信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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銅戈・銅鐸の謎解き

古代文字で書かれた「ホツマツタヱ」から、銅戈・銅鐸の謎解きをします。


出雲圏内にあったと思われる銅鐸は、三世紀になると突然造られなくなり、近年には埋葬されたものが発掘されている。
その埋納時期は、紀元前後と二世紀頃に集中している。

銅鐸については諸説があり、例えば松本清張等は、平時は地中に埋納し、祭儀等の必要な時に掘り出して使用したが、祭儀方式や信仰の変化により使われなくなり、やがて埋納されたまま忘れ去られた、とする。

しかし、古史古伝から観ると、違った風景が見える。


     ◇


ホツマツタヱには、「ホツマツタヱを述ぶ」という前書きがあり、

初代天神国之常立は「トの教え【トホコ】」を説いた。
【ト】は「調の押手」といい、「経・法」の意味をさし、「調和/融和と秩序」の実現を象徴する。
【ホコ】は「逆矛」のことで「法と警察力」を指す。


…と云う。


さて、

『またも 宝の故は 調の道に 地 治むれど その中に 横転く者は 己が実に 合わねば道を に行く』23文

『オオヒコをして 越の治人 タケヌナガワを ホツマ治人 キビツヒコして 西南の治人 タニハチヌシを 丹波治人 教え 受けずば 綻ばせ  賜り 軍立ち』33文

矛の掟は 御恵みに 横曲(汚しま) 滅ぼす 端の抜き』ミ1文

『玉はタテ 貫は潤す 矛もタテ 横曲 滅ぼす 二柱 行き来 鳥居の 二神と 聞きて 各々 ヲシテ 染めけり』ミ3文



トとは「調の押手=爾・法」で、北九州にあった当時の中央政府は、銅戈をもってその象徴とした。

一方、「トのヲシテ」(爾・法)と共に伊弉諾,伊弉冉から天照大神が授けられた「ホコ=矛=逆矛」は、後にクシヒコ (大国主) に授けられた。
この「ホコ」はイサナミの『調の道に逆らう者を排除する「逆矛」』を表し、「隈の神」の意味でもある。

この「逆矛」こそが【 銅鐸 】が象徴する教え=神道なのだ。


例えば、ヤマトタケノ尊が東征した時の随伴者は、出雲の人間だ。

だから当時、北九州の中央政府と、出雲の警察力が力を合わせて列島の統一に力を合わせたことは想像できる。

ただし古史古伝では、本来 列島はまとまっていたが、やがて横曲(汚しま)がはびこる世とになったため、東征・西征を成した…と。

その後【銅戈】と【銅鐸】を収めた史実は、

『禊に民の調ひて イヤマト 徹る 葦引きの 千五百の生田の 瑞穂 成る マトの教えに かかんして のん アワ国は てん ヤマト』5文
『マトの教えは 昇る日の 本なる故に "日の本" や 然れど ヤマト な棄てそよ』23文


と、やがてヤマトと成るためのセレモニ-だったのだ。

そして清汚を鑑みる八咫鏡を加え三種の神器となし、ヤマト(大和)と成した。

だからヤマトとは、調和と秩序・大調和・円満・完成のことであり、日本の国なのだ。
もちろん「日の丸」もその象徴。


『やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 やまこもれる 倭しうるはし 』と、詠んだヤマトタケの時代の偉業は、史実からも裏付けされる。


また、柏手を四回打つ作法は、神道の流儀が別れたことにすぎないと思う。
宮中の神殿(三殿の内)には、出雲系も祀られていると云う。

銅戈が北九州~瀬戸内側に、銅鐸が出雲~近畿,東海にあるのは不思議なことではない。
学者らが、古代文字で書かれた記録を忌避しているかぎり、日本の歴史は外つ国からの賜物と、自虐史観が続くのではないだろうか?


参考サイトは、『ほつまつたゑ 解読ガイド』 です。


銅戈=爾、逆矛=銅鐸、という見解は、見かけません。
ただ、戦後の無神論の史観からは到底受け入れられないから、過去に主張した方もいたかもしれませんが、私が知る限り初めてだと思います。(^^
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by hansaki460 | 2015-02-20 19:29 | 地方史から見た覇権の姿 | Comments(0)
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