スポンサードリンク
google.com, pub-3712853130935958, DIRECT, f08c47fec0942fa0
以前の記事
2020年 09月2020年 08月 2020年 07月 more... カテゴリ
全体やまと言葉 幻の吾道之宮 和歌姫 吾道彦 大御食神社社伝記 神代文字 古代文字便覧 竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝 歴 史 秘 話 地方史から見た覇権の姿 一般 未分類 その他のジャンル
外部リンク
記事ランキング
ブログジャンル
|
米栽培は、年 50,000%以上の利回り商品
米(こめ)の力
古代から米栽培は、年 50,000%以上の利回り商品だから、現代も農家は農地法を死守する。 お米の栽培は種籾を催芽させてから籾すりまで約7ヶ月。 年1回の収穫だから12ヶ月が投資期間とすると、米一粒からとれる数は約500~1000粒だから、単純に言えば表面利回りは、50,000~100,000%になる。 米は自然の恵みではない。 米は血で購った宝である。 だから古代から為政者は百姓を「おおみたから」といって大事にして米を支配した。 米を栽培したのは姓を持った階層の、数多い人達だから百姓という。 だから古代から米を生産する者を、支配者はけして差別しなかったのである。 農民は搾取されたという見方は、金銭で納税されるようになった、近年の作り話である。 農家になれない人たちが、被差別にあったのだ。 さて、古代、為政者は籾を貸し与え、秋に回収した。 投資である。 「貸稲」(いらしのいね)や、「出挙」で、50%~100%の利子を払った。 しかし 50,000%の中の 100%なのだから けっして多くない。 秀吉の太閤検地で、その体制は変質したが、おかげで 家康は 始めから全国を、石高という同じ物差しで 支配することが出来た。 (荘園の一掃と、度量衡の統一) 都市部にある農協が、組合員(農家)の人数より職員の人数の方が多いのは、作物ではなく、元農地の利用から上がる、お金と不動産を管理しているからである。 話がそれたが、おおみたからは大切に保護された。 いわば特権階級だった。(異論はみとめる。(^^)) 今でも農家はことのほか優遇されている。 中世からの本百姓は別だが、江戸期に大きくなった豪農の多くは、小さな百姓に田畑を質にして金を貸し、取り上げた農地を元の農民に貸し与え、小作とした。 それを 「質地地主」 と呼ぶ。 地主小作制の始まりである。 農家が農民を支配下に置いたのだ。 それが戦前まで続いた。 50,000%以上の超超高利回りの投資商品である米は、江戸時代には世界に先駆けて先物取引市場を発展させた。 それを扱う 商人達の中から、石門心学のようなその後に発展した資本主義の精神が生まれてきた。 日本は世界の中で、ほとんどの分野で最先端を走っていたのである。 そこには米の存在があるのだ。 今でも米作りは、特権差別である。(農家が悪いわけではない) 農地は、農家認定されていない非農家の国民は絶対に持てない。 戦後、農地解放で、ただでもらった土地が数十年たって、米の利回り位に値上がりした。 (農地解放を否定しているのでは ない) だから、農家・農地を支配している 隠れたる者達は、古代の支配者と何ら変わらない。 形が変わっただけなのである。
by hansaki460
| 2016-06-15 10:48
| 一般
|