信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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茶の湯は博奕(ばくち)だったという話

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茶の湯は博奕(ばくち)だったという話


茶の湯は、鎌倉時代 臨済宗の開祖 栄西(1141-1215)が 宋代の茶を使った抹茶法を伝え始まった。
『吾妻鏡』に、鎌倉幕府三代将軍・源実朝が二日酔いの折に 一杯の茶を薦め、その折に『喫茶養生記』も献じられたとある。

南北朝(1336-1392)のころには、茶の「本非(ほんぴ)」を当てる遊技である 闘茶が流行した。
「本」とは 栂尾産の茶、「非」とは その他の土地でとれた茶のことで、今なら コーヒーの、モカとかキリマンジャロとかいう、産地を当てるというものだった。
それを当てる闘茶は、蒸し風呂で汗をかきつつ行う 茶博奕のことで、見物人も多数あった。

興福寺 大乗院門跡の記した『 経覚私要抄 』に、
「今日 林間(淋汗)初之、召仕者共並古市一族若党相交可焼之由仰付了。 於風呂は茶湯在之、・・・云々。」
「今日有林間(淋汗)、又有茶湯、又披立花、風呂中荘観見物なる者也」
などとある。

つまり、風呂場に屏風をたて、絵や香炉・花瓶で飾り立て、茶席には掛け字を二幅掛け、花を飾り、客が風呂からあがると 闘茶がはじまり、見物するひとびとが 遠方から集まったのだった。

当時、勝負に敗れた者が全財産を失い、自暴自棄になって自殺をはかる事件が続発し、建武3年(1336)に出された建武式目には、闘茶(賭け茶)を禁止する条項があった。

茶は もともと お湯で入れるのに、わざわざ「茶の湯」と湯を使ったのは、風呂場で行った 名残なのである。
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上記の事だけでも 不可思議な茶道だが、本当のところは もう一つ面白い。

仏教で庶民を抑えた足利期には、公家に奉公するものは 古来の祠信仰を捨てて「阿弥」を付け、仏教に帰依しなければならなかった。

だから公家らから差別される悔しさから、庶民の彼らが持ち出してきた茶に緑靑を混ぜ、生死をかけて廻し飲みをした。
たとえ死ぬ者がでても それは免罪符と考え、「侘びの茶」としたのだ。
そこには、闘茶の要素もあった。

織田信長は味方を誓う武将に、起請文だけではなくその緑靑を混ぜた『青茶』を飲ませ、忠誠の踏み絵とした。 にじり口は、逃げ出すことが出来ぬように、小さく作られた。
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やがて元禄期、吉良上野介は 千宗易の血脈を引くと称する新しい千家を立てた。
そこでは、緑靑で急性胃炎にならぬよう、茶の前と後に甘味を口に入れ、胃壁にアルカリ膜をはらせ ゆっくり 三口半で、刺激しないように飲む茶道を創始した。^^;
これにより、新興の裏千家は、婦女にも安心して親しまれ、隆盛していった。

ちなみに 茶の栽培は、日本の 原住系の除地でのみ 限定で栽培され、「侘びの茶」の抹茶は、江戸期になっても公家(今の官僚)は口にしなかった。

追、緑青の主成分である、塩基性炭酸銅CuCO3・Cu(OH)2 自体単体の毒性は 低いことが確認されている。 しかし、銅に自然にできた青緑色のさびの「緑青」には、毒性の強い硫酸銅も含まれており、それ故に博奕だったのですね。 ^^
by hansaki460 | 2012-03-18 11:57 | 歴 史 秘 話 | Comments(1)
Commented by さいとう at 2012-03-19 01:17 x
拡散情報をありがとうございますm(__)m
16歳から24歳まで、ずっと茶道を習っていましたが、今日の記事の内容については全く知りませんでした。
命懸けの博打かぁ・・・緊張感いっぱいの空間だったのでしょうね。
にじり口は、逃げ出さないようにさせるためとは・・・大納得!
本当に興味深い内容で、目からウロコが落ちました(o^o^o)
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