信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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西行法師 「西行花伝」

西行法師 「西行花伝」


辻 邦生に、「西行花伝」 がある。

長編だが読みやすく 且つ美しい文章で、まるで西行(義清)が そこにいるかのような 散文小説だ。



(四の帖) 堀川局の語る、義清の歌の心と恋の行方

・・・・

女院が 深いお嘆きのなかで、もう一度 法勝寺の桜をご覧になろうと思われたのは、こうした 昔の思い出を 蘇らせるためでございました。

このとき 法楽(余興)として 流鏑馬が行われ、義清どのは 疾風に乗って 十番勝負に勝ち抜き、女院御所別当から 褒賞を受けました。

女院は 御簾のなかから これをご覧になっておられたので、義清どのは 女院のお顔は 見えませんでしたが、女院は 近々と 勝者義清の若々しい顔を とくとごらんになって おられたので ございます。

この義清どのに 女院が 会いたいと 仰せられたのは、同じ年の秋、黄葉に彩られた 法金剛院御所へ 崇徳の帝が行幸になられ、母君であられる 女院と 打ち寛いだときを 過ごされた折で ございました。

その日の呼び物は 較べ馬十番勝負で、摂関家からも、左大臣家からも、選り抜きの騎乗者が 推挙されて 集まりました。

義清どのは 徳大寺実能どのの騎乗者として 出たのでございます。

・・・・



西行 の生きた時代は、平家が滅亡して 鎌倉時代に入るという 大転換期であったと同時に、和歌の 一大盛期を 迎えたときでもあった。

おそらく 渦中にいた人達は、その流れの速さを 実感しては いなかっただろうと 思う。


   惜しむとて 惜しまれぬべき この世かは

          身を捨ててこそ 身をも助けめ


そして・・・

 願はくは 花の下にて 春死なん  その如月の 望月の頃  



お釈迦様と同じ、如月の望月の頃に 死にたい と 願ったものでした。


    ◇

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伊那谷の、古代文字で書かれた 社伝記が残っている美女が森・大御食神社に、西行の書と伝えられる三頭の親子馬が描かれた 書がある。


 神祇道ハ 我国ノ 大租ナレバ

   糸竹ノ 直ナランコト 

      ムネニ タエナカラン。


 駒ガ嶽 スソ野ノ森ニ 来テ見レバ

     小町ガ家ニ ハヤス七草 


と書かれている。


・・そんなこともあり、わたしは西行に強く惹かれる。


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心無き 身にも哀れは

       知られけり


 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ










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 歎けとて 月やは物を

        おもはする 


   かこちがほなる
 
      わが なみだかな
by hansaki460 | 2011-01-27 08:18 | Comments(0)
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