信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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「お裾分」の語源と武士の出自

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「お裾分」の語源と武士の出自


夫余(ふよ)という国が、BC200年頃から満州の地に存在し、のちに高句麗の広開土王(374-412)が 東夫余を討伐したと、『広開土王碑』に記されている。

六世紀当初には「勿吉=靺鞨(まっかつ)」と「高句麗」によって駆逐されているが、北夫余(豆莫婁国:ずまくる)は唐代まで続いた。

この扶余国のことは、三国志魏書扶余伝に記されている。
烏丸鮮卑東夷伝(魏志倭人伝)に、邪馬台国についての記述があり有名だが、扶余伝も興味深い。
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【三国志魏書・扶余伝】
・・・
国には君王がいる。
いずれも六畜の名を官名にしており、馬加、牛加、豬加、狗加、大使、大使者、使者などがいる。
・・・
飲食には俎豆(お膳)を用い、一同に会して拜爵(献杯)、洗爵(返杯)をし、その立居振舞は礼に適う。
・・・
国に在っては、衣は白を好み、白布の大袂(広袖)の袍(外套)・袴(はかま)、革鞜を履く。
国を出るときは、飾りを縫った絹布の錦や毛織物を好んで着る。
大人は狐狸、?白(尾長猿?)、黒貂(テン)の皮衣を加え、金銀で帽子を飾る。
・・・
兄が死ねば、その弟が嫂を妻とするのは、匈奴と同じ風俗である。
・・・



【兄が死ねば、その弟が嫂を妻とするのは、匈奴(中央アジアの遊牧国家:BC209-93)の風習だった】・・・という。

昔の騎馬民族は、女人を連れ歩くのは厄介だったので、一族の長のみが妻帯し同行した。
弟などは、たまに兄嫁の裾を分けてもらったという。
「お裾分け」の語源だ。^^


【いずれも六畜の名を官名にしており、馬加、牛加、豬加、・・・・・】

蘇我馬子など、動物の字を含んだ名前はその名残。


【国に在っては、衣は白を好み、白布の大袂(広袖)の袍(外套)・袴(はかま)、革鞜を履く。】

白を好むのは 日本の武士と同じ風俗だ。
日本にもその扶余族が入植したが、彼らが蘇我系や白を好む源氏系の一族なのである。


幕府という名も、遊牧民族の幕を張った習わしからのようだ。^^

つまり、日本の武士の風習に似ているのは、扶余からの 渡来帰化人が 多くいたのだ。
扶余の族は、公家らから 長らく 【賤民】 とされていたが、やがて 武士の時代が来たとき、差別する階層のいない、遠くはなれた鎌倉で 幕府を開いた。



私は、崇神朝は この系統ではないかとも 思っています。^^

また 兄弟型 一妻多夫婚 夫婦は、現代でも残っている。
それは、2010/04/19 の産経ニュースに、中国 雲南省 迪慶藏族(チベット族)自治州 徳欽県の 1つの村で取材した 兄弟型 一妻多夫婚 夫婦の記事が 掲載された。
それによれば、3人兄弟のもとに嫁いだ妻は 一妻多夫婚をしている事実を明かすと同時に、その村の 全9戸の中で 5戸が 一妻 多夫婚をしていると 述べている。

 
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by hansaki460 | 2012-03-29 06:12 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)
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