信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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美しい 婢(女奴隷)の送り状

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美しい 婢(女奴隷)の送り状  (再掲)


東大寺の大仏は、信仰のためだけではなく、権力者の威光を示すためのものでもあった。

そもそも律令制度とは、専制制度にほかならない。
王土王民、すなわち「土地と人民は王の支配に服属する」という理念は、権力者のものなのである。
(ただしこの事は、今日に至る歴史の必然でもある、と思います)


東大寺 正倉院文書にある『美濃の国司解』の中の記録を見てみよう。


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 婢 古都賣(こつめ) 年廿 右頬黒子  価  稲 捌伯束

  右 恵奈郡 絵下郷 戸主 県主人足 口 県主息守 之賤



とある。

すなわち、

古都賣(こつめ)と呼ばれる、頬にほくろのある、

婢(女奴隷)の 二十歳の娘を、

美濃の国司が中央官庁へ送った送り状


なのである。


「稲 捌伯束」とは、稲 八百束で売買されたということだ。
当時、馬 一頭も 稲 八〇〇 ~ 一〇〇〇束 だったという。



天平十二年(741年)聖武天皇が大仏の建立を計画し、天平勝宝元年(749年)に完成した。
当時の孝謙天皇は、この際に東大寺へ 封 四〇〇〇戸、奴 一〇〇人、婢 一〇〇人を 施入することにした。

美濃国へは、年は三十歳以下 十五歳以上で、顔かたちのよい 奴 三人と 婢 三人を 正税をもって買い求め差し出すことを命じた。

当時の美濃守、大伴兄麻呂はさっそく奴婢を手に入れ、翌年天平勝宝二年(750年)に六名の奴婢を解状とともに送り届けた。
そのうちの一人が、恵奈郡絵下郷の 婢 古都賣(こつめ)だった。

ホクロのある 顔かたちの美しい娘であったのである。
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by hansaki460 | 2012-03-31 05:02 | 歴 史 秘 話 | Comments(2)
Commented by 神奈川組 at 2012-03-31 12:33 x
この美しい娘は権力者に囲われて...ある意味幸せになったのでしょうか?すごく気になる.....
今も昔も美しいからといって幸せになるわけではないんですねT T
Commented by hansaki460 at 2012-03-31 13:25
神奈川組さん いつもコメントを ありがとうございます。

時代背景から云って、ある種選ばれて東大寺へ行ったという、心理的な救いはあったとしても、立場は「賤民」だった訳ですから、世の常としての、家族から離れる哀しみは、想像するにせつないものがあります。

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