信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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船中八策と「天狗党」

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船中八策と「天狗党」


船中八策は、幕末維新期に坂本龍馬が起草した、新国家体制の基本方針です。
いま 橋下徹大阪市長は、船中八策ならぬ維新八策をかかげて官僚政治体制を改革しようと頑張っていますが、坂本龍馬に影響を与えた高杉晋作こそ、明治維新の功労者と言われます。
しかし、その高杉晋作が影響を受けた 天狗党こそ 維新の先駆けなのです。

     ◇

時は 154年前、安政五年(1858)七月、篤姫の夫・13代将軍家定が亡くなり、追うように薩摩藩藩主島津斉彬も死去した。
九月 江戸幕府・大老井伊直弼や老中間部詮勝らは、幕府の諸策に反対する者たちを弾圧し、尊皇攘夷や一橋派の大名・公卿・志士(活動家)ら 100人以上を捉え、吉田松陰らを刑死(安政の大獄)したが、文久二年(1862)1月、大老井伊直弼は坂下門外の変で暗殺された。

万延元年(1860)8月 海防参与として幕政に関わった水戸斉昭が亡くなった。

     ◇

明治維新の先駆けの「天狗党」は、水戸斉昭の死後も その意志を引き継ぎ 水戸を江戸に取って換え、世直しをしようとする「過激派」に付けられた名称だ。

当時有名人だった水戸藩士・藤田東湖の遺児・藤田小四郎をたて、武田耕雲斎らは挙兵、のち 斉昭の子の徳川慶喜の配慮を願って加賀まで行き、しかしそこで同行の妻や娘もろとも入獄を命ぜられ、やがて 一人残らず斬罪処分された、
しかし明治になると、そろって追贈位され 恩賞金も給わった。


元治元年(1864)11月1日(旧暦) 常陸大子を出発した一行は、11月15日 下仁田に入った。
翌16日、下仁田の戦いで天狗党は、4人の戦死者をだしたが、高崎藩は 36人もが戦死した。

11月19日に 和田宿に宿営した天狗党は、翌日古峠(和田峠)を越えたところで、高島・松本両藩連合軍と戦い、戦死者は 17人に及んだ。(和田嶺合戦)
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          〈和田峠の 浪人塚 (水戸藩士の墓)〉


その後、伊那谷を通過、11月23日に 上片桐・上大島分宿したおり、地元の 北原稲雄・今村豊三郎兄弟が耕雲斎本陣を訪ね、三千両献金と 間道案内を申し出、26日には清内路峠を越え、木曽路に入った。
このとき悲劇にも飯田藩は 天狗党の領内通過を見過ごしたとして、二千石を没収されてしまった。^^;

その後、徳川慶喜は朝廷に 天狗党討伐を願い出たため、天狗党はそれを避けて北上、越前へ向かったが、結局 加賀藩に降伏投降した。

ちょうどその頃、高杉晋作は、約 80名で挙兵し、下関を 再度襲撃して占拠したのだったが、その蔭で、武田耕雲斎、藤田小四郎ら天狗党の主要メンバー352人は、処刑斬首されたのだった。

明治22年、武田耕雲斎以下 411人は靖国神社に合祀され、武田耕雲斎には贈正四位、藤田小四郎には贈従四位が与えられ、中には水戸藩刀工の子もいたが、贈位されたのは水戸藩所属の者のみであった。

     ◇

しかし、表に出ない 蔭の主役があった。
医者の息子だが士分でない田中源蔵率いる三百もの少年隊だった。

彼らは、私学廃止に反抗した 当時の学徒隊だが 年少ゆえ髪を切り 童顔を隠すため紙の天狗面をかぶって、武田早雲斎らの 命で、栃木を襲い土浦城を攻めた。

この 紙の天狗面が、天狗党の名称の起こりなのである。

そして、今の日立市・昔の助川から 八溝山で一人残らず全滅した。
翌年、高杉晋作は 全国に鳴り響いたその隊名を 借用した。



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by hansaki460 | 2012-03-22 09:29 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)
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