信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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まぼろしの
吾道之宮


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カテゴリ:歴 史 秘 話( 97 )

日本書紀には、高皇産霊尊系列を葬ったことを記してある。

日本書紀には、高皇産霊尊系列を葬ったことを巧妙に記してある。

「第九段一書 大物主神を祀った始まり」
高皇産靈尊因勅曰「吾、則起樹天津神籬及天津磐境、當爲吾孫奉齋矣。汝、天兒屋命・太玉命、宜持天津神籬、降於葦原中国、亦爲吾孫奉齋焉。」乃使二神、陪從天忍穗耳尊以降之。

高皇産靈尊は命じた。「わたしは神が宿る『樹』の天津神籬(アマツヒモロキ) と神が宿る『岩』の天津磐境(アマツイワサカ) を立てて、私の孫を祝い祀ろう。お前たち、天兒屋命・太玉命は天津神籬を大切にし、葦原中国に降りて、私の孫を祝い祀りなさい」それで二柱の神(アマツコヤネとフトダマ)を天忍穗耳尊に従わせて地上に降ろした。

ここでは、高皇産靈尊はオシホミミのことを「吾が孫」と書いてある。
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★オシホミノミコの「オシホヰ」には【結び,締め,おしまい,押し迫った所,際,】などの意味がある。
ホツマツタヱでは、『ふちおかあなの おしほゐに うふやのみみに あれませる おしほみのみこ』ホ6=「 (フチオカ端のオシホヰ) で生まれた御子」とする。
すなわち、【最終の御子】という意味が隠れている。

いくつかの証拠の一つではあるが、原日本の勢力が次の覇権に移っていく姿が垣間見える。


by hansaki460 | 2017-09-23 08:14 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)

葦原中国の平定は、神皇産霊尊系統を葬り去ろうとした事件だった

葦原中国の平定は、神皇産霊尊系統を葬り去ろうとした事件だった

天手力雄神(天手力男命) は、思兼尊(アチヒコ) とワカ姫の子で、斎名をシツヒコ(静彦) と云った。

茨城県那珂市静に、静神社がある。
主祭神は,建葉槌命(たけはづちのみこと)
相殿神に、手力雄命、高皇産靈命、思兼命を祀る。
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『⽇本書紀』 巻第⼆ 神代下 葦原中国の平定にこうある。
「⼆柱(経津主神・武甕槌神) は邪神や草⽊・⽯に⾄るまで皆平らげられた。
従わないのは、星の神の⾹⾹背男だけとなった。そこで武葉槌命を遣わして服
させた。」
すなわち 建葉槌命=武葉槌命は、星神香香背男(ほしのかがせお) を征服した神が主祭神で、討たれた側が相殿に祀られる。。

手力男(静彦) には、いろんな側面がある。
・天背男命=天津甕星=手力男命(戸隠神社鎮座考:宮㟢信友)と云う説や、
・神皇産霊尊-角凝魂命 ─手力男(伊佐布魂命) ─天底立命-天背男命-天日鷲翔矢命、という系図があるという。

ここに大きな征服の歴史が隠されている。

経津主神・武甕槌神と武葉槌命は、天背男命=天津甕星=手力男命を討った。
討たれた手力男(静彦) を祀る神社の主祭神になりすました。
また武甕槌は、甕星を追撃したとする名を堂々と名乗る。

★高皇産靈命、思兼命、手力雄命の系列を葬ろうとした歴史が存在するのである。


by hansaki460 | 2017-09-22 09:37 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)

「蘇民将来、来福之守」は、哀しい話し!

★ 哀しい「蘇民将来、来福之守」の話し!

古代大化改新以前の日本では、新羅系の蘇我と白山が主導権を握っていた。

その蘇我(白山連合) 権力を倒したのが大化改新で、百済系の奈良王朝(中大兄皇子) と中国系の吉備王朝(藤原鎌足) が連合してのクーデターだ。

律令体制はそのままで、六世紀頃には神奈川県の蘇我川畔に栄えていた蘇我(蘇民) らの末裔は全国に散らばった。

哀しいことに列島では、7世紀~8世紀にかけて「別所」と呼ばれる、体制側が日本原住民を取り締まるための捕虜収容所があり、権力を持って原住民を分離隔離していた。(収容地域は「イツキ」とも呼ばれていたが、サンカはそこから逃れていた原住民である。)
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やがて源氏の原住民系武士らから成る鎌倉幕府が起き、平氏追討の総追捕使なる警察を全国二千余り設けた。(文治革命)

しかしその後、鎌倉幕府が起てた総追捕使なる警察を、原住民を取り締まる「別所」に任せてしまい、その後原住民は虐げられてきたのである。

だから明治になるまで、律令体制下で虐げられていた原住民(4種の迫害されてきた部族) を解放したのが、四民平等といわれる明治維新の本当の姿なので有る!

すなわち、「蘇民将来、来福之守」というお札は、土着先住系の守護神なのである。

実に哀しい話しなのである。

by hansaki460 | 2017-08-15 14:51 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)

無病息災願い「やに回し」

「をけら詣り」と「やに回し」

『新撰姓氏録』の、諸蕃 帰化人系の氏族 326氏の中に、
 八坂造 出自 狛国人 久留 川麻乃 意利佐也 …とある。

これを、

・八坂造(やさか の みやっこ) は、久留(くる) 川麻乃(せんまえ) 意利佐(おりさ) の 狛(こま) 国人(高句麗人) の出身。

と読む。すなわち、

・久留(クル) は、中国・江南(長江の南) にあった クル=呉 のこと。
意利佐(オリサ) は、インド東部のオリッサ州。
川麻乃(センマエ) は、呉とオリッサの中間にある、タイのチェンマイのこと。

・祇園祭りの伝統を守ってきた 京都、八坂神社の社家・八坂一族は、インドのオリッサ州から、タイのチェンマイ、中国の 呉 を経て、朝鮮や日本にやってきた、コマ国(高句麗=狛国) の人である、……と読める。
http://utukusinom.exblog.jp/12910488/

 さて、その八坂神社には、白朮(をけら) 祭が伝わる。
 古式にのってきりだされた御神火は、大晦日の除夜祭斎行の後、灯籠にともされ、「をけら木」とともに、焚かれる。
「をけら詣り」は、移した火を消さないように火縄をくるくると回しながら持ち帰えり、神棚の灯明に灯したり、雑煮を炊く火種に用いるなどして新年を祝う、京都の正月の風物詩だ。

 「おけら」は、虫ではなく薬草だとするが、八切止夫はこう言う。
 七世紀、大陸人が日本へ来て以来、日本原住民がレジスタンスをすると、「根の国で行かしてやる」と、生き埋めにして土砂をかけて蓋とした。
 そのうえ奴隷となった者らに足で踏み固めさせるのが、今も残る「ネブタ祭り」で、怨霊が穴から這い出ないかと根株が、地面にバリケードをはるように生い茂る「求」という草の種をもってきて植えた。
 それを、薬草だと言った、と。
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そんな「をけら詣り」の変形した祭りが、信州伊那谷に伝わる。
無病息災願い「やに回し」 辰野町唐木沢
嗚呼、已矣哉!
by hansaki460 | 2017-01-29 12:22 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)

日抱宮(ひだきのみや) のこと

日抱宮(ひだきのみや) 白井神社 【岐阜県高山市丹生川町白井】

祭神 五十猛大神、お祭 例大祭9月1日とされているが、本来は祭神などない「日抱宮」です。
江戸時代に十八ある日抱宮が伊太祁曽神社と改名させられたが、この白井地区の住民は他地区の伊太祁曽神社に合祀されたのを、元の場所に取り返して奉斎した。
狛犬は社殿最奥にしまい込んだという。

日抱御魂鎮(ひだきのみたましずめ) は飛騨のあちこちで大昔から行われ、丹生川村では、魂鎮の地が日抱宮(ひだきのみや) となった。他にも何社か残っているという。

飛騨の古代人は乗鞍岳を拝み、飛騨の中心に高くそそり立ち頂上に広い平地があり巨石のある山、日本の中央の分水嶺でもある位山を拝み、その山の巨石を磐座として、その横に天照大神(ヒルメムチ) やそれ以前の先祖を葬り拝んできた。
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★みかさふみ 『"如何んぞ君を 生まん" とて 日の神を生む その御名を 太陽霊貴また 和照らす 大御神とぞ 称えます』

三部の神道とは、宗源道(カンツモト)・斉元道(カンツイミ:いつきみもとのみち)・霊宗道(カンツムネ)の三部五鎮の神道のことをいい、
宗源=神道神学と祝詞を意味し、(天児屋根命)
斎元=祭事の要領(ヌサなどの祓い具による祓い)を、(天太玉命)  
霊宗=霊覚を開き、神々と感応する方法を教える、(天思兼命=吾道家)  とします。

このうち、霊宗は、天思兼命(吾道家) が伝えてきたと思われますが、吾道家のある伊那の地は、やがて藤原(中臣) が 天台の寺を隅々まで布陣し、その勢力と権力で吾道宮は消滅し、霊宗は簒奪されてしまったと思われます。
http://utukusinom.exblog.jp/24540778/

吾道家が伝えてきた「霊宗道」は、この「日抱御魂鎮」ではなかったのか?
(吾道家は、飛彈に隣接しています)
by hansaki460 | 2017-01-29 05:25 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)

地名の三日町は、三日待ち

長野県箕輪町にある「南宮神社(祭神:建御名方命、八坂刀売命)」には、春宮と秋宮がある。

建御名方命は秋宮と春宮とを半年ずつ遷座し、それを「御神渡り」といい、毎年の祭事である。

初夏に行われる春宮から秋宮への遷座のあと建御名方命(祭神) は、山中に建てられた「御旅所」と呼ばれる「穂屋」に三日間、避暑に行った。

現在の穂屋
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その三日の間、お供の者たちは麓で待機し、その場所を三日待ち(三日町) と称するようになった。


思うに、全国にある三日町・六日町・十日町等の地名も、町=待ち ではあるまいか?
雪に閉ざされて、動けなくなり、六日も十日も待たされたと云う事では無いだろうか?

ただ、町=市場 と、まことしやかに言う識者らが巨万といるから、手に負えない。(^^

【……三日町の地名から、中世ここでは市が聞かれたにちがいないが、その姿を窺い知るすべもない……(箕輪町誌)】

.
by hansaki460 | 2017-01-17 08:09 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)

日本文明の源泉は、ムー

日本には、大陸より以前に文明があった。

『山海経』には『東海に…君子国あり、衣冠をつけ剣をおびる。』との記述があり、太古から東の海中に、「スメラミコトの御座す国」があることを知っていた。

支那古代の戦国時代から秦朝・漢代(前4世紀 - 3世紀頃)にかけて徐々に付加執筆されて成立した『山海経』(せんがいきょう) は、最古の地理書(地誌)とされるが、その中の
 
第九  海外東経『君子国…あり、衣冠をつけ剣をおびて獣を食らう。』

第十四 大荒東経『君子国あり、衣冠をつけ剣をおびる。』

とある。
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日本文明の源泉は、ムーである。

大陸の文明より古い!
by hansaki460 | 2016-10-09 21:23 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)

諏訪の縄文の神々を追放した出雲の武甕槌命の話

悪しき神にされた縄文の神「天津甕星(あまつみかぼし)、亦名 天香香背男」は、黒曜石の守り神!

古来、黒曜石は「矢の根石」であり「星糞」と呼ばれた。
そして、天津甕星は星の名のつく神だ。すなわち黒曜石を産する人々の神だ。

青銅器や鉄などの武器が使われるまで、鏃(やじり) は矢の根石(黒曜石) だった。鉄砲・火薬などの武器を扱う勢力は、昔から今でも、大きな力を持つ。

列島には、多くの黒曜石産地がある。
代表的な産地は、隠岐(出雲) であり諏訪(出雲神) の霧ヶ峰だ。
諏訪大社下社の裏山で黒曜石を産し、上社の守屋(矢) 氏は「鏃(矢じり) を差配した。
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出雲族は隠岐の黒曜石を差配し勢力を広げた。
そして諏訪の黒曜石も手に入れ、縄文人を制覇したのだった。
これが国譲りの正体ではないかと私は思う。

日本書紀巻第二 神代下
第九段 (一書第二)
【原文】
一書曰、天神、遣經津主神・武甕槌神、使平定葦原中國。時二神曰「天有惡神、名曰天津甕星、亦名天香香背男。請先誅此神、然後下撥葦原中國。」
【読下し】
一書に曰く、天神、経津主神・武瓶槌神を遣して、 葦原中国を平定めしむ。時に二の神曰さく、「天に悪しき神有り。名を天津甕星と曰ふ。またの名は天香香背男。請ふ、先づ此の神を誅ひて、然して後に下りて葦原中国を発はむ」とまうす。


すなわち、日本の正史では『天津甕星』を、天有惡神(天に悪しき神有り) とする。

タケミナカタの話の骨幹は、黒曜石の利権を巡って、隠岐の黒曜石を支配していた出雲族がやがて諏訪の黒曜石をも簒奪した経緯がであるが、追いやれた天津甕星(あまつみかぼし),星神香香背男(ほしのかがせお) らはまつろわぬ鬼神とされ、経津主神・武甕槌命らに追われた。
「武甕槌命」は、文字通り甕星を槌撃した人のことである。

列島はこうして、天孫族に縄文の神々が消され、やがて藤原により天孫の神々もまた被害に遭った。

列島では、旧石器時代~縄文時代、すなわち鉄鏃(てつぞく) が入る2~3世紀までは、黒曜石を加工して鏃(矢じり) を作った。
それを先端に鹿角製の「根挟み」を付けた弓矢または槍に装着して、あたかも鉄砲球を打つかの如く鏃を放った。だから鏃は大切な武器でありかつ狩猟の道具であるが、しかし消耗品であった。

後の世に鉄砲の火薬を得るためにキリシタン大名は、国人を捉えその対価とした事実があるが、権力者はそれほどに武器を必要としたのだった。(もちろん現代でも)

天香香背男を祀る神社や天津甕星を祀る神社は全国に百社近くある。
また天香香背男を祀っていたが現在は征服した布津主を祀っている神社の数は相当なものだろう。

それらの星神社は不思議なことに信濃にはほとんど無い。
かわりにあるのが「ミシャクジ(御石神)」である。

守矢神長官家は「諏訪大社の祭政体はミシャグチ神という樹や笹や石や生神・大祝(おおほうり) に降りてくる精霊を中心に営まれます」とするが、そもそもミシャグジ神は「守矢一族」の守り神であり黒曜石を支配していた一族の神だった。

歴史は移り変わるから、武南方神は、黒曜石を簒奪した侵入者だった」などと今さら言っても詮無いことだが、いつまでも「まつろわぬ鬼神」とはたまらない。

先の大戦で敗れた日本人は、野蛮人だったと言われているのと同じだからである。(^^
by hansaki460 | 2016-08-19 13:38 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)

日本の正史(仮説)


1】根源神:天御祖は、天地創造の後も地球に御坐し、スメラミコトを遣われた。この時列島にいた人々は 『原ヤマト族』である。

2】時代は流れ、太平洋に今は無きム-大陸があったが、或る時突然沈没し始めた。彼ら『洋族』は故地を離れ、列島や華北平原,さらにその周辺部に拡散した。

3】列島に到達したムー直系の『洋族』は、その後南九州の高千穂国の成立に影響を及ぼし、後に高千穂国は、天御中主之神,高皇産霊神,天照大御神等の偉人を生んだ。

4】中国は,春秋戦国の時代を経て,前221年に統一された。
秦の始皇帝との覇権を賭けた戦争に破れた『倭族』の徐福集団は,東アジアに脱出し、列島,半島に分かれて定着した。

5】半島南部に定着した『倭支族』は,北からの圧力に対抗するために,三韓国:弁韓,辰韓,馬韓を結成した。

6】九州島に定着した『倭本族』はこれに呼応して『倭国』を結成した。これを『小倭国』 と称する。

7】時代は下り,半島南部では,三韓が任那,新羅,百済に移行した。

8】『小倭国』は,狗奴国が女王国を制圧し、東征して政権を樹立した。これが 『中倭国』 である。

9】この頃、三韓の民が列島に大量に入植した。 これが,古墳時代の幕開けである。
半島では、後に新羅が膨張し、任那が滅亡して、高句麗,百済,新羅の 三国時代が到来した。

10】AD562年、列島の『倭本族』は、半島の『倭支族』を受け入れ、共同して政権を樹立した。 これが 『大倭国』 である。

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11】時代は更に下り、半島では、新羅 が 膨張して、百済,高句麗が滅亡した。

12】 AD669年,高句麗の中枢,即ち『 新午族 』は,『大倭国』を簒奪し,政権を樹立した。これが 『大和国』 である

・古代列島は,半島から見た場合に、駆け込み得る 入植地 であった。
中国の 戦国時代にも流民が渡来していたが、その後、先ずは、三韓国の流民が 畿内他に入植した。

・次に,任那国の流民が出雲他に入植した。三韓国,任那国の民は『小倭国』,『中倭国 』の民と同じ『倭族』であるので、この段階において『列島倭族』に強い抵抗は生じなかった。

・更に,高句麗国の流民が 列島を簒奪した。高句麗の民は,『北方系の午族』であるので、この場合には、『列島倭族』 に強い抵抗が生じた。

13】古代国家『大倭国』の創建時に、列島の勢力を代表する物部氏が任那勢力を代表する蘇我氏に駆逐され、その残党が東北部に後退した。

14】次に、律令制国家が始った『大和国 』の創建時に、『大倭国 』の勢力を代表する蘇我氏が高句麗勢力を代表する藤原氏に制圧され、橘氏,大伴氏などの 旧勢力も徐々に圧迫され 屈服した。

・宗教面では『小倭国 』の祠庫信仰が,『大倭国 』の屋代信仰に発展したが,これも『大和国 』の社神信仰へと変質した。

・来世信仰は、内面において『小倭国 』の神教から 『大倭国 』 の仏教に,外面において『小倭国 』 の古墳築造から『大倭国 』の寺院築造に転換した。

・反面、『大倭国 』から『大和国 』への覇権交代時には,旧勢力に対する勝者の呪詛、新勢力に対する敗者の怨念が渦巻き、列島に対立,差別の 社会構造が生じた。

・新午族は、徐福=倭族以前の 古代文字を徹底的に 焚書してしまった。

日本古族研究所長田通倫氏「古族研究」より、一部改変。
by hansaki460 | 2016-05-25 08:09 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)

大祓詞(中臣祓詞)は、大和王権の覇者,午族(高句麗)が仕掛けた呪詛

大祓詞(中臣祓詞),六月晦大祓詞は、大和王権の覇者,午族(高句麗)が、前の覇者「倭族」に仕掛けた呪詛だと言う。

『続日本紀』によると、和銅六年「五月甲子。制。畿内七道諸国郡郷着好字。」とある。
当時の「唐」の地名の多くは「洛陽」や「長安」など良い意味の二字の名称が用いられていたから、それにならうという意味があったというが、しかし目的はそれだけだろうか?

当然のことながら漢字が列島に入る前から言葉は存在していたから、日本語を表記するために漢字の音を借用して万葉仮名が用いられた。まあ、いわば日本の古代文字をグローバル化にあわせて、漢字に置き換えたということだ。

当時から日本人は機微に富んでいて、例えば「出づ」を「山上復有山」、「獅子(しし)」を「十六」、「い」を「馬声」、「ぶ」を「蜂音」などと書く戯書が存在した。だから漢字を使い始めた始めから、「漢字に遊ぶ」ことに長けていたのだ。

ところで、日本古族研究所の長田通倫氏は「古族研究」の中で、『列島や郷土の古代史を学習するに当たっての関心の的には,正論ばかりでなく,異論も含まれている。』とし、『いわゆる正論は表情報に依拠するものであり,いわゆる異論は裏情報に依拠するものであるから、表情報から裏情報を発掘することが求められる』として、その裏情報の発掘を手がけられた。

手法は省くとして『古族研究要旨』によると、列島の主役(覇権)は、ム-の時代から、倭国の時代を経て大和国へと移ったとする。

例えば、
『六月晦大祓詞』に伏在している裏意を検討したところ,本字数,助字数の何れにも,明号の存在が確認され,暗号の伏在が感知された。
そこで,大祓詞に音訓変換法を援用したところ,覇権争奪の敗者に対する勝者の呪詛が発掘された。

『六月晦大祓詞』は,覇権争奪おける勝者(=午族)が自族の安寧を敗者(=倭族)の没落で償うための呪詛であり,勝利を確認するための勝利宣言でもあると考えられる。

①『六月晦大祓詞』の全文字数に伏在していると思われる裏意は,本字が「高句驪人」*「君主は倭本族,倭支族を忌む」ことであり,助字が「国ツ神」*「君主は倭本族,倭支族を憎む」ことである。
共に,倭族に対する君主の敵意に他ならないので,文字数が明号の役割を果たしていると考えられる。

②拙論「徐福暗号」によると,容易に判明し得る仕掛け(=明号)と,容易に判明し得ない仕掛け(=暗号)とは,例外なく区別されるので,本祝詞の場合においても,暗号(=裏意)が仕込まれているに違いないとの直感を禁じ得ない。

③本文第1段本字に伏在していると思われる裏意は「倭本族を忌み,倭本族を苦しめ,倭本族を苦しめ,倭本族を尽くす君主は倭支族を苦しめる」こと,ならびに「倭支族を詛う僧侶は,倭本族を謗る」ことである。
何れもが,覇権争奪の敗者(=倭族)に対する,勝者(=午族)の呪詛に他ならない。

……との成果を発表している。

この視点から見ると、大祓詞(中臣祓詞),六月晦大祓詞は明らかに、氏の言う午族(高句麗)が、以前の覇者倭族に対して呪詛を仕掛けたと言う。
by hansaki460 | 2016-05-22 16:18 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)