信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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日本の怨念の源泉と足跡(消された古代文字)

日本と半島の怨念の源泉と足跡

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1)太平洋に今は無きム大陸(無大陸)があった。そこでは,比較的高度の文明が発達していた。この文明を育んだ人種を『洋族』とする。
ム大陸は、或る時、突然に沈没し始めた。
『洋族』は、これに驚き故地を離れ華北平原に四散し、さらにその周辺部に拡散した。

2)『洋族』はム大陸から列島にも到達し、南九州の高千穂国の成立に影響を及ぼした。
後の高千穂国は、天御中主之神,高皇産霊神,天照大御神等の偉人を生んだ。これを 『原倭族』とする。

3)中国大陸で『洋族』は殷国 を樹立したが、以後異なる民族との攻防が 繰り返された。
周辺部では北方系民族に遭遇し、一部は渤海湾を迂回して半島に至り、一部は西海を超えて列島に到達した。

◎『洋族』は、ム大陸の深層の記憶に留めたものと思われる。
半島を南下する『洋族』を『午族』とし、西海を渡って列島に至る『洋族』を『倭族』 とする。  中国大陸では『漢族』が主部を占めるに至った。

4)中国は,春秋戦国の時代を経て,前221年に統一された。
秦の始皇帝との覇権を賭けた戦争に破れた『倭族』の【 徐福集団 】は,東アジアに脱出し、『洋族』や古朝鮮系列の『旧午族』も住む列島,半島に分かれて定着した。 
前者が『倭本族』であり、後者が『倭支族』である。
『原倭族』は、同族ゆえに抵抗なく受け入れ『倭本族』と同化した。

◎ 各地に小国を建設した徐福集団の末裔は,分離を意味する『八族』(=倭本族+倭支族)と自称した。

5)半島南部に定着した『倭支族』は,北からの圧力に対抗するために,三韓国:弁韓,辰韓,馬韓を結成した。

6)九州島に定着した『倭本族』はこれに呼応して、『倭国』を結成した。これを『小倭国』 と称する。

7)時代は下り,半島南部では,三韓が任那,新羅,百済に移行した。

8)『小倭国』は,狗奴国が女王国を制圧し、東征して、政権を樹立した。 
これが 『中倭国』 である。

9)この頃、三韓の民が列島に大量に入植した。 これが,古墳時代の幕開けである。
半島では、後に新羅が膨張し、任那が滅亡して、高句麗,百済,新羅の 三国時代が到来した。

10)AD562年、列島の『倭本族』は、半島の『倭支族』を受け入れ、共同して政権を樹立した。 これが 『大倭国』 である。

11)時代は更に下り、半島では、新羅 が 膨張して、百済,高句麗が滅亡した。

12) AD669年,高句麗の中枢,即ち『 新午族 』は,『大倭国』を簒奪し,政権を樹立した。これが 『大和国』 である

◎古代列島は,半島から見た場合に、駆け込み得る 入植地 であった。
中国の 戦国時代にも流民が渡来していたが、その後、先ずは、三韓国の流民が 畿内他に入植した。
◎次に,任那国の流民が 出雲他に 入植した。三韓国,任那国の民は,『小倭国』,『中倭国 』 の民と同じ『倭族』であるので、この段階においては、『列島倭族』に強い抵抗は生じなかった。
◎更に,高句麗国の流民が 列島を簒奪した。
高句麗の民は,『北方系の午族』であるので、この場合には、『列島倭族』 に強い抵抗が生じた。


13)古代国家『大倭国』の創建時に、列島の勢力を代表する物部氏が任那勢力を代表する蘇我氏に 駆逐され、その残党が東北部に後退した。

14)次に、律令制国家が始った『大和国 』の創建時に、『大倭国 』の勢力を代表する蘇我氏が高句麗勢力を代表する藤原氏に制圧され、橘氏,大伴氏などの 旧勢力も徐々に圧迫され 屈服した。

◎ 宗教面では、『小倭国 』の祠庫信仰が,『大倭国 』の屋代信仰に発展したが,これも『大和国 』の社神信仰へと変質した。
◎ 来世信仰は、内面において『小倭国 』の神教から 『大倭国 』 の仏教に,外面において『小倭国 』 の古墳築造から『大倭国 』の寺院築造に転換した。
◎ 反面、『大倭国 』から『大和国 』への覇権交代時には,旧勢力に対する勝者の呪詛、新勢力に対する敗者の怨念が渦巻き、列島に対立,差別の 社会構造が生じた。
◎ 新午族は、徐福=倭族の 古代文字を徹底的に 焚書してしまった。

   【 これらの《 怨念 》が、1300年後の今でも 続いているのです。 】
(長田通倫氏の論文を参考にしました。)

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by hansaki460 | 2009-03-19 10:24 | 神代文字 | Comments(0)
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