信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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中華人民共和国を、なぜ中国と呼ぶのか?


中華人民共和国を、なぜ中国と呼ぶのか?


中華人民共和国の通称は、中国。 

国名の略称なら 『 中華共和国 』 。 それに 『 中華民国 』 (正式)。

日本の国土のこを、葦原中国(あしはらのなかつくに)、すなわち中国といった。

大陸はその頃、秦に由来するチーナ、シーナという呼名が用いられ、古代インドではチーナスタンと呼んだ。

それが漢訳され、「支那」「震旦」などの漢字をあてるようになり、日本では江戸時代初期より「秦」に由来する、「支那」の呼称も使用した。

秦朝に代わって支配した漢王朝(前漢と後漢)の時代に、漢民族を中心とする版図は定着し、「漢民族」や「漢字」のように、漢の字が使われるようになり、日本では「から」の音を「漢」の字にあてることもあった。


江戸時代以前は、遣唐使が交渉を持った唐の国号をもって「唐土(もろこし)」と呼称したり、来航する中国商人を「唐人(からびと、とうじん)」と呼び、文語の中国語を「漢文」、口語の中国語は「唐語(からことば)」と呼んだ。


一方、11世紀頃に北辺を支配したキタイ(契丹)人の遼王朝から、中央アジア方面ではキタイ、という呼称が生まれ、マルコ・ポーロは、北中国のことをキタイと記録した。

だからロシアでは、現在も中国のことを Kitajと呼んでいる。

西ヨーロッパにはCathayとして伝わり、キャセイパシフィック航空の社名などに使われている。


中国という呼称は、古典の『詩経』で「地理的中心部」と言う意味で初めて用いられた。

皇帝は中華思想のもと自らを地上で唯一の王だと考えていたから、中国大陸には近代まで「王朝」であり、「国」という概念はなかった。

清代まで「天下あって国家無し」と言える状態だったため、王朝の名前が対外・対内的な呼称として使われていた。


19世紀半ば以降、中国が世界的な主権国家体制に組み込まれてゆく過程で、「中国」という語が主権国家の自称として広く用いられるようになり、次第に固有名詞としての性格を濃くしていった。

現在では中国の地域、文明、民族を広く指す用語として用いられ、そこで成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。

また、その地域に紀元前から継続する文明の総体をも指して使用されている。

その理由は、中華民国政府の要求で外交文書の中に登場した1930年からである。

(中華民国は、清朝の皇帝・宣統帝が退位した後、1912年孫文を臨時大総統として、中国大陸を中心とする中国を代表する国家として成立した国。)

一般に使われるようになったのは第二次世界大戦後のことである。
それ以前の時代にこの意味で用いられていた用語は支那もしくは清国であり、さらに古くは唐(漢)(から)、唐土(漢土)(もろこし)などと呼んでいた。

戦前、「中国」といえば「なかつくに」と読み、これは日本自身に対する美称であった。

だから、日本ではまた、山陽地方と山陰地方を合わせた地域を中国あるいは中国地方と称する。

この呼称は

「中国あるいは中華と言う表現こそ、シナ人の他民族に対する侵略行為を正当化する侵略用語であり、真に犯罪的な言葉なのである。」

と、酒井信彦・東京大学史料編纂所教授は言った。
by hansaki460 | 2011-02-15 11:54 | Comments(0)
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