信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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こんな女に誰がした


私がまだ若い頃、『 「 こんな女に誰がした 」 と言う歌があるが、自分でなったんだ。』 と 話す人達が いました。
でも私はずっと、その言葉が 心に引っかかっていました。

そんなとき、ラジオだったか、本だったか定かではないけれど、この歌ができたエピソードを知りました。
最近ネットで探したら、やはりありました。 
子供の虐待死や、孤独死の事が話題になっている昨今、戦後の混乱期に こんな事もあったんだと、紹介させていただきます。


《引用》
昭和22年12月 「星のながれに」 は発売されました。
このうたの元の題名は 「こんな女に誰がした」 でした。
しかし作詞家・清水みのるが固執した題名は、GHQから日本人の反米感情をあおると クレームがついたのです。

清水がこだわった 「こんな女に誰がした」 には、戦争で転落を余儀なくされた 女たちの、悲しみと恨みが 込められていました。

昭和21年8月29日の 毎日新聞に こんな記事が掲載されました。
投書記事の 題名は 『転落するまで』、世田谷在住の 長谷乙女 なる女性のものでした。


・・・・ 私はこの三月中旬、奉天から引き揚げてきました。 着の身 着のまま、それこそ 何一つ持ってこられなかったのです。 私は二十一歳です。 奉天では 看護婦をしておりましたが、今でも 免状だけは持っております。
東京についたものの、誰を訪ねてゆけばよいか、行先がありませんでした。
本籍は新潟ですが、両親はなく 遠い親戚が あるとのことですが、どうなっているのか わかりません。 だから、東京で働くより他に 方法はありませんでした。

やっと他人様のお世話で 女中奉公の勤め口がみつかり、やれうれしやと思ったのも束の間、そこは 待合であったのです。 けれども、待合であろうと 何であろうと、食べていくことができるのですから、一生懸命働きました。

ところが、二週間位たったら、そこの女将さんから、「芸者になれ」 とすすめられました。
しかし、私は三味線がひけるではなし、唄えるわけでもないので 断りましたが、女将さんは 「それで結構だよ」 といって、それよりも嫌なことを押しつけようとしました。

私は驚いて、即座にその家を飛び出しました。 風呂敷ひとつを持って・・・・・・。
けれども、勤め口はありません。
乏しいお金もなくなったので、旅館を追われ、上野の地下道に来ました。
ここを寝所にして、勤め口をさがしましたが、みつからず、何も食べない日が 二日も続きました。

すると、三日目の夜、知らない男が 握り飯を2つくれました。 私は貪り食べました。
その男は翌日の夜もまた おにぎりを2つ持って来てくれました。
そして話があるから 公園まできてくれといいました。 私はついてゆきました。

その日はたしか六月十二日だったと思います。
それ以来私は 「闇の女」 と 世間からさげすまれるような商売におちてゆきました。
・・・・(原文ママ)
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これを読んだ 作詞家の清水みのるは 頭を殴られたような 衝撃を受け、戦争の裏に隠された 人間の悲惨さ・哀れさ、そしてその衝撃は 戦争への怒りと繋がっていきました。

清水は 叩きつけるようにして、その日のうちに一編の詩を書き上げ、同じ音楽仲間で、テイチク所属の作曲家の 利根一郎に 作曲を依頼します。

利根も、清水の想い、そして詩に共感し、自ら上野近辺に足を運ぶなどして、曲を書き上げます。
利根は 出来上がった作品を 同僚の 細江徳二へ見せました。

細江はその作品を見て、涙をこぼし、「俺に担当させてくれ」 と一言。


「私はいやよ」 と 淡谷のり子に 断られた後、テイチクのディレクター細江徳二は、昭和22年夏、菊池章子のアパートを訪ねました。

「こういう歌が あるのですが、どうですか?」
章子は 「何で私が そんな歌を 歌わなきゃいけないの」 と不快に。

「作品を見てから 決めて欲しい」 そう細江に言われ、しぶしぶその詩に目を通すと、章子が抱いていたイメージを覆す 戦争の犠牲になった女の哀しみ そのものでした。

「細江さん、私やってみるわ」 章子の返事に 細江は胸に こみあげるものがあった。
実は 歌い手を得るまでに 1年の歳月が経っていたのです。


作詞家・清水みのるは 1960年代に入ると、詩作や福祉活動に 積極的にかかわり始め 広島県呉市の 児童養護施設の子供たちを、詩を通じて 9年間も励ましていた。

清水は 投書の女性を案じ続け 「いくばくかでも、印税を差し上げたい」 と マスコミの協力で 何回も探し回った。 名乗り出るはずなど なかった・・・・・。
《引用終わり》


・菊池章子 星の流れに 
http://www.youtube.com/watch?v=iZ-IB-CJmNU&feature=related
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by hansaki460 | 2012-03-25 09:30 | 一般 | Comments(3)
Commented by ぽんな at 2012-03-25 22:03 x
毎日興味深く拝見しております。
歴史に疎い私には難しい内容のことが多いですが、勉強させていただきます。
予想図の更新もありがとうございます。
Commented by 散る桜残る桜も散る桜 at 2012-03-26 00:33 x
放射能拡散図いつも拝見させてもらってます! 先人の戦争体験の事も忘れて生活してる日本人はは破滅していきますね!
Commented by ぽちら at 2012-03-29 19:59 x
社会や情勢が人の尊厳を奪う…当時の凄惨さとは比べものになりませんが、今の世の中にも、その陰りを感じます。
ただ、僅かな救いなのは、その事に涙し義憤に駆られ動いた人々がいたと言う事でしょうか。
いつもありがとうございます。
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