信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
e0171497_18581696.jpg



e0171497_1725895.jpg

   発売中



 今日も 応援クリック
 ありがとうございます

   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
   にほんブログ村 





ブログパーツ
以前の記事
2017年 01月
2016年 10月
2016年 08月
more...
カテゴリ
全体
やまと言葉
幻の吾道之宮
和歌姫 吾道彦
大御食神社社伝記
神代文字
古代文字便覧 
竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝
歴 史 秘 話
地方史から見た覇権の姿
一般
未分類
最新のコメント
これが高学年の問題であれ..
by 通りすがり at 02:55
当方のブログに関しまして..
by hansaki460 at 07:23
三毛猫さんが書いているこ..
by moon33magic at 16:05
高良大社とは、朝鮮神社、..
by moon33magic at 11:25
同じ意見の方がいらっしゃ..
by のりあ at 20:58
その他のジャンル
外部リンク
記事ランキング
ブログジャンル


伊那谷に坐す 九州の神様たち

.
伊那谷に坐す 九州の神様たち


伊那谷には、なぜか、古代の九州勢の神々を祀る神社が多い。

例えば、住吉神社・塩竃神社・阿智神社・大御食神社などだが、これらの神社の祭神らは、古事記,日本書紀にある神々だが、伊那谷の南方にある泰阜村には、記紀に記されていない祭神を祀る、筑紫神社がある。

(以下再掲)
先日 飯田へ行ったときに、少し時間があったので、泰阜(やすおか)村へ行った。

泰阜村は、山村の地形でありながら、高齢者には 優しい村です。
そこで、じっくり様子を見ようと 遠回りをした。
そして ナビに導かれて役場へ行く途中、『筑紫神社』 と言う文字が 目に飛び込んできた。

古代史への血が騒ぎ出し、車を止めて境内に入っていった。
祭神が書いてない。 由緒も書いてない。

そこで近くで、作業をしていた方に、いろいろ聞いてみた。
しかし 何も知らない という。

仕方なく、役場へと向かった。出てきた職員に早速 『筑紫神社』 の事を 聞いてみた。
中年の 神社のある部落の方を 紹介して貰ったが、やはり 何も知らないという。

ますます興味が湧いて、また神社へ戻った。
参道で掃除をしていた 別の人に、御祭神を 聞いてみた。

やはり解らないという。
『神主に聞いても解らないし、はっきり言わないのだよ。』 との事だった。

その帰りに 図書館へ廻り、史料を探し、解ったことは、

筑紫神社  下伊那郡 泰阜村 字宮ノ後 3199
  祭神   高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)
   相殿   八幡さま  誉別尊(ほんだわけのみこと)
  由緒   不明

なぜ 伊那谷の山中に、九州の 『筑紫神社』 があるのだろうか?
e0171497_6334166.jpg


高良大社・高良玉垂宮 があります。
筑紫の国魂のおわす宮で、福岡県 久留米市 御井町にあります。

 左殿 八幡大神
 正殿 高良玉垂命
 右殿 住吉大神

筑後国一の宮とあり、よく似ています。

【高良玉垂命】とは? 諸説

◇「高良」とは「高麗(こうらい・こま)」と同義で 高麗からの渡来人のもたらした神、という説。

◇筑後を 物部氏(天孫族)起源とするなら、高良玉垂命はその氏神、と言う説。

◇そして、高良玉垂命に比定される 「天明玉命(玉祖神)=
  天目一箇命(鉄鍛冶神で、天津彦根命の子神)」 こそ物部氏族の遠祖神、という説。

◇甲良(こうら)の大明神説。
  石清水八幡宮の摂社で、旧八幡町の氏神社。 昔は「河原社」と称されていたとか。
  方生会の行われていた川のそばにあったから・・とあります。
 「かわら」…「かうら」…「こうら」と変化して「高良」の字をあてたのだと。
  貞観3(869)年の行教夢記に 「川原神」 とみえ、「男山考古録」 には 「瓦社」 と記されてもいるとも。

◇ 他に、武内宿禰説 や 藤大臣説、月神説 など諸説あり。


◎ 久留米市の高良山の中腹に、高良山神社と呼ばる 1600年ほどの歴史と由緒がある 高良大社がある。

高良大社は昔、高良玉垂(たまだれ)宮と呼ばれ、高良玉垂命を祀っていたというが、高良玉垂命は 日本書紀にも古事記にも記録されてなく、11世紀の 「日本紀略」 の 西暦795年の条に記されるまで不明であった。
大和朝廷にとって不都合な神様だったのだろう。

大和朝廷が 西日本を統治始めたのは 528年の 磐井の乱の後からである。
西暦795年ごろから 天皇家所縁の神社としたことが 「日本紀略」 に記されているから、豪族・磐井の 筑紫国の 守護神社であったと思われる 高良玉垂宮を、大和朝廷が認めた神社として 九州一の宮に格上げしたことは十分に考えられる。

磐井もまた、以前から土地の守護神であった神社を 勝手に代えることなく、統治者となったあとも 邪馬台国時代から続いた神社を引き継いだであろうことは 想像に難くない。

しかし、磐井が 中国・呉国の流れを汲む 狗奴国の人間としたら、大和朝廷は 高良玉垂命 の存在を認めることはできないだろう。
これが 日本書紀や 古事記から 高良玉垂命が 抹消された理由かも。
[PR]
by hansaki460 | 2012-05-21 06:38 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)
<< 風三郎神社の話 父と子の話 &【放射性物質拡散... >>