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信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎


神功皇后、仲哀天皇、実在の証明書

一ヶ月ほど前、日本経済新聞に
神功皇后は実在した? 九州に数多く残る伝承地
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO86406480S5A500..
という記事がありました。

神功皇后と仲哀天皇が実在しなかった、という説に対する神社伝承からの反論です。

〔Wikipediaからの参考〕
神功皇后を天皇(皇后の臨朝)とみなして15代の帝と数えられていた。
現在では実在説と非実在説が並存している。

仲哀天皇:足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
仲哀天皇の実在性には疑問が出されている(仲哀天皇架空説)。

     ◇

伊勢神宮には、約1450年前の物部大連尾輿自身の奉納文や、藤原の鎌足・藤原の不比等・源頼朝・源義経等、99葉の本人による奉納文が、日本古来の文字で奉納されています。

そしてその「伊勢神宮奉納文神代文字保存委員会」があり、私も会員になっていますが、先日作家で会長の大下伸悦先生が

「神代文字文書には「西暦112年から840年間の歴史」が刻まれていた。」
http://kotodama-club.seesaa.net/article/421095646...

と書かれたので、早速私のHPとブログを紹介したところ、今朝、

「大御食(おおみけ)神社ご神字….神社の古史社伝」
http://kotodama-club.seesaa.net/article/421361753...

とのブログがありました。

大下先生は、

『驚きましたね。
 日本の伝統文字によって正式な神社の社史がつづられ、いまに残されていること・・・。
 そして赤裸々につづられているこの国の歴史です。
 例えば、「おきながたらしヒメ(神功皇后)」の治世の御代がおありであったことがこの社史で確認できることにも興奮を覚えます。』

と書かれていますが、私ははずかしながら神功皇后の御代の記述が、大下先生をして

『私は今生ではもう出合えるはずのない宝物に出合ってしまった。』
『よもや本物の日本とつながれるとは…、思ってもいない出来事でした。
 衝撃が強すぎてこれ以上は言葉が続きません。』
『いやはや、生きていてよかったという思いです。』

とまで言わしめる程の記録とは、思いもよらなかったのでした。

ただ、『古代文字便覧』を発表してからというもの、ネット上での無責任な古代神代文字は偽物という書き込みはほとんどなくなった実感はりましたが…。

     ◇

落合直澄の 翻刻した社伝記には以下の記述があります。

「息長帯日子(おきながたらしひこ)〔仲哀天皇〕 ノ御代四年の秋葉月(あきはつき)、御蔭の杉枯れにき。
然れども 御蔭杉(みかけすき)の中つ枝に 大空(おほうつろ) あり。
杉の実 生いて、巡りて一抱き余り成る有り。
よりて 同じ天皇の五年の春 弥生、植え継ぎの御業、またその御杉もて、御殿(みあらか)を御建て、御渡ノ神幣(ぬさ)奉り、厳(いかし)楯矛 御旗、厳しく清すがしく、日本武尊の御霊を御渡り奉れり。」
http://homepage3.nifty.com/utukusinomori/newpage7...
神功皇后、仲哀天皇、実在の証明書_e0171497_8355836.jpg
注)
あひる草文字の〔こ〕という文字は、〔め〕と似ており、書き写し時のリスクなどを考慮すると、「おきながたらしひこ(仲哀天皇)」とあるのは、「おきながたらしヒメ(神功皇后)」であるかもしれません。

     ◇

というわけで、解説が長くなりましたが、「神功皇后、仲哀天皇は実在の証明」の一助とさせていただきます。

私は戦後の、九州朝に関わると思われる人物らが、日本武尊も含め実在を疑うがごとき一部の学者の見解を憂いております。(^^
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by hansaki460 | 2015-06-28 08:36 | 神代文字
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