信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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吾道之宮


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カテゴリ:竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝( 8 )

ひふみ

「ひふみ傳」の 始め

上古第二十代天皇:惶根王身光天津日嗣天日天皇(カシコネ オウミヒカル アマツヒツキ アメノスメラミコト)、詔(みことのり)して 四十七音文字 言歌を作らせ給う。ヒフミ伝の始めなり。  ( 竹内文献 より )


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by hansaki460 | 2017-06-25 15:35 | 竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝 | Comments(0)

日本三大弁天とは?

★ 日本三大弁天を、ホツマツタヱ と 先代旧事本紀大成経 から解く。

竹生島【三社弁才天祭】が、6月10日にあるという。

日本 三大弁天 とは、竹生島神社(竹生島), 江島神社(江の島), 厳島神社(厳島) をいう。

弁財天とは一般的に「もとは仏教の守護神で、本地垂迹において、宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命と同一視され、奈良期以降崇敬され続けている神」などと されている。

     ◇

【先代旧事本紀 大成経】にこうある。

大己貴尊、曰わく。この 四の椿国(くいのくに) は何れの神を栖使(しずめまさしむ) や、と。

茲に 久延彦命(ひさのぶひこのみこと) 、曰す。
天祖(あまつみおや) 諸帝(もろうえつかみ) は 天照大神を尊び 賞(いつくしみたまう) 故に、その魂(みたま) を祭り 富主姫尊(とよぬしひめのみこと=フジヒメ) と名(もう) せり。当(この) かみを降(おろ) し住(しずむ) べし、と。

今、降士(ふじ) に在(ま) す神は 人に託(かか) りて、吾が号(かみな) は 千眼大天女(あさまのおおあまのおとめ) と宣えり。

復(また) 四島(金華山・安芸・竹生島・江島)に在(います) 神は 人に託(かか) りて、吾が号(かみな) を 弁才妙天女(べんざいみょうあまのむすめ) と 宣えり。其の威徳は 太(はなはだしき) 神なり。
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また、【ホツマツタヱ】にこうある。

「昔 君 マナヰにありて ミスマルの 珠を濯ぎて
 タナキネを モチに生ませて
 床酒に ハヤコを召せば その夢に 十握の剣
 折れ三割 さがみにかんで(3つが寄り集まって)
 共となる(一つにまとまる)  三人姫生む(そして三つ子の姫を生んだため)
 " タ " の 斎名(タケコ・タキコ・タナコ) 我 穢れなば
 姫を得て 共 恥見ん」と  (以て) 誓い去る
 姫 人成りて オキツ島 サカムヱノ島 イツク島 己からさすらふ
 ( http://c23.biz/BQ4B )
 
【訳文】
アマテル神が、真奈井原に御座しました時、自ら胸の御統(みすまる) の玉を解いて、マナイ(真奈井) の水で 濯(そそ) いだ所、モチコがタナキネを生み、床神酒(ミキ) を飲んで ハヤコと交わったその夜の夢に、十握剣を 三段に折りて 清噛(サガ) みに噛むと 三宝(ミタ) となった。
その後 ハヤコが 三人の娘を生んだので、三女の名の頭にそれぞれ タ(宝) の字 を付けた
三人の姫が成人してからの神名は それぞれ、
 タケコ  沖つ島姫(現・竹生島神社)、
 タキコ  相模江の島(サガムエノシマ)姫
 タナコ  厳島(イツクシマ)姫、です。
 ( http://c23.biz/xsap )

タ(宝) の名のついた姫が坐ます それぞれの神社を、三大弁天という

 これらの話を、関係者等は 知らずにいるのか? 
 知っているのか?
 知っていても 語らないのか?
 将又、忘れ させられたのか?

でも、今日から覚えておいて頂きたい。(^^

【 日本には、悠久なる文明の歴史がある! 】


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by hansaki460 | 2017-06-06 17:08 | 竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝 | Comments(0)

国維椿(国つなぎの杭) と、四椿(四つの杭) と、弁財天の話。

国維椿(国つなぎの杭) と、四椿(四つの杭) と、弁財天の話。
(先代旧事本紀と、ホツマツタヱの接点で読み解く

1995年、韓国金泳三政権が行った「鉄杭除去事業」なるものがあった。
これは「鉄杭は、日帝が国土の血脈遮断のために明堂の穴に鉄を溶かして注いだもので、政権が鉄杭除去した」と云うのである。

「鉄杭は、白頭山から入る気の脈を切る目的で、漢江の力を殺そうとした」
「民族抹殺政策の一環で日本人たちは私たち民族の精気と脈を抹殺しようと全国名山に鉄杭を打ち込んだ。」などと韓国社会では信じているという。

しかしそれら鉄杭の場所は、測量基点に活用される大三角点・小三角点の場所と相当部分一致していた。

     ◇

さて、韓国政府が動くほどの「杭」の噂とは、どこから出たのだろうか?
単なる火病と云えばそれまでだが、深掘りすると興味深い話がある。

宮城県石巻市にある「黄金山神社(こがねやまじんじゃ)」の鎮守として「樁(かなぐい) 神社」なるものがある。
この由来の淵源をたどると、「旧事本紀大成経」に行き着く。

・旧事本紀大成経「鷦鷯伝 巻第八」にこうある。

金を集めるに、岩を練り国辺の海中に立て、以て国維椿(くにつなぎのくい) と為し給う。今陸奥に在る金華山(コガネサクヤマ) は是なり。
又、四の杭を造り、一は四海(よものわだ) の龍神(わだつみかみ) を使て秋津国の …以下略

・即ち、金華山には 国維椿(くにつなぎのくい) を、また、美寵(いつく) 島・千蔵生(ちくぶ) 島・降士嶽(ふじのみたけ)・得瑞(えの) 島、には、四椿(四つのくい) を立てた

・・・金煉岩立国辺海中以為維国椿比島春美咲金花 今在奥国金花山是也
又造四椿一者使四海龍神立秋津国中津国今在秋国美寵島是也

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国維椿(くにつなぎのくい) は、大己貴尊[=タナコ(市杵島姫) の夫] が立てた。

四椿(四つのくい) は、それぞれの姫が立てた。
 美寵(いつく) 島 = 厳島 :タナコ(市杵島姫) ・大己貴の妻
 千蔵生(ちくぶ) 島 = 竹生島:タケコ(奥津島姫)
 降士嶽(ふじのみたけ)=イハナガ(磐長)姫・ハヤコの転生(冨士山小御嶽神社)
 得瑞(えの) 島 = 江ノ島神社:タキコ(江島姫)
(※ハヤコは、タケコ・タキコ・タナコの母で、ソサノヲに斬られオロチとなった。)

不思議なことに、これらは素戔男尊を恨んでいるはずの女性たちだ。(^^

また【日本五大弁財天】も、
「大和国―天河神社:奥社弥山神社」タナコ
「安芸国―厳島神社:大願寺」、  タナコ
「近江国―竹生島神社:宝厳寺」、 タケコ
「相模国―江島神社:弁財天」、  タキコ
「陸奥国―金華山黄金山神社」、  タナコの夫 大己貴尊
となっている。
この話も「弁財妙天女」として、旧事本紀大成経「鷦鷯伝 巻第八」に記されている。

韓国の杭騒動と関係があるかどうかは知らねども、面白い話である。

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by hansaki460 | 2017-05-31 00:47 | 竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝 | Comments(0)

[竹内文書を読む-06]スメラミコトが「天皇」と表現された経緯

[竹内文書を読む-06]
スメラミコトが「天皇」と表現された経緯


「竹内文書」によると、スメラミコト(天皇)の称号は、日球の国のホドの神(天神)と、地球のミドの神(人祖:くにつかみ)から生まれた 国萬造主(くによろずつくりぬし)が、上の位の神より授かった、とある。

その称号を授かった場所を、『天神人祖 初 神宮(あまつかみ くにつかみおや はじめ たましい たまや)』といい、中国の四世紀の史書【枕中書】では、『扶桑大帝は 東王公であり、碧中に住す。・・上に 『太真宮』有り、天皇と為り・・云々』、すなわち『太真宮』と説いた。

だから『太真宮』が【竹内文書】に書かれている『天神人祖 初 神宮』ではないか? と推定される。

扶桑大帝の「扶桑」とは、最古の地理書『山海経(せんがいきょう)』にあり、古代中国人の伝説的地理認識を示すものだ。(山海経は今から3000年以上前に成立したとされる)

しかしこれもまた、竹内文書とともに「奇書」扱いされてきたが、列島でも大陸でも「扶桑国の大帝」の認識は、古来 同じであったのである。


本題からそれたが、スメラミコトとは、

スメル【統める・総める・治める】ミコト【(上言)・御言・命】

であり、【命・尊】は、神々の御子に付けられたから、皇族や高臣にその名が残る。

「みかと(帝・御門)」や、尊び祝う言葉=かみのと(神祝詞)「み(御・上・敬・斎)」+「こと(言)」も同じだ。

だから、「スメラミコトとは、『尊』らを統率する君主」という意味が有ったのではないかと推察するのである。

古代文字で書かれていた「やまとことば」は やがて、漢字(万葉仮名)に書き換えられ、

→音読→訓読→音読~好字化~文語体~口語体~+外来語→、

これらを経て、現代語となってきた。(このことから、古代を探る場合、読み方には十分に注意する必要がある。)


ただ、日本の古代文字について語らなければ、これらの説明は十分条件を満たさない。
ぜひ、古代文字便覧なども参考にして頂きたい。

古代文字便覧

大御食神社(Wikipedia)
 

【今日の結論】

大陸の知識人の中には、古来から『天皇』という漢字が存在し、それが列島(扶桑国)のスメラミトのことであるとの認識があった。

列島では、神々の御子には「ミコト:尊・命」が付けられた。

スメラミコトとは『尊』ら世界を統率する君主、という認識のもと、七世紀後半、天武天皇の頃、「天皇」号が使われるようになった。


(つづく)
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by hansaki460 | 2013-01-23 20:15 | 竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝 | Comments(0)

[竹内文書を読む-05]「スメラミコト(天皇)家」の出自について

[竹内文書を読む-05]
「スメラミコト(天皇)家」の出自について


日本国憲法 第1条は、天皇の地位に関して、国民の総意に基づく と記されているが、では 天皇の根拠は 那辺にあるのか?

戦後の 憲法学会における議論をリードした憲法学者、芦部信嬉氏は、こう言っている。(氏の生家は同じ町内^^)

・・・明治憲法においては、天皇の地位は 天照大神の意志、つまり 神勅に基づくとされた。
だから 結局、日本国憲法では、天皇の地位は「日本国民の総意に基づく」ものであり、しかし「天皇制の根拠は、神々の子孫であるということ以外にない。」のである。

国会に於いても、
「・・旧憲法下における天皇は、いわゆる神勅にさかのぼるわけでございます。・・」
・・・・などと議論された。

天皇が存在する根拠は、先史以来、記紀の記述に基づく、歴史的事実以外に ないのである。


     ◇


さてその上で、では 天皇家の出自を 記紀以前の史書では どう扱ってきたか?

始めに大陸における見解を見てみよう。

斎藤忠氏の「盗まれた日本建国の謎」から一部 要約し、引用させて頂く。

(要約引用はじめ)

前漢代、袁康の「越絶書」には、『夫れ、越王勾践は、東僻と雖もなお、天皇の位に繋がる』
すなわち、「東方僻地の王は、天皇たり得る」という認識が存在する。

このことは、唐代の補筆された『史記』の冒頭には、「一説には、三皇は、天皇、地皇、神皇・・・。天地初めて立つ、天皇氏あり・・・。」とあり、これは「最初に天地のうちに現れた君主が、天皇である」と記されている認識と同じである。

また、四世紀の道士 葛洪は 著書『枕中書』のうちで、扶桑大帝東王公は天皇なり とし、『扶桑大帝は 東王公であり、元陽父と号し、碧中に住す。・・上に 太真宮有り、天皇と為り・・云々』と、説いた。

すなわち、「天皇は、大陸東方海上の島に住み、そこを治める日神なる 君主神」ということである。

(要約引用ここまで)

上記は 斎藤忠氏の記す、大陸古代の認識であった。


では、列島では どのような記述があったかというと、「竹内文書」にこうある。

・・・日球の国より ホドの神天降り、地球より ミドの神 降り、相和する神・・自ら祭主となりて、此のときより 初めてスメラミコト(天皇)と、上の代の神より、詔(みことのり)して定む。
と記されている。

すなわち、天神 と 人祖(くにつかみ)から生まれた 国 萬(よろず)造り主は、『天神人祖 初 神宮(あまつかみ くにつかみおや はじめ たましい たまや)(太真宮?)』を勧請し、自ら祭主となり、スメラミコト(天皇)の称号を授かり、「国萬(よろず)造り主スメラミコト(天皇)」となった』とある。


【今日の結論】

列島に 日球から天降った神より生まれた「国 萬(よろず)造り主」は、スメラミコト(天皇)の称号を賜った という記述がある。

一方 大陸では、「天皇は、大陸 東方海上の島に住み、そこを治める 日神なる 君主神」という認識があった。

だから 東方の 僻地に住む 越王 勾践(在位紀元前496年 - 紀元前494年)は、天皇の位に繋がる人である、との認識があった。

★ すなわち、古代の列島や 大陸の人たちには、日本には 天皇がいたということを、古代から既に 認識していた。
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by hansaki460 | 2013-01-23 09:45 | 竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝 | Comments(0)

[竹内文書を読む-04]天地創造・天界の秘密について、日本の旧約聖書「竹内文書」

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[竹内文書を読む-04]
天地創造・天界の秘密について、日本の旧約聖書[竹内文書]



カバラ】と云うユダヤ教の思想がある。

それはアブラハムが、いと高き神の祭司「メルキゼデク」から伝授された天界の秘密だという。

『カバラ』では、この世界が創られた過程を、創造神の「エイン・ソフ(無限光)」から 10段階に渡って「セフィラ(神の徳性)」が流出し、そのときどきに それぞれの神の属性が反映されて出来あがったとする。

これを、「生命の樹」として著している。

10の神の属性とは、以下の通りである。

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さて、旧約聖書には天地創造の話が書かれているが、日本の【竹内文献】にも天地創造の話が書かれている。

これは、竹内文献の冒頭の部分である。

天地開びゃく前の「おおね(大根)元、そうみからだ(総身体)、大たましい(魂)の たま神(霊神)」、「地球くにつ(人)神人」の「おや(祖)の神」は、始めて ひだま(日球)の国より、『ホドの神』天降り、・・云々・・

・・・ とある。


注目すべきは、「『ホドの神』が天降り」 である。

日本の神々の中に、『ホドの神』という名を聞かない。

だが、前述の「生命の樹」にあるセフィラを、創造神から分かれた神々が地球に降りられた過程と考えると、その中の、(8)「ホドの神」がそれにあたる。


すなわち、天界の創造神「エイン・ソフ(無限光)」から分かれた神々の 一人であるところの「ホドの神」が、この日本に天降り、「スメラミコト」と 定められたと、書かれているのである。


『ホドの神』のことを指摘した人は未だ いないようですが、少し神学や古代史を囓った方なら、糸が解れてくるかもしれない。

なお「竹内文献」が、古代文字から漢字に書き改めたおりに、「ホドの神」を男神、「ミドの神」を女神としているが、「オミ(男女)二神あい合わすところ云々」ともあることから、より上位神であるところの ホドの神・ミドの神の名称には、特別な意味があると考える。


竹内文献の中には、世界中の話が一見荒唐無稽に書かれているが、実は根本的にユダヤのそれと同一のものだと云うことが推測されるのである。
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by hansaki460 | 2013-01-20 12:15 | 竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝 | Comments(1)

[竹内文書を読む-03]風の名称 語源

[竹内文書を読む-03]
風の名称 語源


東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

 その昔、菅原道真は、東風を「コチ」と呼んだ。


やまとことばで【こち】は、表すもの。放つもの。言葉。
・・・である。

変態:「こと(言)」「かせ(風)」「こっち(此方)」
・・・でもある。



昨日に続き、「竹内文献」の、大和朝より以前にあったとされる『不合朝』三代の項に記されている 風の名称 について。(覚え)


  風名云う。

  コゼ  … 東風を云う、
  イコゼ … 東南の間の風、 
  マゼ  … 南風を云う、
  ヤマゼ … 南西間の風、
  ナゼ  … 西風を、
  アナゼ … 西北間の風を、 
  ヨゼ  … 北風を、
  コヨゼ … 北東間の風を云う。

  とある。


 
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by hansaki460 | 2013-01-07 18:04 | 竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝 | Comments(2)

[竹内文書を読む-01]二人の天照大神

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 白蛇は幸運をもたらす

たたき上げの大工から、そこそこ大きい建設会社を作り上げた友人は、「蛇が家の中に飛び込んでくる夢を何回も見た」と、よく話していました。(^^)

     ・・・・・良い年でありますように!


          ◇           ◇


[竹内文書を読む-01]
二人の天照大神

新年にちなみ、天照大神について記したいと思います。


天照大神は、日本の主宰神として伊勢に奉られ、宮中には皇祖神として賢所に奉られる。

賢所(宮中三殿)は、明治時代初期に再興され行政機関の筆頭に置かれたところの「神祇官」が、附属の神殿とともに創建し天照大神を奉った。

古代の律令制で設置された「神祇官」は、仏教勢力の台頭により十世紀以降絶えたが、明治政府により復興した。
しかし再び、平安以来の仏教勢力の巻き返しがあり、「神祇官」は神祇省へ降格され、間を置かず廃止された。

これらのことは「日本とは?」と問ううえで、非常に重要な観点である。


さて、前置きはこのくらいにして、二人の天照大神について・・・。

正史とされる記紀のうち、古事記は「天地が初めて分かれた時、高天原に成り出でた神の名は天之御中主神。」、
日本書紀は「天地が生まれる初め・・・天地の中に一つの物が生じた。・・それは神となった。名を国常立尊と言う。」
・・とある。

一方、古史古伝には「竹内文献」「先代旧事本紀」「ホツマツタヱ」などがあるが、竹内文献には天地創造の歴史が書いてある。(このことは別稿で・・。)

その「竹内文献」には、
・天神御系譜(神代七代)
・神皇御系譜(皇統二十五代)
・鵜草葺不合天皇御系譜(不合(あえず)朝七十二代)
・神倭(かむやまと)朝(神武天皇~現在の総称)
が書かれている。

その中の
・神皇御系譜(皇統二十五代)には、
  4 代 天之御中主神身光天皇
 22代 天疎日向津比売身光天津日嗣天日天皇 (アマテラス)
が記されている。

すなわち記紀には記されていない、神代・上代・不合朝の数十代(数百年)の時代があり、だから記紀の記述より数十代(数百年)前に、天照大神はいたという。

この方が、伊勢に奉られている天照大神で、はじめの天照大神様なのだ。

私は「竹内文献」を概ね事実であろうと思っている。


では、二人目の天照大神とは誰なのだろうか?
「ホツマツタヱ」にはアマテル(天照神)と言う男神がいる。

日の神、大御神、アメノミヲヤ、イセの神 (妹背の神) ともいい、幼名をウヒルギ (大日霊貴)、斎名をワカヒトといった。

アマテルに大日霊貴(おおひるめむち)の字を宛てたために女神とされ、だから天照大神男神説はここからでている。

先の 皇統 22代の 天照大神は偉大な女神であり、その記憶は永く語り継がれ、やはり偉人であった後の 大日霊貴(おおひるめむち)と同一視された。


七世紀に起きた『壬申の乱』は、天皇の座を巡り 雌雄を決する戦いだった。
勝者の天武天皇は、天照大神ー神武天皇の後継者として、その正統性を記すために記紀を作成し、伊勢の神宮を重用した。
(壬申の乱は、後の南北朝の争いの元ともなった。)


その時、二人の天照大神は、一人とされた。
それが、七世紀における覇権の正統性を編集するのには都合が良かったのだ。

なぜなら、不合朝の七十二代を認めれば、壬申の乱で天武が仕上げをし、持統が藤原氏と簒奪した神倭朝(大和朝)に、新たな火種を残すことになるからであった。

すなわち、天照大神ー神武天皇の後継者として名乗り出る者は、いくらでも居たであろう。
そうすれば、戦いは いつまでも絶えなかったに ちがいない。

古史古伝や古代文字の焚書は そのための政策であった。
記紀の紀年を調べると、大きな矛盾が生まれてくるのも、覇権の正統性を巡る政策の 結果であった。

(字数が少なく、ちんぷんかんぷんの処があるかもしれませんが、だんだん深く掘り下げていく予定です。)
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by hansaki460 | 2013-01-01 00:00 | 竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝 | Comments(6)