信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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『東日本』 の成り立ち 【 騎馬系 】

『東日本』 の成り立ち 【騎馬系】

◎ 「日本中央」 と書かれた が青森県東北町にあります。
http://kenbun55.hp.infoseek.co.jp/isibumi.htm
多くの歌人等が その碑のことを、「壷のいしぶみ」 と詠みました。
『 むつのくの 奥床しくぞ 思ほゆる 壼のいしぶみ そとの浜風 』  西行 

日本書紀には、当時淡路島が日本の中心としてありますが、なぜ東北町が日本の中央なのでしょうか。
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◎ 旧石器時代、列島には 細石器刃文化 がありました。
 そして、縄文時代を迎えました。 【 写真 ①,② 参照 】
 この頃既に、明確に東日本と西日本は違っていました。
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◎ その後、北方のツングース族が東日本に建国をしました。
『 粛慎(しゅくしん)・靺鞨(まっかつ)・狄(てき)』 と言われる騎馬系の国や族で、やがて列島へ来て、日本の先住民と交わりました。
☆ しかし『 日本人は単一民族』 としている歴史教科書には書かれていません。 

◎ 古代の日本海岸には 『越(こし)国』 がありました。
 古代の 「古志族」 は、中国の東北から黒龍江流域 沿海州 に住んでいた 「ツングース族」 です。
 彼らは海を渡り、北海道から日本一帯に入りました。
 古志国は、飛鳥時代(7世紀初め)の国名で、越国又は高志といい、大化の改新時には、名を 『越国』 に 統一しました。「日本書紀」 の国造り神話の中には、越州の地名があります。
 当時の本州は 「大日本豊秋津洲」 と言いましたから、日本海沿岸の 『越国』 は、大和国の外の独立した国でした。

◎ 7世紀には、粛慎の子孫の 『靺鞨』 族が、朝鮮半島の高句麗に進入しました。
 しかし、663年白村江の戦いで、新羅が半島を統一したので、高句麗にいた靺鞨人は、中国東北に逃げ、『渤海国』(698~926)を建国しました。
 その後渤海国は727年、日本と通商条約を締結し、以後約二百年間外交関係を維持し、多くの靺鞨人が 日本に帰化しました。
 その数は746年の一年だけで、1,100人以上が帰化しました。 東北日本海沿岸は、ツングース族の同胞であったので、彼らに親近感を覚えたと言われます。

◎ 高句麗が 新羅により滅亡させられた時、越に来た靺鞨族の支族に 『狄族』 がいます。 後に津軽藩では 帰化した彼らの住む村を 狄村といい差別しました。
また 「続日本紀」 には709年、狄が朝廷に反乱したとして、山形県に 『征狄所』 を設ました。

◎ 『契丹(きったん)』 は満州から中央アジアにかけて存在した遊牧民族で、916年、現在の中国の北部に 帝国を建国し、国号を 『遼』 と号しました。
 しかし12世紀に入り 女真が宋と結び南下し、1125年に滅ぼされました。 彼らもまた日本へ来ました。 (橘で道真はこの系統です)

☆ 彼ら(ツングース族)と同族の 『元』 は、1271年から1368年まで 中国と モンゴル高原を中心に支配し、その後は北へ逃れ、最終的に1635年まで存続しました。 (元寇の元) 

◎ すなわち、彼らは同じ騎馬系で=粛慎・靺鞨・狄=元=源氏=白系 なのです。

★ それゆえ、やがて日本の原住民となった、彼らの国 『東日本』 の真ん中の東北町に、『日本の中央』 と言う碑があるのです。^^

(私は、7世紀より前の帰化人たちを日本の原住民とし、元からいた縄文人・アイヌを先住民としています。)
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※ 『ツングース語』 は アルタイ諸言語に分類され、モンゴル語系、チュルク語系、ツングース語系に大別されます。
 チュルクとは トルコ のことで、古代蒙古語系、古代トルコ語系、ツングース語系がこれに入ります。
 古代中国の異民族として 中国の史籍に登場する 「丁零、鉄勒、突厥」 などは、すべて チュルク(トルコ)の音訳とされます。
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(参考) 扶余語族(朝鮮語:中国語)は、朝鮮半島北部と南満州での古代言語・高句麗語や百済の支配層で 話されていた言語で、日本とは別です。 ツングース族のモンゴル人力士は、日本語を 自然に話しますが、扶余語族の中国・韓国・朝鮮人の日本語の発音は、不自然です。
(古代史では扶余も広義のツングース語系諸族に入ります。)
また、前 高句麗(前37年頃-668年)は 扶余系民族による国家ですが、この国からの帰化人も多くいました。(白山王朝)
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by hansaki460 | 2009-09-07 18:38 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)
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