信濃國 大御食ノ社に伝わる神代文字で書かれた「美しの杜社伝記」を解明してます。
by 史郎
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『執念の女帝・持統』

『執念の女帝・持統』  人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ 

伊那谷では、天武天皇の時代に、大きな変化が あったことを 感じ取ることが 出来ます。
私は 感覚的には、天武が もう少し若く 長く天皇でいたなら、かなり違った国造りが 出来ていたと 思われます。

なぜ そう言うか というと、続く 女帝・持統天皇の施政について、違った見方を するように なったからです。

はじめの頃、私は 持統天皇の能力を 高く評価する 一般的な見方 を 取っておりましたが、どうしても 地方史から見た場合、天武と持統では、180度違っていますので、疑問が ついて まわっていました。

最近 いくつかの本を 読んでいるうちに、
「持統は 操られていて、取り巻きに 後の 藤原体制 を 作られてしまった、と言うのが 本当のところでは ないか?」 
と 思うようになりました。

その考えを、決定的にしたのは、関裕二氏の 『 執念の女帝・持統 』 という本です。

その後の 伊那谷は、律令体制の下に 組み敷かれて いきました。
ただ 救いは、やはり最近の本の中で、「近代国家は、律令体制を経て 出来上がって いった」、という ところを 読んだことでした。


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by hansaki460 | 2009-04-29 11:31 | 地方史から見た覇権の姿 | Comments(0)
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