信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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伊邪那岐命以前の時代を 神話に閉じ込めた理由

 
古事記では、伊邪那岐命と伊邪那美命を、別天神五柱(ことあま いつはしら)と神世七代(かみよ ななよ)の神々の最後に配し、日本民族の総氏神とされる天照大神の親とする。

では 伊邪那岐命の頃は いつの話だろうか?

古事記では 神代の時代を簡略化しているが、古伝の竹内文献やホツマツタエ、ミカサ文などは、かなり詳しく記しているから、伊邪那岐命より前の時代のことを推察することが出来る。


「筑紫の 日向の 橘の小戸の阿波岐原」の御池(禊ぎ池)は、伊邪那岐命が禊ぎを行った場所と伝えられ、

「伊弉諾尊が黄泉の国から帰って汚れを祓う 禊ぎの時、多くの神々が生まれ、最後に 左目を洗うと 天照大神・右目を洗うと 月読命・鼻を洗うと 須佐之男命が誕生する。」とされる。

これら簡略化された記紀の記述は、当時の いろんな政治的配慮を重ねた結果だろうが、罪なことをしたものだと思う。(^^

おそらくこの地(宮崎県)は当時、最先進地だったのだろう。
天照大神(大日霊貴)は、この地で生まれたと推定できる。

私は、伊邪那岐命は 紀元前 十世紀前後(三千年ほど前)の頃の人と推定している。
(中国古代では 春秋時代の前ころ、イスラエル王国では ソロモン王が即位したころ。)


ではなぜ記紀は、伊邪那岐命以前の時代を 神話に閉じ込めたのか?

古事記は、天之御中主神を、日本書記では 国之常立尊を最初の神とする。

天之御中主神は「天尊:アメミコト」、国之常立尊は「地尊:クニミコト」とし、だから天皇は 国之常立尊に繋がると 示唆している。


しかし「古伝」によると・・・・・

国之常立尊の裔は、~ 国狭槌尊 ー 豊国主 ー 泥土煮尊 ー 角杙神~
と続いたが、次の「面足尊」で絶えた。

そこで 泥土煮尊は、高皇産霊尊の孫の「天鏡尊」の子・「天萬尊(アメヨロツ)」を養子に迎えた。

その養子・天萬尊の子が、伊邪那岐命の親の「沫蕩尊(アワナギ)」なのである。


だから、古事記が天之御中主神を、日本書紀が国之常立尊を最初の神として、人の世は伊邪那岐命から始まったとしたのは、

【国之常立尊の正統な裔は絶え、養子の孫が伊邪那岐命だと云うことを隠す意図があった】

のでは無いかと、推察するのである。


当時の「高皇産霊尊」は『ミムスビ』ともいい、「ヒタカミ国を結ぶ(統べる)」という意の役職名で、八方の地(地方)を治める君、しかしやはり世嗣の君だった・・・。

もしかしたら壬申の乱(672)は、国之常立尊の正統な、すなわち「面足尊の直系」だという族が名乗り出ていたのか、もしくは「天鏡尊」の裔がその地位を主張したのかもしれない。

だから、古事記 日本書紀と続けて著して、勝者天武の正統性を、国内外へアピールしたのかもしれない。(^^





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by hansaki460 | 2013-11-19 17:31 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)
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