信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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「 生類 憐みの令 」 の 真実

「 生類 憐みの令 」 の 真実

古代から 独占企業が ありました。(皮肉です。^^)
7世紀以来、牛馬を殺すことを 禁じた公家等は、死んだ家畜の処分・製革を、猟をしていた騎馬系(白)の原住民にさせました。(被差別の限定職)

時代が下り、経済が大きく発達した 江戸時代には、製革業も発展し、現在のトヨタや日産以上の影響力があり、かなりの財力がありましたが、騎馬系住民の 『 被差別の 限定職 』 であることには、違いありませんでした。 (もはや既得権化?)

皮肉にも、被差別限定職ゆえの巨大独占企業でした。
総元締めは 『弾左右衛門』 で、彼らからの上がりを幕府に上納していました。 (一万石の大名並み)

彼らは、なめしに使うアンモニアの原料・小水を 集めたため、便所のことを 『かわや』(革屋)といいました。
また、同族の「播太」らに野犬を棒で捕らせることもしまた。( 『犬も歩けば棒に当たる』 とはこの事を言います。)
また同宗旨の、反仏派で祠信仰の騎馬系の武士の御家人・旗本たちは、革屋がスポンサーの 「旗本白柄組」 「神祇組」 を組織して、彼らを護衛していました。

7世紀以来の 藤原朝の仏教派は、反仏派の勢力が 増大するのを恐れ幕府に働きかけ、結局徳川綱吉は、貞享4年(1687)「生類憐みの令」 を制定しました。
「生類憐みの令」 は、製革業の勢力を制限し、その資金が反仏派へ流れるのを禁止したもの なのです。

すなわち、これは 反仏派退治の施策で、それより前の寛永十六年(1639)に発布された 『宗門人別制度 = 寺請制度』 を徹底するための、仏教派による反仏派の締め付けなのです。
by hansaki460 | 2009-09-07 18:14 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)
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