信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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日本中にある 徐福伝説

日本中にある徐福伝説

◎ 紀元前3世紀(BC.219 頃)徐福が日本へ不老不死の薬を求め出航しました。(司馬遷『史記』)
男女3000人を伴い大船団で旅立ち、何日もの航海の末に 「平原広沢の王となって中国には戻らなかった」 と書かれています。

◎ 徐福は長い間 中国でも伝説上の人物でした。
ところが、江蘇省に 「徐阜(じょふ)村」 と云う村があり、1982年の地名調査で、元の名が 「徐福村」 であったことが明らかになりました。(写真 ①)
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そのうえ徐福の屋敷跡と思われる遺跡の発掘等でその存在が裏付けられたのです。
その子孫は現在も徐福村に生活していて 徐福祠を守り、その徐家の家譜によれば 「自分は七十代目にあたる」 と言います。
◎ さて、徐福の 祖先は、殷から周の時代には、山東半島 南部一帯にいた 「莱夷・徐夷・淮夷」 と呼ばれた 先住民との説もあり、漢民族ではなく、ルーツは呉の泰伯の子孫だという筑紫島の倭人達と、同じだったのかも知れません。
ですから、徐福が東方の蓬莱に憧れ、倭人に溶け込んだのも、その 「祖先の血」 が要因だったのかも知れません。

徐福には、四人の男の子がいたらしく、長男の徐市(じょふつ)、次男の徐明、三男の徐林 そして四男の徐福(同名だが 史書の通り 記す)という。
中国では古来、家族(一族)を中心だから徐福の子供らも、一団と共に筑紫に同行しました。
徐福と徐市は蓬莱山に不老不死の薬を探し回り、次男の除明は熊本地方に移住。
三男の除林は 佐賀に移住して 「国」 を築きその地方を支配しました。
秦国の滅亡後、彼らはそれぞれ 除市、張明、王林と名を変え、中国と倭国を往来していたらしい。(別の史書には、王、魏、劉に改性したとある。)

◎ この 「倭国とのつながり」 が史書に残り、百余国の時代から 後の 耶馬台国まで 続いて 以後、九州西部の 耶馬台国群は 大陸と同盟関係にあったのです。(写真②)
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四男の 徐福は 名を変えるのを嫌い、故郷を捨て 中国各地を転々とした後、再び 故郷へ移り住んだといい、その子孫が現在も徐福村に生活していて 徐福祠を守り、その徐家の家譜によれば 「自分は 七十代目にあたる」 と言います。

改めて伝承のすごさを感じさせます。

◎ 写真 ③ 日本全国に残る徐福伝説の在る地域。
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◎ この徐福の 影響は、甲骨文字から派生した後の 日本の古代文字を もたらしたり、祠信仰をもたらしたと思われます。

【ポイント】
伝説上の人物と思われた徐福が、実在の人物と云う裏付けがされ、その後九州西部の耶馬台国群が、大陸と同盟関係を持ち続けた要因となった。
日本全国に徐福伝説は伝えられ、古代文字等、多くの影響を及ぼしたと思われる。
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by hansaki460 | 2009-08-23 04:11 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)
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