信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
e0171497_18581696.jpg


HP
まぼろしの
吾道之宮


e0171497_1725895.jpg

   発売中



 今日も 応援クリック
 ありがとうございます

   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
   にほんブログ村 







google36ed5a3dddf221d0.html
ブログパーツ
以前の記事
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
more...
カテゴリ
全体
やまと言葉
幻の吾道之宮
和歌姫 吾道彦
大御食神社社伝記
神代文字
古代文字便覧 
竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝
歴 史 秘 話
地方史から見た覇権の姿
一般
未分類
最新のコメント
唐・新羅進駐軍の唐側代表..
by 旅人 at 04:53
これが高学年の問題であれ..
by 通りすがり at 02:55
当方のブログに関しまして..
by hansaki460 at 07:23
三毛猫さんが書いているこ..
by moon33magic at 16:05
高良大社とは、朝鮮神社、..
by moon33magic at 11:25
その他のジャンル
外部リンク
記事ランキング
ブログジャンル


カテゴリ:神代文字( 36 )

ひふみ 考

ひふみの意味を考える

e0171497_11004003.png




[PR]
by hansaki460 | 2017-06-30 10:13 | 神代文字 | Comments(0)

ひふみ

【試案】 思兼霊句 ひふみ神言

e0171497_09030446.png


[PR]
by hansaki460 | 2017-06-28 09:03 | 神代文字 | Comments(0)

阿比留草文字 阿波文字 解読法と資料

やくもたつ いつもやえかき つまこみに
やへかきつくろ そのやえかきは

八雲も立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作ろ その八重垣は

※ 阿比留草文字 → 甲骨文字 → 漢字で里帰り


[PR]
by hansaki460 | 2017-06-12 12:29 | 神代文字 | Comments(0)

250年前、神代文字で書かれた『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に…

6月3日(土)、御師の「河口湖 本庄家」で行われた宮崎先生のワークショップ、「アワ歌の謎を解く―本庄家文書より分かった響き合わせの意味」に出席し、大変有意義な一時を過ごさせていただきました。

その時、「本庄家の屋根裏部屋から 約250年前の古文献が出てきた」という文献の一葉を拝見しました。


阿比留草文字と阿波文字の混在した文書ですが、習ったものか それとも記録なのか? しかし元はあったんだろうと思われます。


内容の評価はこれからですが、假名使いなど興味が深まります。
(もしかしたら 古事記の読みに、一石を投ずるかもしれません!)

【古事記】
 夜久毛多都。伊豆毛夜幣賀岐。都麻碁微爾。夜幣賀岐都久流。曾能夜幣賀岐袁。

【通説】
 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を

【本庄家文書】
 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作ろ その八重垣は 

と読めました。

★ ろ(る)と、は(を)のところは、誤字や写し間違いではないと思います。

また、「八重垣」を、古事記では「夜幣賀岐」と同じ文字で書いてあるのを、本庄家文書では、「やえがき」と「やへがき」と、二通りに書き分けられている。

これは、明らかに原本なるものがあったのではないかと思う。

[PR]
by hansaki460 | 2017-06-04 13:31 | 神代文字 | Comments(0)

あひる草文字の印影を作ってみました。

日本には、何種類もの古代文字がありました。

その中で、甲骨文字の起源という説がある『あひる草文字』と呼ばれる文字があります。

江戸時代、あひる草文字の蔵書印を、賀茂真淵,常世長胤らが持っていました。

そこで 私も作ってみました。

ご笑覧ください。(^^
e0171497_10115352.jpg

[PR]
by hansaki460 | 2015-08-02 10:12 | 神代文字 | Comments(2)

神功皇后、仲哀天皇、実在の証明書

一ヶ月ほど前、日本経済新聞に
神功皇后は実在した? 九州に数多く残る伝承地
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO86406480S5A500..
という記事がありました。

神功皇后と仲哀天皇が実在しなかった、という説に対する神社伝承からの反論です。

〔Wikipediaからの参考〕
神功皇后を天皇(皇后の臨朝)とみなして15代の帝と数えられていた。
現在では実在説と非実在説が並存している。

仲哀天皇:足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
仲哀天皇の実在性には疑問が出されている(仲哀天皇架空説)。

     ◇

伊勢神宮には、約1450年前の物部大連尾輿自身の奉納文や、藤原の鎌足・藤原の不比等・源頼朝・源義経等、99葉の本人による奉納文が、日本古来の文字で奉納されています。

そしてその「伊勢神宮奉納文神代文字保存委員会」があり、私も会員になっていますが、先日作家で会長の大下伸悦先生が

「神代文字文書には「西暦112年から840年間の歴史」が刻まれていた。」
http://kotodama-club.seesaa.net/article/421095646...

と書かれたので、早速私のHPとブログを紹介したところ、今朝、

「大御食(おおみけ)神社ご神字….神社の古史社伝」
http://kotodama-club.seesaa.net/article/421361753...

とのブログがありました。

大下先生は、

『驚きましたね。
 日本の伝統文字によって正式な神社の社史がつづられ、いまに残されていること・・・。
 そして赤裸々につづられているこの国の歴史です。
 例えば、「おきながたらしヒメ(神功皇后)」の治世の御代がおありであったことがこの社史で確認できることにも興奮を覚えます。』

と書かれていますが、私ははずかしながら神功皇后の御代の記述が、大下先生をして

『私は今生ではもう出合えるはずのない宝物に出合ってしまった。』
『よもや本物の日本とつながれるとは…、思ってもいない出来事でした。
 衝撃が強すぎてこれ以上は言葉が続きません。』
『いやはや、生きていてよかったという思いです。』

とまで言わしめる程の記録とは、思いもよらなかったのでした。

ただ、『古代文字便覧』を発表してからというもの、ネット上での無責任な古代神代文字は偽物という書き込みはほとんどなくなった実感はりましたが…。

     ◇

落合直澄の 翻刻した社伝記には以下の記述があります。

「息長帯日子(おきながたらしひこ)〔仲哀天皇〕 ノ御代四年の秋葉月(あきはつき)、御蔭の杉枯れにき。
然れども 御蔭杉(みかけすき)の中つ枝に 大空(おほうつろ) あり。
杉の実 生いて、巡りて一抱き余り成る有り。
よりて 同じ天皇の五年の春 弥生、植え継ぎの御業、またその御杉もて、御殿(みあらか)を御建て、御渡ノ神幣(ぬさ)奉り、厳(いかし)楯矛 御旗、厳しく清すがしく、日本武尊の御霊を御渡り奉れり。」
http://homepage3.nifty.com/utukusinomori/newpage7...
e0171497_8355836.jpg
注)
あひる草文字の〔こ〕という文字は、〔め〕と似ており、書き写し時のリスクなどを考慮すると、「おきながたらしひこ(仲哀天皇)」とあるのは、「おきながたらしヒメ(神功皇后)」であるかもしれません。

     ◇

というわけで、解説が長くなりましたが、「神功皇后、仲哀天皇は実在の証明」の一助とさせていただきます。

私は戦後の、九州朝に関わると思われる人物らが、日本武尊も含め実在を疑うがごとき一部の学者の見解を憂いております。(^^
.
[PR]
by hansaki460 | 2015-06-28 08:36 | 神代文字 | Comments(0)

「アヒル草文字のフォント」


余話
私が 一年前に制作した、日本の古代文字「アヒル草文字のフォント」が先日、ひとつ売れた。
もう忘れていたので、びっくりした。
なぜびっくりしたか?というと、私のHPからコピーしても、あまり 解像度は 変わらないからである。
しかし、本当に売れたのだ。

そこで、さっそくそのページに、二匹目のどじょうを狙って、宣伝文句を掲載した。^^
・新フォント 【 阿比留草文字史郎体A 】
http://homepage3.nifty.com/ut..

どなたが購入してくれたのかは、わからない。
そこで、売れた理由を 推理してみた。
e0171497_06413882.png

その昔 ソロモン王は ユダヤの神 ヤハウェから、世界の王のしるしとなる 宝の品々を授かった、という伝説がユダヤに伝わる。
そのソロモン王の宝は、三千年前、エルサレムの神殿から持ち去られ、行方不明となっている。

そして、「インド、ネパール、パキスタンなどでの 調査の結果、ソロモンの宝(=太古日本の カラ族の秘宝)が どこにあるのか探しあてた」・・・という話が、ネットに出ていた。^^


ユダヤの ヘブライ語と 日本語が 似ていることは 有名な話だ。
それをふまえて、こんな話がある。

「ロスチャイルド家が 探しているのは、ソロモンの宝であり、その 秘密が 日本の古代文字の アヒル草文字で 解読できるのではないか というらしい。」

そして こんなことまで書いてある。

「ロスチャイルド家の當主 エドモンドが、なぜ 日本の神代文字に興味を示すのか 解せなかった。
然し、ロスチャイルド家の人間が 神代文字の資料を集めている事は、別のルートの情報からも 明らかだつた。
聞くところによれば、私が彼女と会う何年か前、東京・原宿にあるコンピュータ・ソフトのメーカーがアヒルクサ文字のソフトを凡そ二千本つくったと云う。
私白身は 其のソフトの實物を見た事はない。が、其れらは 歐米に輸出されて、一つ殘らず 賣れてしまつた と云うのだ。
日本では、ぼとんど 誰も買ふはずのない 其のようなソフトを メーカーが製作した事自体 とても信じられない事だが、其れをまた 歐米の研究者が ただちに贖入したと云うのも 奇妙な話である。」

・ロスチャイルドが 異常に関心を寄せた「アヒルクサ文字」
http://ameblo.jp/stageup-gate/entry-11191168367.ht..

そのうえで、アヒル草文字のソフトを 買い占めた理由を、こう述べている。

「アメリカを中心に卷き起こってゐる 猛烈な 古代文字 解讀ブームの最中に、此のブームを演出している 國際ユダヤのプロデューサーが 日本の古代文字 ― 神代文字に注目して 發注したものに違ひない、」

しかし、これでは ロマンがない。^^;

そこで私は、こんな仮説をたて、ひとり悦に入っている次第です。(爆笑)

「ソロモンの秘宝の在りかを記した 何かは、おそらく 日本の古代文字・アヒル草文字で解読できる と踏んで、ソフトを買い占め、私のフォントも 購入したのではないか?」・・・と。

この方が、謎めいて とてもロマンがあるからである。^^

[PR]
by hansaki460 | 2012-10-18 12:11 | 神代文字 | Comments(1)

古事記の新解釈^^

.
古事記(部分)新解釈(^^)


かぐら(神楽)の語源は、神座(かむくら)で招魂し、巫(かんなぎ)・巫女(みこ)が神々を降ろし、神懸かりとなり神の意志を伝えたり 穢れを祓う歌舞が 神楽と呼ばれるようになった、という。

古事記 および日本書紀においては、岩戸隠れの段で アメノウズメが 神懸りして舞ったという神話が 神楽の起源であると されます。


古事記の話はこうです・・・。 

高天原の天の岩戸に天照大御神がお隠れになったとき、天の安の河原に八百万の神々があつまり、解決策をねりました。

高天原一の知恵者、思金神が、作らせた『勾玉の珠飾り』・『八尺鏡』をさか木の枝に掛け、『白と青の幣』を垂らし、祝詞を唱え、手力男が岩戸のわきに隠れ、天照大御神を誘い出す大宴会をした。

天宇受売は、かづらをたすきに、まさきを髪飾りにし、笹の葉を手に持って、ステージがわりの大きなおけを伏せてその上に乗り、とんとんリズムをとりながら 面白おかしく踊り始めました。


【手草結天香山之小竹葉而於天之石屋戸伏汚氣而。於天之石屋戸伏汚氣而。】

そうして隠れていた手力男は、あめのうずめが踊りながら差し出した 鏡を見ようと 体をのり出された 天照大御神を外に引っぱり出しました。
e0171497_10325122.jpg

今日の話題は、「ステージがわりの 大きなおけを伏せて その上に乗り」 というところです。^^

① いままで 古事記 の解釈は、【伏汚氣】 を、『桶伏せて』 としています。

② しかし、「 神代文字で書かれた 大御食神社の 社伝記 」 にも、

笹舞い踊り、童 二十二人手に 笹の葉扇を持ち、踊り唄いて曰わく、
 稲虫ノ 祟あらすな 御年神、白猪 白馬 鶏ぞ奉らん。
 また あな楽し ああれ楽しさ、田穀畑つ種々、八束穂に 豊けく実り、あな楽し、
 ああれ楽しさ、天安国平らけく 
 於介(おけ)や 於介(おけ)」


・・・と、オケ が出て来ます。

③ また、<神楽歌>には、

いせじまや あまのとねらが たくほのけ 於介於介
たくほのけ いそらが崎に かをりあふ 於介(おけ)於介(おけ)
  ー以下略ー

といったものがあり

④ 古史古伝の 『 ほつまつたゑ 』 でも、

天晴(あは)れ あな面白(おもしろ)  
あな楽しあなさやけ  おけ さやけおけ  
あわれ 面白  さやけおけ あな楽し
 

と、【 おけ 】 が 語られています。

⑤ 宮中の 新嘗祭では、神楽舎で 神楽歌を奏しますが、
 「阿知女作法」 於介 阿知女(おけ あじめ) というものが あります。

  本方 阿知女  :  於於於於 (お~お~お~お)
  末方       :  於介 (お~け)


とあり、祭壇の扉を開く際に神官が唱える声で、神を迎える儀式作法と考えらている。

     ◇

③ たくほのけ かをりあふ 於介於介
     ↓      ↓
  焚く火の煙  薫り合う  オケオケ


④ あわれ 面白 さやけ おけ あな楽し
    ↓        ↓
  天晴れ  面白 清け オケ  あな楽し


◆ すなわち 『オケ』は、【穢気】 であり、【可笑】 ではないかと思います。

◆ 『伏せて』は、【衾・被】で、
  1.覆うもの。包むもの。被るもの。
  2.分ける・限る・隠すもの。 ついたて。
 ・・・などの「合わす・覆う・包む・収める」「離す・分ける・限る・隠す」などの意味がある。

 於天之石屋戸 伏汚氣而 とは、桶を伏せたのではなく

 穢れ(けがれ)を包み覆う という、かけ声であり、祓(はらえ)だと思います。
[PR]
by hansaki460 | 2012-05-29 10:26 | 神代文字 | Comments(1)

風三郎神社の話

.
【風三郎神社】の話


私が、古代文字で書かれた 大御食神社の社伝記 について調査している事は、ご存じだと思います。^^

その社伝記の中に、【 風三郎神社 】の事が記載されています。
e0171497_514445.jpg
雄朝津間稚子宿禰ノ尊:允恭天皇(376-453)の御代、五年(416)の秋文月、十一日より 嵐風疾き(あらかせとき)雨降りて 五日五夜 きよりて小止まず。

故に八十上津彦、大御食ノ社の神の前に御祈りするに神告げて詔り給はく、

「大草ノ里 黒牛に坐す 風の神の祟りなり。
 この神実(かみざね)を祀らば、穏(おたひ)ならむ」

と、現(おつつ)に詔り給えり。

是は おさおさしきことなりとて、大草ノ里の長 武彦 はた岩瀬、はた阿智ノ宮主 牛足彦と共に議りて、種々の物を捧げ奉りて 称辞(たたえごと)申し給ひしかば、風凪(なぎ)雨止みて穏になりけり。

議りて、種々の物を捧げ奉りて 称辞(たたえごと)申し給ひしかば、風凪(なぎ) 雨止みて 穏になりけり。

七日の次の日 空晴れて 日の御影 明らかなり。


・・・

允恭天皇の御代五年(416年)、陰暦七月半ば、暴風雨が幾日も続いて農民たちは困っていた。

赤須の「大御食神社」のお告げによると
『 大草の里、黒牛にある 風の神の祟りである。この神をまつれば 嵐はすぐに止むだろう 』 という。

そこで大草の里長たちは 皆と相談し、三十余ヶ村の人々を集めて、黒牛の風穴に 様々な品物をささげて 風の神を 手厚くまつった。

すると、たちまち嵐は止み、穏やかな気候になったという。

【社伝記】 下巻6 参照

     ◇

では、【 大草ノ里 黒牛に坐す 風の神 】 は、今どうなっているか?

長野 上伊那郡 中川村 大草 黒牛 に 現在、『 風三郎神社 』がある。
御祭神は、「 級長津彦命 」 と 「 級長戸辺命 」

これは、風の神(風神)として古くから信仰を集める奈良県の 『 龍田大社 』 の御祭神と同じで、

天御柱命 : 級長津彦命 (男神)、
国御柱命 : 級長戸辺命 (女神)

のこととされています。
e0171497_54937.jpg


ただし このことは、以前から神社はあったが、祭神などについては判って居らず、近年になって土地の郷土史研究家が社伝記を元にして ある会報に書いたものが碑になっているのみ。

ということは、神社は元からあったが、そのいわれについては、古代文字で書かれた社伝記にのみ伝わっていた、ということで、社伝記の信憑性が証明される史実です。

     ◇

風の三郎というと、宮沢賢治の 「 風の又三郎 」 を思い出します。

「 風の神 」 を何故 「 三郎 」 と呼ぶのか? は、吉野裕子氏が、氏の著書 「 陰陽五行と日本の民族 」 で、【 風の三郎 】 とは、陰陽道に因り、「 木気三合における 三番目、墓気の未 」 を擬人化した名称だとしている。(私には消化不良ですが・・・。^^;)

風神を祀る神社や、「 風の三郎社 」 という神社が 全国にはいくつかあり、風の三郎伝説も、福島・新潟・長野・山梨地方にあるという。

風の三郎とは、三男坊のやんちゃ息子、と云ったところだろうか・・・・。^^
[PR]
by hansaki460 | 2012-05-22 05:02 | 神代文字 | Comments(0)

古代文字で書かれた 四世紀の地名&【放射性物質拡散予想図】

.
古代文字で書かれた 四世紀の地名



(軽島の明宮(あかしのみや)に坐(ましまし)給ひし 品陀和気(ほむだわけ)ノ尊〔応神天皇〕の御代)四十年(309年)の秋文月、 宮田の里の長 兄守(えもり)また弟守(おともり)と共に議(はか)りて、宮簀姫を迎え奉りて 田比中と云う所の清地(すがち)に祠を建て齋い祀りき。
これ大御食ノ社に迎え坐(ま)しし、宮簀姫の分け御霊なり。


e0171497_549177.jpg

これは、大御食神社に伝わる古代文字(阿比留草文字)で書かれた社伝記にある、長野県上伊那郡宮田村の、「姫宮神社」の由来です。


村の資料では、「口碑によれば、応神天皇35年の創立という。」とある。
【宮田村インターネット博物館】


e0171497_5495271.jpg


四世紀に、宮簀姫を迎え奉りて 田比中と云う所の清地(すがち)に祠を建て齋い祀りき、とある地名は、現在、「 字 田中 」 として、当該地に残っている。

これは、古代文字で書かれた社伝記の信憑性を表すものだ。


     
      応援クリック にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ ありがとうございます!



      


5月 2日(水)
e0171497_11165679.jpg
e0171497_111731.jpg
e0171497_9102894.jpg
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

5月 3日(木)
e0171497_9104351.jpg
e0171497_910525.jpg
e0171497_11321816.jpg
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

5月 4日(金)
e0171497_11323099.jpg
e0171497_11323877.jpg
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


.

[PR]
by hansaki460 | 2012-05-02 05:55 | 神代文字 | Comments(0)