信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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風三郎神社の話

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【風三郎神社】の話


私が、古代文字で書かれた 大御食神社の社伝記 について調査している事は、ご存じだと思います。^^

その社伝記の中に、【 風三郎神社 】の事が記載されています。
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雄朝津間稚子宿禰ノ尊:允恭天皇(376-453)の御代、五年(416)の秋文月、十一日より 嵐風疾き(あらかせとき)雨降りて 五日五夜 きよりて小止まず。

故に八十上津彦、大御食ノ社の神の前に御祈りするに神告げて詔り給はく、

「大草ノ里 黒牛に坐す 風の神の祟りなり。
 この神実(かみざね)を祀らば、穏(おたひ)ならむ」

と、現(おつつ)に詔り給えり。

是は おさおさしきことなりとて、大草ノ里の長 武彦 はた岩瀬、はた阿智ノ宮主 牛足彦と共に議りて、種々の物を捧げ奉りて 称辞(たたえごと)申し給ひしかば、風凪(なぎ)雨止みて穏になりけり。

議りて、種々の物を捧げ奉りて 称辞(たたえごと)申し給ひしかば、風凪(なぎ) 雨止みて 穏になりけり。

七日の次の日 空晴れて 日の御影 明らかなり。


・・・

允恭天皇の御代五年(416年)、陰暦七月半ば、暴風雨が幾日も続いて農民たちは困っていた。

赤須の「大御食神社」のお告げによると
『 大草の里、黒牛にある 風の神の祟りである。この神をまつれば 嵐はすぐに止むだろう 』 という。

そこで大草の里長たちは 皆と相談し、三十余ヶ村の人々を集めて、黒牛の風穴に 様々な品物をささげて 風の神を 手厚くまつった。

すると、たちまち嵐は止み、穏やかな気候になったという。

【社伝記】 下巻6 参照

     ◇

では、【 大草ノ里 黒牛に坐す 風の神 】 は、今どうなっているか?

長野 上伊那郡 中川村 大草 黒牛 に 現在、『 風三郎神社 』がある。
御祭神は、「 級長津彦命 」 と 「 級長戸辺命 」

これは、風の神(風神)として古くから信仰を集める奈良県の 『 龍田大社 』 の御祭神と同じで、

天御柱命 : 級長津彦命 (男神)、
国御柱命 : 級長戸辺命 (女神)

のこととされています。
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ただし このことは、以前から神社はあったが、祭神などについては判って居らず、近年になって土地の郷土史研究家が社伝記を元にして ある会報に書いたものが碑になっているのみ。

ということは、神社は元からあったが、そのいわれについては、古代文字で書かれた社伝記にのみ伝わっていた、ということで、社伝記の信憑性が証明される史実です。

     ◇

風の三郎というと、宮沢賢治の 「 風の又三郎 」 を思い出します。

「 風の神 」 を何故 「 三郎 」 と呼ぶのか? は、吉野裕子氏が、氏の著書 「 陰陽五行と日本の民族 」 で、【 風の三郎 】 とは、陰陽道に因り、「 木気三合における 三番目、墓気の未 」 を擬人化した名称だとしている。(私には消化不良ですが・・・。^^;)

風神を祀る神社や、「 風の三郎社 」 という神社が 全国にはいくつかあり、風の三郎伝説も、福島・新潟・長野・山梨地方にあるという。

風の三郎とは、三男坊のやんちゃ息子、と云ったところだろうか・・・・。^^
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by hansaki460 | 2012-05-22 05:02 | 神代文字 | Comments(0)
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