信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
e0171497_18581696.jpg



e0171497_1725895.jpg

   発売中



 今日も 応援クリック
 ありがとうございます

   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
   にほんブログ村 





ブログパーツ
以前の記事
2017年 01月
2016年 10月
2016年 08月
more...
カテゴリ
全体
やまと言葉
幻の吾道之宮
和歌姫 吾道彦
大御食神社社伝記
神代文字
古代文字便覧 
竹内文献 ホツマツタヱ 古史古伝
歴 史 秘 話
地方史から見た覇権の姿
一般
未分類
最新のコメント
これが高学年の問題であれ..
by 通りすがり at 02:55
当方のブログに関しまして..
by hansaki460 at 07:23
三毛猫さんが書いているこ..
by moon33magic at 16:05
高良大社とは、朝鮮神社、..
by moon33magic at 11:25
同じ意見の方がいらっしゃ..
by のりあ at 20:58
その他のジャンル
外部リンク
記事ランキング
ブログジャンル


美しい 婢(女奴隷) の送り状

美しい 婢(女奴隷) の送り状

e0171497_820768.jpg東大寺の大仏は、信仰のためだけではなく、権力者の威光を示すためのものでもあった。

そもそも律令制度とは、専制制度にほかならない。
王土王民、すなわち「土地と人民は 王の支配に服属する」 という理念は、権力者のものなのである。


東大寺正倉院文書にある 『美濃の国司解』 の中の記録を見てみよう。

 婢 古都賣(こつめ) 年廿 右頬黒子  価  稲 捌伯束

 右 恵奈郡 絵下郷 戸主 県主人足 口 県主息守 之賤


とある。

すなわち、古都賣(こつめ) と呼ばれる、頬にほくろのある、婢(女奴隷)の 二十歳の娘を、美濃の国司が中央官庁へ送った送り状である。

「 稲 捌伯束 」 とは、稲八百束で売買されたということだ。
当時、馬一頭も 稲八〇〇 ~ 一〇〇〇束 だったという。

天平 十二年(741年) 聖武天皇が大仏の建立を計画し、天平勝宝元年(749年)に完成した。
当時の孝謙天皇は、この際に東大寺へ封四〇〇〇戸、奴一〇〇人、婢一〇〇人を施入することにした。

美濃国へは、年は三十歳以下十五歳以上で、顔かたちのよい奴三人と 婢三人を正税をもって買い求め差し出すことを命じた。

当時の美濃守、大伴兄麻呂はさっそく奴婢を手に入れ、翌年天平勝宝二年(750年)に六名の奴婢を解状とともに送り届けた。 そのうちの一人が、恵奈郡絵下郷の婢古都賣(こつめ)だったのである。

ホクロのある顔かたちの美しい娘であったのである。
[PR]
by hansaki460 | 2009-06-29 08:22 | 歴 史 秘 話 | Comments(1)
Commented by kurashiki-keiko at 2009-08-17 15:18
時代はよく分かりませんが、倉敷にも小町井戸というのがあり、都へ遣えた女性が瘡という病を患ってその井戸に姿を映し、近くのお寺に願掛けに通ったとかいう伝説があります。小野小町ではない小町だったらしいのですが、見目形のよい女性は神様やら当時の権力者に仕えると言う運命にあったらしいことが推察されます。
<< 西日本 と 東日本 『 故 郷 』 >>