信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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古代の大和では、百済語で会話?

古代の大和では、百済語で会話?

古代の大和では、百済語で会話をしていたのでは? という根強い意見があります。

現代社会から 古代社会を 推測することは かなり難しい ですが、かろうじて想像すると すれば、グローバル企業が 英語で 会議をして 議事録も 基本的には 英語であったり、メールが 英語であったりするような 環境に 似ているのでは ないか? とは、想像できます。
聞くとこによると 日産が一時そうであったり、戦後GHQとの会話は当然英語であったように・・・。 

古代には 当然 国民国家というものは 存在せず、国といえば 貴族がいたに 過ぎないという 紛れもない事実があります。 当然 日本民族という アイデンティティーも まだなかった。
そして覇権者達は 今のヨーロッパの王族のように、王族同士の交流が あったのでしょう。 
民衆(国民?)は支配するもので、歴史の脇役ですら無かった。 
民衆が歴史に出演するときは、いつも まつろわぬ民・俘囚や、鬼として 征伐する 対象でしか なかった。

また一方、例えば 現代の日本でも 多様な方言が 存在しております。 明治のはじめには、地方から出てきた人々の間で、時には 通訳さえ必要だった という事実が あります。

私の住む 伊那谷は、東の文化と 西の文化の 交錯するところで、 現代にも 川ひとつ越えただけで、言葉も 習慣も 違うことがあり、多くの研究成果が 発表がされて おります。

上代特殊仮名遣の 研究でも、一元的に 見ようとする意見と、多元的に 見る意見の 違いの ところに 行き着いているのでは? と感じます。

このように、太古から現代まで 覇権(権力)も 多重・多様に 存在してきていることを 考えると、多様な文化、また言葉や文字が 存在することは、自然なことでは ないか と 思います。

記紀に代表される歴史は、ほんの一部の人たち すなわち覇権者の、支配者達の 権力構造の推移のこと、すなわち支配者の歴史です。

方や 国とはなにか? といった場合、文化・言語等やイデオロギーが 国家であり、そしてその多様性が 日本国を 形創って いるのではないか と思います。 
多様性を統合するアイデンティティーが、国柄を形創る 大切な意味だと思いますが、明治時代には、その多様性をどう統合するか?という時に、天皇制を大いに活用し 民族としてのアイデンティティーを 形成したのです。

私は、仏教・仏典を背景に 漢字を使った支配層・覇権者と、古代文字を使って続いてきた 祠庫信仰の被支配者達の 悲哀を感じます。
地方史から、そのところが 痛い程 よく見えてくるのです。
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by hansaki460 | 2009-05-05 09:47 | 歴 史 秘 話 | Comments(0)
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