”


建御名方神は、日本神話に登場する神で『古事記』に大国主の子として登場し、建御雷神、経津主神と共に三大軍神の一柱に数えられており、『梁塵秘抄』にも「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」とある。
風の神ともされ、元寇の際には諏訪の神が神風を起こしたとする伝承がある。
また農耕神、狩猟神としても信仰されている。

伝承では、建御名方神は諏訪地方の外から来訪した神で、土着の洩矢神を降して諏訪の祭神になったとされ、諏訪大社ほか全国の諏訪神社に祀られている。

名前の「ミナカタ」は「水潟」の意であり元は水神であったと考えられる。ただし、宗像と関連があるとする説や、冶金の神であるとする説もある。

出自について記紀神話での記述はないが、父・大国主母・沼河比売(奴奈川姫)の間の子であるという伝承が各地に残り、妻は八坂刀売神とされている。

『古事記』では、八千矛神(大国主)が高志国の沼河に住む沼河比売を妻にしようと思い、高志国に出かけて沼河比売の家の外から求婚の歌を詠み、沼河比売はそれに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚した。
また、新潟県糸魚川市に残る伝承でも、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。
『先代旧事本紀』でも建御名方神は沼河比売(高志沼河姫)の子となっている。

『古事記』『日本書紀』の一書や『新撰姓氏録』によると、スサノオの六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。


さて、美社神字録では、景行天皇の御代に、建御名方神の御渡りがあったと記すから諏訪に入る前のことではないだろうか?

そういえば、下伊那には建御雷神と建御名方神が談合した所だという伝承の場所がある。

また、古事記では、思兼尊が天照大神に建御雷之男神を推薦するところがあるが、やはり、阿智彦とは縁のある方には違いない。

そこで私は、建御名方神は、巷間伝わる様なイメージの神ではないのではないかと思っている。
もっと、九州朝,阿智宮に関係のある、むしろ信濃にははじめから縁の深い人物であったのではないかと思い始めている。


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by hansaki460 | 2009-02-21 10:18 | 神代文字 | Comments(0)