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信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎


吾道彦物語[4]”天八意思兼尊の時代”

吾道彦物語[4]”天八意思兼尊の時代”

 芥川龍之介の『素戔嗚』に、思兼尊が登場しますね。思兼尊の姪と、素戔嗚の恋の場面もあり、生き生きと芥川の文章の中で生きています。 

 思兼尊のエピソーには、天岩戸隠に登場する話が余りにも有名ですが、それは思兼神がアイデアを駆使して企画した、盛大な祭りのイベントだったようです。その企画を少し紹介すれば・・・・

 まず常世の国から来た鶏の長鳴鳥(ナガナキドリ)を鳴かせ、鍛冶と玉造の神に鏡や玉を作らせ、それを飾った立派な玉串を製作させた。そして玉串と祝詞を捧げながら、天照大神を褒め称える最高の儀式を演出しました。

 このイベントを最高に盛り上げたのが、意表をついたダンスで、最後の仕上げが天手力男神の『力技』ということですね。

 神器として欠かせない御鏡や玉の製作、神祭りの重要な祭具である玉串の考案、神をたたえる儀式の演出、そして神楽の源流といわれる舞踊ショー。 こうした企画のひとつひとつがのちのいろいろな産業や芸能文化の源流となったことを考えると、思兼神というのはとてつもなく優れたクリエイターだったのでしょう。

 いくつか拾ってみると、

 「日本書紀」では、思兼命が指揮を執り、天太玉命と天兒屋命に命じて御幣を作らせて、相共に祈祷したことや、

 「古事記」には、思兼命が発案して神々が準備した御幣(みかぐら)を、布刀玉命(太玉命)が持って、天児屋命が詔戸(祝詞)したことがあります。

 「古語拾遺」にも、思兼命が指揮を執り、天太玉命が諸神を率いて和幣(にぎて)を作らせ、天太玉命と天兒屋命(神皇産霊神の兒となっている)が一緒に祈祷したとあります。

 「先代旧事本紀」では、思兼命が発案し、天太玉命は諸神を率いて御幣を作り、天太玉命と天児屋命が一緒に祈祷したことになっており、その際、阿波の忌部の祖天日鷲神は木綿を作ったことになっています。

 そのほかにも、本居宣長の「古事記伝」には、思兼神について「数人の思慮る智を一の心に兼持る意なり」と説明されています。それは、「 あまたびとの おもいはかるちを ひとりのこころに かねもてる い なり 」です。つまり、数多くの人間の知恵を一身に結晶させているのが 思兼神と表現しているのです。

 それでは、思兼尊が活躍したのはいつ頃のことでしょうか?

 私のHP(http://homepage3.nifty.com/utukusinomori/newpage2-4.html)の小説『美しの森物語』で中谷先生が言うには、

「昔の話だよ。 のちに飛鳥文化を創った九州の倭国のことだがね。紀元前十世紀頃に 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) や 天照大神(あまてらすおおかみ) の、偉人たちが治めていた高千穂国が南九州に有ったんだ。 その天皇家の草分け的存在の 天之御中主神の、天孫族の末裔たちの 倭国人が、阿智神社を奉り、またその末裔の赤須彦が 大御食神社を奉ったのだよ。阿智には 高千穂朝時代の 天思兼命の子孫が来て、信濃の祝(はふり) の租になっているよ。」

と、言ってます。

  天之御中主神の数代後が天照大神の時代だったようですから、紀元前9世紀頃と云うことでしょうか?
by hansaki460 | 2009-02-16 22:46
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