信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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『 憎しみの正体 』 と 『 愛 』

『 憎しみの正体 』 と 『 愛 』

自分の思い通りにならないことを 憤(いきどお)ることが、憎しみの正体


◇ 始めに、いくつか『格言』を紹介します。

・ 我々が人生で当面する憎しみの大半は、単に嫉妬か、
  あるいは辱められた愛にすぎない。
  =カール・ヒルティ(スイスの哲学者)「眠られぬ夜のために」

・ 我々が ある人間を憎む場合、我々は ただ彼の姿を借りて、
  我々の内部にある 何者かを 憎んでいるのである。
  =へルマン・ヘッセ 「デミアン」
 
・ 憎しみは その心を抱く者の上に はね返ってくる。
  =ベートーベン
 
・ 自分を憎む者を愛してやることはできますが、自分が憎む者
  を愛してやることはできません。
  =レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ
 
・ 憎しみは 積極的な不満で、嫉妬は 消極的な不満である。
  したがって 嫉妬がすぐに憎しみに変わっても 不思議はない。
  =ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
 
・ 憎しみとは 人間の愛の変じた一つの形式である。
  愛の反対は 憎しみではない。愛の反対は 愛し得ないことだ。
  =有島武郎
 
・ 憎悪は 抑えられた連続した 怒りである。
  =チャールズ・デュクロ 「風習についての考察」

・ 愛と憎しみは双生児である。愛すればこそ憎むし、
  憎むほどの想いがあって初めて愛するのだ。
  =野上弥生子 「夫と妻」

・ 悲しみは 力に、欲りは 慈しみに、怒りは 智慧に 導かれるべし
  =宮沢賢治

・ 嫉妬とは何であるか? それは他人の価値に対する憎悪を伴う
  羨望である。
  =阿部次郎 「人格主義」



ここに共通していることがいくつかありますが、では『憎しみとは、どうして起きるのか? 』という事を考察してみますと、


「 可愛くて可愛くて、食べてしまいたい 」などが、
    ↓
 可愛さあまって憎さ百倍。  ・・・これが極端になると、
    ↓
 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。 ・・・となります。このように
    ↓
『 愛が憎しみに変わる 』と云うような事があります。

「 愛と憎しみは表裏一体 」とはよく言われるように、愛が深ければ深いほど、強い憎しみに変わる可能性も 高くなります。


このように、“愛” と “憎しみ” のような相反する感情が、突然入れ替わることを、心理学の言葉では 「 カタストロフィー理論 」と呼びます。

カタストロフィー理論 とは、相手が好きであればあるほど その裏にある憎しみが倍増していく心理 のことです。


しかしこの事は、『これほど愛しているのに、どうして私の言う通りにならないのか?』という、見返りを求める愛・【愛の願望】がそこにあります。


すなわち、『自分の思い通りにならないことを憤ることが、憎しみの正体 』 なのではないでしょうか?


その上で、イエスはこう言っています。

「 汝の敵を 愛せよ 」
・・ しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に 善を行ないなさい。=イエス・キリスト 「ルカの福音書 6章27節」

すなわちイエスは、『 あなたを憎む者は、愛を 求めている者でもある 』 のだと・・・。

言い換えれば『 だから、憎む者に愛を与えなさい 』と言っています。


憎しみを克服するヒントが、ここにありそうです。
 
そしてここに、慈しみ(慈悲)という仏教的な考え方が参考になり、また生きるきてくるような
気がします。

すなわち、仏教では『一切衆生 悉有仏性』=「自然界の全てに仏性が有る」と教えます。

仏性とは、慈悲の心であり、それらは自然界の全てに仏性が有るから、大いなる慈悲をすでに与えられ、生かされている自分を自覚する(悟る)ことであるのかも 知れません。

それはまた、お互いの存在を認め合い、許し合うことであるかも知れません。

私は今『 生かされていることを自覚し日々感謝できる自分になりたいな 』と、思っています・・・。
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by hansaki460 | 2010-09-17 16:03 | Comments(0)
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