信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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陰陽五行説の起こりは、日本の【ホツマツタエ】にある。

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日本の古伝「ホツマツタエ」では、大宇宙の根源の意識・創造主を【アメノミヲヤ(天御祖)】といい、大宇宙にあるすべての意識 (魂魄) はアメノミヲヤから分かれて独立したもの (分け御魂)と説明する。

大宇宙の根源のエネルギーは、サムシンググレイト(アメミヲヤ) の ウイノヒトイキ(=原初の生みの意志)により、

(1) 陽と陰に分離し、

(2) 陽は 空・風・火に、
    陰は 水・埴(土)に分れて(=分け御魂)独立したとされる。

( ★ これが陰陽五行説の原型で、大陸に伝わり発展した。)

     ◇

アメミヲヤを中心(中御座)に、【ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ】の八神霊(天元神)を位置し、ト:南、ホ:東北、カ:西、ミ:東南、ヱ:北、ヒ:西南、タ:東、メ:西北、を守らせ、また方位神ともされた。

また、
【ヱの尊】と【トの尊】は日本にあって、始めは
【ヱの尊】が [ヲウミ(近江・中央部)]の中央政府を治め、
【トの尊】が [トシタ国=ホツマ国(日が発する東国)] を治めた。
 そして以後、【ヱの尊】と【トの尊】は、交代で世を継いだ。

因みに、【ヱ】の系統が、イサナギ・イザナミの系統で、【ト】の系統が、高皇産霊神の系統である。(この項つづく)

     ◇

【ヱの尊】と【トの尊】の後に、天御祖の顕現として天御中主が人間として生まれ、やがて裔「クニトコタチ」の分け身の「トシノリタマメ(歳徳玉女)」は、「ヱト守り」としてヤマサ神をうんだ。

ヤマサ(八将神)は 地の十一神から分れ出て、人々の生活 (衣食住) を 火水風の災いから守るために、分担して八方位についた。

1.ウツロヰ (空)  2.シナトベ (風)  3.カグツチ (火) 
4.ミズハメ (水)  5.ハニヤス (土)  6.オオトシ (豊作) 
7.スベヤマズミ (山)  8.タツタメ (鎮火・鎮浪) 

がそれである。

    

ウツロヰ (空)は、「ウツロヰのヲマサ(大将)」とも呼ばれ、これが「大将」と解釈され「大将軍」となった。

平安京ができたときに桓武天皇は、王城鎮護のために平安域の四方に将軍塚(大将軍社)を築き、王城の鎮護とした。
大将軍神社のほとんどは、祭神を「大将軍」=素盞鳴尊としているが、後の時代の改変である。


     ◇


また、白川流神道では「三種の祓」と云うものがある。

三種とは、天津神・国津神・蒼氓(人々)をいい、それぞれの穢れを祓った。

「吐普加身依身多女(ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ):天津祓
 寒言神尊利根陀見(カンゴンシンソンリゴンダケン):国津祓
 祓ひ玉ひ清め給ふ(ハラヒタマヒキヨメタマフ)」:蒼生(あおくさ)祓

ホツマツタエが、厳然として現代に伝えられている証なのである。


     ◇


陰陽五行説、八卦、陰陽道や方位学などは、通説では大陸が発祥であると云うが、何のことはない、日本の文献を調べれば自明の理、日本が発祥なのである。(この項続く)


日本の古史古伝は神代文字で伝えられてきたが、これら日本の古代を抹殺したものは、白村江の戦いで敗れた後、近畿地方では一時的に言葉が変わり地名も好字二字化が進められたように、唐の進駐軍の仕業である。

だから天武天皇即位後には、万葉仮名で描かれた地名が漢字表記とされ、上代特殊仮名遣いの消滅がおこったのだ。

この頃に神代文字が焚書され、我が国の歴史書は漢文で書かれるようになった。





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by hansaki460 | 2013-11-16 13:36 | やまと言葉 | Comments(0)
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