信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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大御食神社

大御食神社 概論


1,由緒

古代文字で書かれた社伝記”美社神字録によると、

『 大帯日子淤斯呂和気ノ天皇(景行天皇)の御代、倭武ノ尊東の蝦夷等言向け平和給ひて、美鈴刈る信濃ノ国を御還りましし給ひし時に、この赤須ノ里に至りましぬ。

 時に 赤須彦、御蔭の杉の 木の下に 仮宮を設け、八重管薦八重を敷き並び、厳し楯矛御旗立て並べ、いと厳かにす。
 待饗し給ひして、倭武尊を迎えたてまつりき。

 倭武尊 御蔭の杉の木清々しと告り給ひて、御安楽居給ふ。
 倭武尊問ひて 告り給はく、「汝は 誰ぞや」。
 応え給はく、「吾はこの国の魁師、阿智ノ宮に齊い祀る、思兼ノ尊の子 表春の命の裔、阿知の命の御子阿知山の裔の別裔、赤須彦なり。

 天皇の御子い出ますと聞き、迎えたてまつりき。
 故に真榊の一つ枝には、頭槌の劔を懸け、二つ枝には八華型の御鏡を懸け、三つ枝には和弊を懸け、大前に迎え立て並べ、群肝の真心表しまつりて、詔りのまにまに帰順まつる。 御誓ひたてまつれり。

 またこれよりすぐに中沢の熊鰐に山の麁物和物を菜らしめ、川戸幸をして川の魚捕らしめ、また野彦には野つ物を取らしめて、大御食大御酒種々物を御饗たてまつれり。
故に赤須彦の名を称えて御食津彦と倭武尊自ら名付け給ふ。』


と記されています。

これは古代文字で書かれた大御食神社の由緒の抜粋ですが、大御食神社はこの古代文字で書かれた社伝記”美社神字録の由緒によって、二千年の歴史を刻んできています。 

しかしその寄るべき社伝記を、まるで忌み嫌うかの如くに隠蔽し、祟りでもあるかの如き扱いをしているお宮の関係者の姿勢は、批判されなければなりません。

なぜなら、社伝記の真贋を無意味に問わず隠し、しかしその伝統に寄りかかる姿は、大御食神社の正統性をこそ踏みにじるものであるからです。

そしてお宮の役員及び関係者らは何も分からぬままに、お宮の伝統に対して真摯に対峙する姿勢を示す事が出来ないとしたら、また自らの立場を懐疑逡巡しているとしたら、お宮を潔く神官家に返上すべきでしょう。


2,赤須彦

社伝記では以下のように記しています。

「吾はこの国の魁師、阿智ノ宮に齊い祀る、思兼ノ尊の子 表春の命の裔、阿知の命の御子阿知山の裔の別裔、赤須彦なり。」

古事記によると、

『天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神。次高御産巣日神。次神産巣日神。』

「天地が初めて分かれた時、高天原に成り出でた神の名は、天之御中主(アメノミナカヌシ)神。次に高御産巣日(タカミムスヒ)神。次に神産巣日(カムムスヒ)神。」


とありますが、二番目に成り出でた神・高御産巣日神(高皇産霊神)の息子が『八意思兼尊』で、その子が手力雄命、表春命です。

そして、赤須彦は自ら、思兼尊の子・表春命末裔であると言っています。
すなわち大御食神社は、神々の系譜に連なる、由緒あるお宮なのです。


3,倭武尊

大御食神社は、倭武(ヤマトタケ)尊の名付けたお宮です。 
それ故に、倭武尊についての考察も大切であると思われます。(以下日本武尊と記します。)

日本武尊の東征の足取りは、神社伝承からかなり明確に分っています。
後の坂上田村麻呂などの蝦夷征伐とは、根本的に違いがあります。

すなわち日本武尊はこのとき、出雲の神々や高皇産霊神ファミリーを従えて、文字通り「蝦夷等言向け平和(やわし)給ひ」て来たのですが、坂上田村麻呂らは大和朝廷の蝦夷征伐そのものでした。

古代史が今ひとつ分からないのは、大和政権誕生前の、倭国の姿を結佐っているところにありますが、日本武尊も、大御食神社も大和政権以前の歴史を物語っています。


4,古代文字

大御食神社の社伝記に書かれた古代文字は、「阿比留草文字」に分類(一部「阿波文字」が混在)されています。 
この「阿比留草文字」は、甲骨文字が発達する過程の金文の草書体であり、解読も出来ております。
甲骨文字の発見は、1899年(明治33年)ですから、社伝記が解読されたよりは後です。 

また古代文字の真贋論は、無意味な皇国史観論争に巻き込まれ、無駄な時間を費やしております。


5,伊那谷から見える古代史

古代文字で書かれた社伝記”美社神字録からは、多くの史実が読み取れます。
その史実を読み解くと、真実の古代史が見えてきます。

・ 地名(里名),
・ 日本武尊の 呼び方は 『ヤマトタケの尊』, 等々


以後、順次記します。
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by hansaki460 | 2010-01-12 12:57 | 大御食神社社伝記 | Comments(0)
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