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信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎


日本の正史(仮説)


1】根源神:天御祖は、天地創造の後も地球に御坐し、スメラミコトを遣われた。この時列島にいた人々は 『原ヤマト族』である。

2】時代は流れ、太平洋に今は無きム-大陸があったが、或る時突然沈没し始めた。彼ら『洋族』は故地を離れ、列島や華北平原,さらにその周辺部に拡散した。

3】列島に到達したムー直系の『洋族』は、その後南九州の高千穂国の成立に影響を及ぼし、後に高千穂国は、天御中主之神,高皇産霊神,天照大御神等の偉人を生んだ。

4】中国は,春秋戦国の時代を経て,前221年に統一された。
秦の始皇帝との覇権を賭けた戦争に破れた『倭族』の徐福集団は,東アジアに脱出し、列島,半島に分かれて定着した。

5】半島南部に定着した『倭支族』は,北からの圧力に対抗するために,三韓国:弁韓,辰韓,馬韓を結成した。

6】九州島に定着した『倭本族』はこれに呼応して『倭国』を結成した。これを『小倭国』 と称する。

7】時代は下り,半島南部では,三韓が任那,新羅,百済に移行した。

8】『小倭国』は,狗奴国が女王国を制圧し、東征して政権を樹立した。これが 『中倭国』 である。

9】この頃、三韓の民が列島に大量に入植した。 これが,古墳時代の幕開けである。
半島では、後に新羅が膨張し、任那が滅亡して、高句麗,百済,新羅の 三国時代が到来した。

10】AD562年、列島の『倭本族』は、半島の『倭支族』を受け入れ、共同して政権を樹立した。 これが 『大倭国』 である。

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11】時代は更に下り、半島では、新羅 が 膨張して、百済,高句麗が滅亡した。

12】 AD669年,高句麗の中枢,即ち『 新午族 』は,『大倭国』を簒奪し,政権を樹立した。これが 『大和国』 である

・古代列島は,半島から見た場合に、駆け込み得る 入植地 であった。
中国の 戦国時代にも流民が渡来していたが、その後、先ずは、三韓国の流民が 畿内他に入植した。

・次に,任那国の流民が出雲他に入植した。三韓国,任那国の民は『小倭国』,『中倭国 』の民と同じ『倭族』であるので、この段階において『列島倭族』に強い抵抗は生じなかった。

・更に,高句麗国の流民が 列島を簒奪した。高句麗の民は,『北方系の午族』であるので、この場合には、『列島倭族』 に強い抵抗が生じた。

13】古代国家『大倭国』の創建時に、列島の勢力を代表する物部氏が任那勢力を代表する蘇我氏に駆逐され、その残党が東北部に後退した。

14】次に、律令制国家が始った『大和国 』の創建時に、『大倭国 』の勢力を代表する蘇我氏が高句麗勢力を代表する藤原氏に制圧され、橘氏,大伴氏などの 旧勢力も徐々に圧迫され 屈服した。

・宗教面では『小倭国 』の祠庫信仰が,『大倭国 』の屋代信仰に発展したが,これも『大和国 』の社神信仰へと変質した。

・来世信仰は、内面において『小倭国 』の神教から 『大倭国 』 の仏教に,外面において『小倭国 』 の古墳築造から『大倭国 』の寺院築造に転換した。

・反面、『大倭国 』から『大和国 』への覇権交代時には,旧勢力に対する勝者の呪詛、新勢力に対する敗者の怨念が渦巻き、列島に対立,差別の 社会構造が生じた。

・新午族は、徐福=倭族以前の 古代文字を徹底的に 焚書してしまった。

日本古族研究所長田通倫氏「古族研究」より、一部改変。
by hansaki460 | 2016-05-25 08:09 | 歴 史 秘 話
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